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樋口直美:私の脳で起こったこと レビー小体型認知症からの復活 [自殺防止]

 発症が2012年9月23日ですので、発症後約二週間後の日記です。
私の脳で起こったこと.jpg
……2012年10月4日 津波

 今日も仕事でミス。一度も忘れたことのない手順がわからなくなった。こういう瞬間が、本当に恐ろしい。何もかもが、崩れ落ちていく気がする。

 仕事中、ふと津波が来ることを想像した。
 私は、幸せな気持ちで波に向かって歩いていくだろうと思った。
 恐怖だった津波が、今は、救済に代わっている。
 私は、死にたいのか。私は、死にたいのか。仕事をしながら泣きそうになった。
 私は、死にたいのだ。決まっている。死ぬ方がよっぽど楽な道だ
 自らの尊厳を保てる。家族に負担をかけない。

……2012年10月6日 何もかも夢

 昨日はちょっとうつっぽい以外は何もなく、自分は、全く問題ないのではないかと思ってしまう。甲状腺機能がまた低下したと言われた。すべての症状は、そのせいで、薬で治ってしまうような気がしてくる。何もかもが夢で、現実ではないと思える。
 今日、子供が見えた。初めて。はっきりとではないけれど。朝、虫も何度か見た。本物に見えた。けれども消えた。幻視なのか、本物なのか、全くわからない。
 幻視が見える頻度は、どんどん増えていくのだろうか? 車に乗ってはいけないのか。
 末期がんを告知されるのと突然死と認知症を告知されるのと、一番苦しくないのはどれだろう。
 私は、死なない。そう決めた。自分では死なない。
 けれども食べられなくなったら、自然死させて欲しい。文書化しておかなければ。死んだら献体し、脳を解剖してもらおうか。
 まだ軽度認知障害のレベルだから、やれることはたくさんある。たいしたことはないとも思う。ただ抑うつが強くなったら何もできなくなる。それが困る
 【樋口直美:私の脳で起こったこと レビー小体型認知症からの復活. ブックマン社, 東京, 2015, pp15-17】

私の感想
 何だか共感できるなぁ・・。
 だって私も1年前は、新幹線名古屋駅で飛び込みそうになる衝動に駆られていましたから・・。私が死にたいと思った理由は、生きていることが辛かったからです。毎日が苦しかったからです。
 新幹線の駅だけではなく、近鉄特急に飛び込む衝動もちょくちょく感じていました。
 で、結局私の場合は、名古屋駅で感じた衝動をアルツハイマー病学会学術集会から帰ってきて妻に話してしまいました。
 その時に妻は、「私が働くから仕事休んだら・・。食べていくだけなら何とかなるよ・・」と言ってくれました。その言葉に私は救われました。でも救われたとは言っても、その言葉だけでうつ病が快方に向かうわけではなく、長い長いトンネルから抜け出せずにおりました。
 樋口直美さんは、「死にたい」と思ったときにご主人に打ち明けることができたんだろうか・・。この告白って、すごく勇気が要りますよ! 「好き!」って気持ち伝えることの100倍くらい勇気がいると思います。
 妻はその頃から、毎朝、私の出勤の時に玄関まで送ってくれるようになりました。その頃は優しい妻に久しぶりに戻ってくれました。しかし、私のうつ病が治ってからは、出勤の時に「寝ている」ことがしばしばのいつもの妻に戻りましたが・・。

 私も認知症の介護者の自殺を経験しております。全く予測すらできませんでした。笑顔で診察室を後にした介護者の苦悩を知る由もありませんでした。

 以下に、認知症と自殺企図について書いたアピタルの連載をまとめて抜粋してみます。

朝日新聞アスパラクラブ「ひょっとして認知症-PartⅠ」第8回『告知!! アルツハイマー病です! 後編』(2010年11月8日公開)
 冒頭の話は、認知症の話題からそれますが、後々絡んできますので、少々長文になりますがご容赦下さいね。

 私自身は、医療関係者と患者さんの医療情報の共有に、強い関心を持って取り組んできました。「医療情報の共有」は、私のライフワークの1つでもあります。

 私は、国内の病院では初めてとなる病院外来におけるカルテ開示を始動し、1998年12月10日付朝日新聞名古屋本社版夕刊トップニュースでも紹介されました。

 そんな私が、非常に強く関心を抱いた出来事が、今春ありました。その出来事とは、診療報酬明細書請求を電子化している医療機関では、2010年4月1日以降医療費の明細書発行が義務化されるという決定でした。2010年10月9日、長尾先生のブログで、コメントに記載しました。

 この決定を歓迎した私は、それならば、明細書発行が有意義なものになるよう、発行された明細書が、患者さん(およびご家族)にも読解できるようにしようと考えました。そして、渡された明細書の内容が分かるような説明書作成に取り組み、全国に先立ち2010年2月19日より、「診療明細書の解説パンフレット」を外来会計窓口に設置しました。
(中日新聞の記事:http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20100310142018071

 しかし、その後、医療費の明細書発行義務化の持つ大きな弊害に気づきました。

 大きな弊害? 何だろう? 分かりますか?

