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初めての入院 【早田雅美:認知症 それがどうした! ロハスメディア, 東京, 2015 pp45-51】 [認知症 それがどうした!]

早田さん著書.JPG
 https://www.facebook.com/atsushi.kasama.9/posts/629847390518277

初めての入院
(冒頭省略)
 私は途方に暮れ、当時、病院巡りのあても尽きて、たまたまかかっていた近くの精神科の主治医に電話しました。「こうこうこういう状況で……」と状況を説明していると、どうにもこうにも泣きたくなってきました。「パパ、どうしてこうなっちゃったの」と、そればかり頭に浮かんできました。父の憮然とした表情をよく覚えています。父も嫌な思いをしていたのだと思います。
 その次の徘徊の時、私が主治医に電話して「もう疲れました」とこぼすと、主治医は「S病院に知ってる先生がいます。紹介するから、病院が開く時間までタクシーに乗って回ってて」と指示をくれました。S病院というのは、県内で最も大きな精神科の専門病院でした。
 …(中略)…
 診察は、あっけなく終わりました。紹介を受けた担当の医師は、立派な風貌でした。「それでは今日はこちらでお預かりしますから、明日また来てください」と私を家に帰しました。それが父にとって、認知症での初めての入院でした。

痩せ細る父
 その晩、私は「良い方向に考えよう。きっと良くしてくれるだろう」と自分に言い聞かせていました。そして翌日、再度病院に出向いた私が案内されたのは、長い廊下の先の、暗くて陰鬱な一角でした。
 「ここからが認知症の病棟です」
 排泄物とそれを消毒するための薬剤とが入り混じり、中和された、認知症病棟独特の臭いが充満していました。その先をさらに進むと父の病室があり、案内してくれた医師はガチャガチャとその鍵を外してドアを開けました。8畳一間の空間に、せんべい布団が敷いてあり、片隅におまるが一つ、窓にはカーテンがかかっていて、鉄格子がはまっている。それこそ監獄のような部屋でした。せんべい布団の上では、父が不自然に大きないびきをかいて眠っています。
 初めての入院.jpg
 私が「パパ」と呼びかけても、異常なまでのいびきにかき消され、まったく反応を見せません。私が抱え上げると、かっと目を見開いたものの、焦点が合わないどころか、瞳があっちとそっちを向いたまま動かず、体も硬直したままです。よく見ると、手の親指の付け根から肘まで、紫色に染まったようなあざになっています
 「どうしたんですか」と私が医師に尋ねると、「家に返してくれ、と興奮されたので」とのこと。父は「出してくれ」と、私や母の名前を叫びながら、腕が紫色に腫れるまで、一晩中ドアや壁を叩き続けたのです。私の頭には「これは医療と言っていいのか、こんなの医療じゃないんじゃないか」という疑問が浮かんでいました。その時に父を連れて帰ればよかったのです。しかし当時の私に、その判断はできませんでした。「良くなるんでしょうか」と尋ねた私に、医師は慣れた様子で「お薬がなくなれば、落ち着かれると思いますよ」と答えました。
 結局、父はそのままS病院に半年入院していました。お見舞いに行くと、父はベッドに体を固定されているか、車いすにべルトで固定されているか、必ずどちらかの状態でした。父は見る間に痩せていきました。
 そうして半年近くたったある日、病院から1本の電話が入り、「お父様のバイタルの数値が非常に下がっています。いつ何があってもおかしくない状態です」と言うのです。要するに「死ぬかも」と言うわけです。
 「少しでも良くなるかもと期待して預けたのに、元気に歩いていた父が、こんなに痩せ細って生死の境を彷徨っているなんて、どういうことでしょうか」。納得のいかない私に医師は、「息子さん、認知症は治りません。でも、ご家族には生活があるんでしょう。そのためにこちらもお預かりしているんです。でも、我々は家族のようにはできません。限られた予算の中でやっていますから、行動を制限させていただくことも当然あります。それに、こういう病院に預けるというのは、ご家族の選択があってのことですよね」と言い切りました。
 これで私はようやく目が覚めたのです。「ここにこのまま置いておいたら取り返しのつかないことになる」。すぐに退院の手続きをしました。
 なお、精神科病院がどこでも同じというわけではありません。後に認知症啓発のNPOを設立したことをきっかけに知り合った都立松沢病院の齋藤正彦院長は、認知症を患ってから他界されたお母様が生前書き残されていた日記を院長室の引き出しにしまっていらっしやるそうです。認知症の方がどのような気持ちで毎日を暮らしているのか、時折その日記を読み返しては、お母様にはして差し上げられなかったことを患者さんに実践するように、患者さん一人ひとりに寄り添った医療を実践されています。
 【早田雅美:認知症 それがどうした! ロハスメディア, 東京, 2015 pp45-51】

