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ペコロスの母に会いに行く [ペコロスの母に会いに行く]

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第143回『認知症のケア 介護しているとき鬼になる自分が辛い』(2013年5月17日公開)
 2012年11月29日放送のEテレ・ハートネットTV(http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2012-11/29.html)においては、長崎在住の漫画家・岡野雄一さんの話題作『ペコロスの母に会いに行く』が紹介されました。認知症の母を介護する日々が漫画で綴られております。
 岡野さんは、インタビューに対して、「僕が描いていて一番伝えたいのは、(母の)しぐさの可愛さとか、ちょっとしたズレの面白さみたいなものを伝えられたら良いかなと思う」と答えています。
 岡野さんのお母さんは、数年前に脳梗塞を併発し認知症が悪化したためグループホームに入所しています。
 岡野さんは放送の中で、「やっぱり自分が看るということが基本だとどこかで思っており、何か後ろめたい気持ちもあるというふうに思っていたんですけど、漫画を読んだ方からの感想というのは逆で、『それでいいんですよ』と言う人がとにかく多かったんですよね」と述べ、「真面目な人ほど(自分を)追い込んで、自分でやってあげるんだと言いがちです。しかし、(施設を)上手に利用した方が絶対にいいんですよね。それは別に責められることじゃなくて、上手に利用して自分は自分の生活を持って、そして週に二度ほど会いに行く…。」と自らの想いを語りました。
 また番組の中で岡野雄一さんと対談した作家の田口ランディさんは、「介護が辛いのではない。介護をしているときに鬼になっちゃう自分が辛い。介護の辛さが何かと言えば、自分の闇と向き合うことだよね。やさしくしなきゃいけないの分かっているのにできないというのが一番辛い」と語り、「私たちはいつも昨日のこと、明日のこと、未来のことなど考えているが、認知症の人ほど『いま、ここ』を生きている人はいない。介護する側もいつも『いま、ここ』にいることが必要」と指摘されました。
 因みにペコロスとは、「小たまねぎ」のことであり、岡野雄一さんのペンネームとなっております(岡野雄一:ペコロスの母に会いに行く 西日本新聞社, 福岡, 2012, p13)
 著書『ペコロスの母に会いに行く』の帯にはとっても印象深い言葉が綴られていますのでご紹介しましょう。
 「さっき、父ちゃんが訪ねて来なったばい
 なあユウイチ
 私(うち)がボケたけん父ちゃんが現われたとなら
 ボケるとも悪か事ばかりじゃなかかもしれん」
 この言葉にありますように、雄一さんのお母様には、亡き夫の姿が見えている様子です。そして目の前にいる雄一さんに対して、「あっち(あの世)でよっぽど苦労しよるごたる、すっかりハゲてしもて」と話すシーンはとっても印象的です。雄一さんのお母様は、ふさふさ髪だった頃の雄一さんの時代を生きているようですね。
 そして見えない糸と針で、もくもくと子どもの晴れ着を縫うシーンなど(岡野雄一:ペコロスの母に会いに行く 西日本新聞社, 福岡, 2012, pp29,32-33)、ほんのりと温かい空気が漂っている漫画だと思います。
 私がこの『ペコロスの母に会いに行く』を読んで大笑いしたのは、何と言っても46~47頁! 何が書かれているのかは残念ながら書けません。購入してお読み下さいね。大笑いを保証します。そして私がついつい泣いてしまったのが178~184頁です。8月9日の長崎を日本人は永遠に忘れてはならないんですよね。
 映画版「ペコロスの母に会いに行く」は、2013年夏の公開を目指して撮影中だそうです。映画化に関する最新情報は、ウェブサイト(http://www.facebook.com/Pekorosu)をご参照下さい。
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 2013年10月27日付朝日新聞・生活において、劇場版「ペコロスの母に会いに行く」2013年11月16日に全国公開されることが報道されました。
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 2013年12月21日放送のNHK・ETV特集(http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2013/1221.html)において、映画版「ペコロスの母に会いに行く」の映画監督をされました森崎東さんの姿が報道されました。
 森崎東監督は、「記憶は愛である」と語ります。その言葉の意味がナレーションとして流れました。
 「記憶は人が生きた証、その記憶を呼び覚ます力を森崎は“愛”と呼ぶ」
 映画作成に取り組む中、森崎東監督は、医師より「血管性認知症」と診断され、記憶障害と闘いながら生涯最後の映画という意気込みで自身25本目となる映画「ペコロスの母に会いに行く」を完成させたそうです。
 しかし2013年秋に森崎東監督は、戦争で亡くなった兄を主人公にした26本目の映画作成に向けて歩み始めているそうです。