 検査や薬品名から「不治の病」であると推測され、療養の継続に支障が出ると判断される場合は、明細書発行義務化の対象外となっています。ところが、未告知患者さんに対してのみ明細書を発行しない理由を説明するのは困難ですから、実際には発行されていることが多いのが現状なのです。

 もちろん、発行される明細書には「病名」は記載されないのですが、例えば認知症診療においては「認知症専門医紹介加算・アリセプト」などの文字が明細書に記載されます。こうして、患者さんに病名が分かってしまいます。すなわち、未告知の患者さんに対して、医師の意図しない「不用意な告知」を及ぼす危険性があるのです。

 そして、私が最も心配したのは、告知の態勢が整っていない時点においての、医師の意図しない不用意な告知が誘因となって、患者さんが自殺または自殺未遂に及ぶのではないかという懸念です。

 自殺? 笠間先生、心配し過ぎじゃないの?

 いえいえ、現実問題として、初期アルツハイマー病患者さんが、自分の未来に希望を抱けず、「安楽死」を選択したニュース(平成20年5月24日付朝日新聞・国際「世界発2008」)も報道されているんですよ。ですから、認知症告知がどうあるべきかは、未解決の非常に大きな問題なのです。

 「日本医事新報」という国内最大の医療情報誌があります。その日本医事新報No.4495 (2010年6月19日号 85-86)において、竹中郁夫先生(もなみ法律事務所 弁護士・医師)は、『十分に告知・不告知の実践について妥当性の吟味を行い、明細書がインフォームドコンセントを補完したり、逆に誤解を招きかねないという特性を明確に患者や家族が理解できるようベストエフォートに努めるべき』と述べています。

 また、群馬大学医学部の山口晴保教授は、著書(認知症の正しい理解と包括的医療・ケアのポイント第2版 協同医書出版社, 東京, 2010, pp240-242)の中で、以下のように述べています。

 『米国やオーストラリアでは、アルツハイマー病は死因の第4・5位を占めています。2004年の論文によると、米国でアルツハイマー病と診断された地域在住高齢者(60歳以上)の平均余命は、男性4.2年、女性5.7年と記載されています。本邦では、あなたの病気は認知症ですよ。死なない病気だから心配ありませんなどと無責任に本人に告知する医師がいるのが現状です。現時点では根治療法の確立していないアルツハイマー病の告知は、ガンの告知と同様に慎重でなければならない場合が多いと思います。』

 ところで皆さん、施行開始から半年以上経ちましたが、「医療費の明細書発行」に意義を感じておられますか? 実際のところ、あまり活用されていないのが現状のようですね。

 それは何故だと思いますか? 私はこんな風に考えています。

 医療費の明細書発行は、医療機関と患者さんとの「医療費情報の共有」には有用ですが、医療機関と患者さんとの「医療情報の共有」には繋がらないからだと思っています。
毎月、同じような内容の医療費明細書をもらっても読み返す気になれないというのも、患者さんの側からすれば本音の一つですよね。

 前編で述べましたが、私自身が初期のアルツハイマー病になったと仮定するならば、事前に身の回りの整理をしておきたいですし、必要があれば任意後見制度も活用したいので告知を希望しています。

 ただ、「アルツハイマー病における判断能力の有無」というのは、極めて判定が難しいことは理解しておく必要があります。アルツハイマー病患者さんが、仮に初期であってもきちんと自分自身の治療方針を判断し選択できるのか?に関しての確実な判断方法は確立されていないのが現状なのです。

 最後に。私自身は、認知症の告知問題に関して、決まった指針を持っていません。ご家族と相談しながら、個別に決めています。

 今回の前編・後編を通じて、「認知症告知」に絡む問題への理解を深めて頂ければ幸いです。


情報は相手の立場を考えて
投稿者:みつぼん 投稿日時:10/11/08 12:06
 何もかも正直に話せば良いものではありません。知らぬが仏の場合もあります。医療費の明細書発行でショックを受ける人には、出すべきではないと思います。ガン告知と同じで、主治医と家族が相談した結果、出さなければ疑念を抱く人もいると思うので、難しいですね。


Re:疑念
投稿者:笠間 睦 投稿日時:10/11/08 21:28
 みつぼんさん、コメントありがとうございます。

> 医療費の明細書発行でショックを受ける人には、出すべきではないと思います。

 私もそう感じて、今春、闘いました。しかし、「大きな抵抗勢力」となることはできませんでした。私の力不足です。
 
 医療機関のシステムとして一律発行しないのであれば患者さんも疑念を抱かないでしょうが、「一部の患者さんだけ」発行されないときに何と説明するのか??
 私も、この問題点は、未だに解決できずにおります。