私の感想
 とてつもなくリアル! 文字から「独特の臭い」を感じてしまいました。

> その時に父を連れて帰ればよかったのです。

 連日の徘徊で疲れ切った早田雅美さんを責めることはできないと思います。
 医療・ケアの質をもっと高める必要があるのです。

 この本は凄い! ハッキリ言って問題作です。認知症診療の暗部をあぶり出している作品ですね。
 この本、なぜあまりメディアで取りあげられないのか不思議ですね。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第171回『深刻化する認知症患者の長期入院 本当のBPSDと〝ニセBPSD〟』(2013年6月14日公開)
 2012年1月12日、日本人初のパーソンセンタードケア認定トレーナーである「いまいせ心療センター」の水野裕(みずのゆたか)認知症センター長が講演(第6回中勢認知症集談会)のために三重県津市に来られました。その際にとっても印象深いお話をされておりました。
 家では認知症の行動・心理症状(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia;BPSD)が目立つのに、外来診療の場においては穏やかというようなケースのBPSDに関しては、水野裕先生は「本当のBPSD」とは捉えていないそうです。そしてこのようなケースでは、「ご家族に対してBPSDの原因について説明しにくいが、家族関係にまで踏み込んだ指導が必要になってきます。」と指摘されておりました。すなわち、「本当に認知症の進行によって起きてきたBPSDなのかどうか?(家族が叱ったために誘発されたBPSDではないのか)」を見極める必要があると言及されておりました。
 水野裕先生は、「本当のBPSD」の頻度についても言及しております。
 「BPSDとは、いつでもどこでも誰に対しても、奇声を発したり、怒ったり、暴れたり、走り回ったりする場合に初めて診断されるものです。当センターに定期的に通院している認知症の人は月約600名いますが、そのうちBPSDと診断され入院する人は2~3名と非常にまれです。そして、当センターにBPSDだと紹介されてくる認知症の人の多くは、“ニセBPSD”です。…(中略)…例えば、ある人は、家族とスタッフだけが話し始めると大声を上げて騒いでいたのですが、それは耳が遠くて会話がよく聞こえないことで不安になり怒っていたことが分かりました。そこで、家族とスタッフが話すときも、その人を交えて大きな声で話すようにしたところ、怒らなくなりました。
 また、徘徊して困るといわれていたある人は、眼鏡が合わずよく見えないために、しばしば錯覚を起こして不安が高まり、徘徊していたのでした。眼鏡を作り直したところ、周囲がはっきり見えるようになり、錯覚や不安もなくなり、落ち着きました。」(水野 裕:認知症ケアへの私の思い. Together創刊号 23-24 2012)


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第172回『深刻化する認知症患者の長期入院 入院先でBPSDを見極める手法』(2013年6月15日公開)
 国立長寿医療研究センター内科総合診療部長の遠藤英俊先生も対応困難なBPSDの頻度について言及しております(http://www.de-hon.ne.jp/digital/bin/product.asp?sku=2000003287250101600P)。
 「われわれのもの忘れセンターでも病床が30床あり、年間400名の患者さんを診ていますが、当センターで重度のBPSDが原因で診られない患者さんが約20名(5%)いらっしゃいます。こういった場合は、精神科の専門病院にお願いしています。われわれ内科では限界があることも事実です。」(認知症診療における地域連携と早期診断・早期対応に向けて─リバスチグミンの有効性と期待を含めて─. Geriat Med Vol.51 83-93 2013)
 水野裕先生は三重県津市での講演において、BPSDで入院された方に対しては、実際にどの程度のBPSDが出現するのか見極めるために、先ずは抗精神病薬をすべて中止してみて、正確な病状を観察することも大切だと指摘されておりました。
 精神科病院に入院すると、ややもすれば多くの抗精神病薬が処方されてしまい、日常生活動作(Activities of Daily Living;ADL)が低下してしまいがちな傾向が目立つ中で、水野裕先生の実践している治療方針は、非常に有益な取り組みと言えるのではないでしょうか。
 また水野裕先生は、「多くの精神神経科医は、あまり認知症を診たがらない」ことも問題点の一つだと指摘されました。
 飯能老年病センターの黒澤尚(くろさわひさし)名誉院長(日本医科大学名誉教授)が書かれた著書(黒澤 尚:もの申す! 重度認知症の治療現場から 「精神科医ドクターHK」の挑戦(4) へるす出版, 東京, 2009)のカバーには以下の記載があります。
 「最近になって認知症は『病気である』と一般に認められるようになってきた。認知症は、国際疾病分類でも精神保健福祉法でも精神疾患と定義されている。それならば、精神科医はもっと積極的に認知症の診断・治療に当たるべきではないのか、と著者は主張する。」
 そして黒澤尚医師は、精神科医が認知症の診療を避ける傾向がある理由に関しても言及しております。
 「『認知症はねぇ』と認知症を避けている精神科医がいるのも事実である。こうした精神科医は、認知症は治らない、認知症は脳の病気だから身体病ではないか、身体合併症も有しており、認知症に併発するせん妄は身体病ではないか、精神科医になったのは身体病を診たくないからであって、身体病は身体科医が診ればよい、などと認知症を避ける理由をあげる。」(黒澤 尚:もの申す! 重度認知症の治療現場から 「精神科医ドクターHK」の挑戦(4) へるす出版, 東京, 2009, p17)。