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 2014年4月16日放送のハートネットTV(http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2014-04/16.html)にゲスト出演されました岡野雄一さんは、番組の中で、「母もしっかりしなけりゃいけないってことでやってきたのが、しっかりする必要がたぶんなくなって、解き放たれてボケていくんですけど、子どもからみると何か“可愛く”なったんですよ。
 漫画の中でも書いてますけど、『ボケることは悪か事ばかりじゃなかかもしれん』って気がしますね。
 母がしっかりしている必要がなくなったというのも、何か“良かったね”とどこかで言いたい気がするんですよね。」と語っておられました。

 その岡野雄一さんが番組に寄せて読んだ「介護短歌」を以下にご紹介しましょう。

 逢いみての
 後の想いを
 忘れ果て
 昔の日射しの
 中に住む母

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 今朝の朝日新聞「天声人語」を興味深く拝読いたしました。岡野雄一さんが胃瘻とどう向き合ったのか、『ペコロスの母の玉手箱』を読んでみたくなりましたね。
 
 「半年前に小欄で紹介した漫画『ペコロスの母に会いに行く』の作者岡野雄一さんが、新たに『ペコロスの母の玉手箱』を出した。母の光江さんは、介護する息子との珍妙なやりとりで読者の笑いと涙を誘い、この夏に「車イスから自由になった」。91歳の大往生だった。
 ▼長崎市に住む岡野さんはホームからの電話で死を知らされ、車で駆けつけた。着くまでの15分ほどのもの思いも作品に描いた。トンビの背中に乗った自分がどんどん過去にさかのぼり、若い頃の一家を見下ろし、最後は赤ん坊の光江さんを見下ろしている──
 ▼あの世とこの世の境界が消えたような母をみるうち、岡野さんも想念の中で時空を自由に行き来するようになったのだろう。管から栄養を入れる胃ろうを光江さんに施すかどうか。その決断を迫られた時もトンビで飛んだ。迷いに迷い、60年前の母に「胃ろうばしても良かですか─」と問いかけたのだ。
 ▼1日も長く生きてほしいと延命の選択をしてから死まで1年半。岡野さんは今、「ちょうどいい時間だったと思う。知らず知らず覚悟が固まる時間だった」と話す。豊潤な時間だったに違いない。
 ▼認知症はひとごとではなく、介護はきれいごとではない。それでも、こんなに深々とした癒やしがありうる。」(2014.10.29)

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 「天声人語(2014.10.29)」に続き、2014年11月5日のオピニオンの紙面(インタビュー―認知症の親の贈り物)においても「ペコロスの母の玉手箱(朝日新聞出版)」の関連記事が紹介されております。先日の日曜日に書店に行って本が並んでいるか見てきたのですがまだ置いてなく、私はまだ本は読んでおりません。
 とても印象深いインタビュー記事ですので、抜粋して以下にご紹介しましょう。
 
 「認知症の予防や治療に関心が集まっている。高齢化がすすむ中、ひとごとではないと、切実な思いを抱く人が多いのだろう。でも認知症は本当に悲劇的な病なのか。長崎市の『ペコロス』こと岡野雄一さんは、母親と過ごしたユーモラスで豊潤な日々を漫画に描き続けている。なぜそんなに明るいのか。秘密を聞きに長崎を訪ねた。

…(中略)…
―10年を超える介護の日々を漫画に書いてきた。おかしくも切ないエピソードが反響を呼び、映画やテレビドラマにもなった。―
 これはもう想定外としか言いようがありません。きっかけは編集の仕事をしていたタウン誌の片隅で描いていた8コマ漫画で、もともと飲み屋での失敗談とか、身の回りの面白い話とかをネタにしていた。その漫画も社長の好意で描かせてもらっていたんです。20歳で上京して漫画家を志したけど、時代は劇画ブーム。僕の丸っこい絵はお呼びじゃなかった。小さな出版社で漫画誌の編集者になり、あげく離婚して息子と2人で長崎へ戻り両親宅に転がり込み、ようやく得た仕事でず。日々の業務をこなす褒美に1ページ使っていいと。
 そんな日々のなかで、父が亡くなり、それをきっかけに母も少しずつボケ始めた。みそ汁の味がおかしくなったり、ふらりと出て戻らなくなったり。困ったり心配したり腹が立ったりもするんですが、漫画のネタとしては面白い。そもそも介護という意識もなくてね。認知症という言葉も知らず、『母ちゃんも年取ってボケたなあ』と。時々そんな話も描くようになったんです。
 そうしたら、雑誌を持って行った小料理屋のママが、僕の漫画を読んで『うちも母がね』と泣きだしたり、客の男性が『そう、そうなんだよ』ってしみじみ言ってくれたり。反響があるとうれしいから、またボケた母の話を描く。するとまた反響がある。そんなふうにして、母の話が多くなってきた。そうこうするうち、3年近く前に自費出版した本が地元の書店で2カ月連続売り上げ1位になり、評判が広がったんです。
 時代に遭遇したんでしょう。ハゲた息子が車いすの親に会いに行く、それだけの漫画なんだから。僕はサボっていただけですが、結果的に良い距離感で母と接することにつながり、読んで癒やされると感じる人がたくさんいた。僕と同じ団塊の世代が今、親を介護している。認知症の介護がいかに切実か、切実な中に救いを求める人がいかに多いか。そういうことだと思います

―漫画で描かれる光江さんと岡野さんとのやりとりは、実に明るくて笑いがある。一方で、現実はもっと厳しいと言う人もいる。―
 …(中略)…
 いま考えると、僕は恵まれていたんだと思います。一つは、母のボケが緩やかに穏やかに進行したこと。もう一つは、母のことを漫画のネタにしていたことです。困ったことが起きても『ネタになる』って気持ちがあるから、深刻に腹を立てたり絶望したりってことにならなかった。ギャグ漫画だったのもよかった。オチをつけないといけないから笑いに持って行くことができる。
 『現実はこんなもんじゃない』とお叱りの手紙を頂くこともありました。わかるんですよ。僕は確かに甘いし、いい加減だし、すぐ笑いに逃げる。でも、介護にはそういうことも必要なんじゃないでしょうか。皆さんまじめに真剣に取り組んでおられる。まじめなあまり、絶望して心中しようと思ったという話も聞きます。まじめに取り組みすぎないことも必要かもしれない。しばらく放っておいても死にはせん、時にはゆっくりコーヒーでも飲んで、自分も生きるってことを楽しむ。つかの間のプチ親不孝。それも含めて、地に足をつけて生きるってことが一番大事体なんじゃないでしょうか。

―認知症が切ないのは記憶が失われていくことだ。光江さんも息子の顔すら思い出せなくなった。―
 …(中略)…
 体が衰えるにつれ、むしろ母の世界は自由になっていくようでした。父だけでなく、少女時代の友達もやって来る。記憶の断片を聞いている僕は、両親の若いころや、母が幼かったころのことを想像する。濃密な時間でした。父に殴られる母を見捨てて家を出たことがトラウマになっていたんですが、母のおかげで、泣いたり笑ったりしながら懸命に生きた両親の人生に思いをはせる時間をもらった。あんなに逃げ出したかった家、からみつくような坂道、うっとうしい近所の人間関係が、どんどんいとおしく好きになっていった。
 人間が生きているって、すごいなと思うんです。人に迷惑もかけるし、かけられるし、心配もかけるし、かけられる。死んでしまったらそれは全部なくなるんですよね。僕は今、生きていることがいちばん大事なんだと思っています。」

◎取材を終えて
 「『認知症』って味がないよネ」と岡野さん。確かにそうだ。「ボケた』なら笑い話なのに、認知症となると本人も周囲も『問題』にしてしまい、老いを受け入れて日々を味わうことを忘れる。岡野さんの描く豊かな世界を読むと、そのもったいなさを痛感する。老後はかけがえのない時間だ。いい加減であることの大切さよ。」【編集委員・稲垣えみ子】
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