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第173回『深刻化する認知症患者の長期入院 抗精神病薬に頼らない認知症ケア』(2013年6月16日公開)
 2013年2月6日付朝日新聞「認知症とわたしたち」においては、2013年1月29日に東京都内で開催された「認知症国家戦略に関する国際政策シンポジウム」(主催:東京都医学総合研究所)の様子が報道されました。
 シンポジウムにおいては、認知症の人が、その人らしく生きていけるよう地域で支えていくためには何が必要なのか、6カ国(イギリス、フランス、オーストラリア、デンマーク、オランダ、日本)の政策担当者や非営利団体の幹部、経済学者らが参加して活発な議論が交わされたようです。
 「本人だけでなく、介護者のケアも必要だ」との意見も相次ぎ、オーストラリアの保健高齢化省の担当者は、「認知症の人が自宅で生活を続けるには、本人だけでなく介護者である家族に対し、カウンセリングや休養などのケアが欠かせない」と話したそうです。
 「認知症国家戦略に関する国際政策シンポジウム」においては、抗精神病薬に頼らない認知症ケアについても話し合われたようです。朝日新聞は2013年2月15日付社説・記者有論において、6カ国における抗精神病薬使用状況の違いについて以下のように報道しております。
 「抗精神病薬は、不安や興奮が激しいときに使われる。たとえ認知症でも、生活に満足していたら強い不安は出ないし、興奮状態にもならない。環境とケアが良ければ本人は穏やかに暮らし、抗精神病薬の出番はぐっと減る。
 フランスでは、認知症患者での使用率が2007年の16.9%から2011年の15.4%へ着実に下がってきた。
 英国での減少ぶりはもっと劇的だ。全国の医療機関を対象にした監査結果は、2006年の17.1%から2011年の6.8%へ激減している。『認知症への抗精神病薬の効果は限定的なのに副作用で1%程度が死ぬ』という報告書が出たことが大きく影響したという。
 オーストラリア、デンマーク、オランダとシンポジウムで発表したどの国も『抗精神病薬に頼らないケアを目指していた。見事に同じ方向だった』と、事務局を務めた西田淳志・東京都医学総合研究所主任研究員はいう。
 では日本はというと、そもそも薬がどれだけ使われているかのデータがない。『どんな薬を使うかは医者の裁量』という意識が強く、実態調査ができないと言われる。」(高橋真理子:認知症への対応─抗精神病薬に頼るな)
 「認知症国家戦略に関する国際政策シンポジウム」においては、精神科病院への入院に関する報告もなされております。
 「先日東京で開かれた認知症政策に関する国際会議でも、『向精神薬(メモ2参照)を減らす』(イギリス)、『精神科への転科・転院は1%と少ない』(フランス)、『認知症の人の入院はない』(オランダ)、『行動心理症状を持つ人の精神科による治療はほとんど外来での治療』(デンマーク)、『精神科病院への入院を防ぐ』(オーストラリア)という報告が相次いだ。」(2013年3月15日付朝日新聞・オピニオン─中村秀一の現場から考える社会保障)

メモ2:向精神薬
 向精神薬とは、中枢神経系に作用し、生物の精神活動に何らかの影響を与える薬物の総称であり、抗精神病薬、抗不安薬、抗うつ薬などが含まれます。
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