認知症(難病)告知と医療費の明細発行義務化
投稿者:梨木 投稿日時:10/11/08 20:30
 今日の笠間先生のブログを読んで、もしかしたらと思ったことがあります。
 私の通院している病院は、とても良心的・患者本位の信頼できる病院と感じているので、今年4月からは当然診療明細書がいただけるものと思っていました。しかし受付で支払いの後もくれません。請求するといただけました。「義務化されたのではないですか」と問うと「まだシステムが整っていないので」というお返事でした。しかし11月になっても同じです。オカシイと思っていました。請求されたら発行しなければならない、という義務化だったのでしょうか。
 ブログを拝見して、一律の発行は問題が起こりうることを知り、もしかしたら建前とは別に、病院の倫理委員会?とかでそういう方針になったのかも、と思ったりしています。
現在でも請求すれば気持ち良く出していただけるので、困ることはありません。
 個人的には、診療明細書は医療費情報の共有というより医療情報の共有にとても役立っていて有難く思っています(特に検査の時の検査方法・画像の保存枚数・造影剤の種類、量など。自分に行われた検査の記録になります)
 各人が、自分の人生を自分でデザインしながら生きて死ぬ権利を持っていると思います。なので出来れば病名を知りつつサポートを受けて生きていくのが最善でしょうが、まだ医療・社会資源のサポートが十分でない現在では、知りたくない人がおられるのも事実でしょう。支えるという意味で、各々の選択が認められているのかもしれませんね。


Re:義務化
投稿者:笠間 睦 投稿日時:10/11/08 21:34
> 請求されたら発行しなければならない、という義務化だったのでしょうか。

 梨木さん、笠間です。
 原則「義務化」です。医療費の明細書発行義務化が免除されているのは以下のケースですので、そのどちらかに該当しているのだと思います。

 レセプト電子請求が義務づけられた医療機関および薬局は、項目ごとに記載した明細書を、原則無償で発行しなければなりません。しかし、正当な理由があれば、義務化が免除されます。

正当な理由
(1)明細書発行機能が付与されていないレセプトコンピューターを使用している医療機関または薬局
(2)自動入金機を使用しており、自動入金機で明細書発行をする場合、自動入金機の改修が必要な医療機関または薬局


朝日新聞アスパラクラブ「ひょっとして認知症-PartⅠ」第278回『認知症介護者の抱える葛藤(その4) 「仲の良い老夫婦」に起きうる事故』(2011年12月26日公開)
 さて皆さんは「仲の良い老夫婦症候群」と聞いてどんなイメージを思い浮かべますか?
 私もこの用語を初めて目にしたときには、仲の良い老夫婦の穏やかな老後の生活を思い浮かべました。まさか「介護殺人」とリンクした問題だったとは、思いもよりませんでした。
 英国の法医学者Knightは、高齢者による殺人の事例を調査し、その特徴を要約して「仲の良い老夫婦症候群」と命名しています。
仲の良い老夫婦症候群(The Darby and Joan syndrome)
1)英国の法医学者Knightが1983年に報告
2)高齢者による殺人の事例を調査
 ほとんどが配偶者を殺害
 犯罪の前兆なし
 残忍性の強い殺害方法
 犯行後の慈愛的態度
3)現在の日本では「介護殺人」に類型が多い

 入間平井クリニックの平井茂夫医師は、「高度認知症の妻を介護する真面目な夫の組み合わせは、頻度は高くないが、事故が起こりやすい特定の危険なパターンであり、医療・介護・福祉関係者に周知することによって、介護殺人を未然に防ぐことができる可能性がある」と指摘しています(認知症 BPSD~新しい理解と対応の考え方~ 日本医事新報社, 東京, 2010, pp52-53)。

 私の診療経験では、「介護殺人」に至ったケースはありません。しかし、3年程前に「介護者の自殺」を経験しています
 まさに「仲の良い老夫婦症候群」のようなケースでした。老夫婦二人暮らしで子どもさんはおられませんでした。高度認知症の妻の外来受診に際して付き添いとして来られたのは、とっても真面目で介護に熱心なご主人でした。
 初診から約3か月後、ご主人は帰らぬ人となりました。遺書はありませんでしたので自殺の真意は不明です。
 その後も患者さんは、姪の方に付き添われて通院を続けられました。姪の方から聞いた話でも、自殺の前兆は認められなかったそうです。

 平井茂夫医師の記載にもありますように、「高度認知症の妻を介護する真面目な夫の組み合わせは事故が起こりやすい特定の危険なパターン」であると啓蒙していくことは大切な視点であると身に染みて感じています。
 男性介護者は、弱みを見せたくないため、問題を一人で抱え込み、社会から孤立する傾向があるという特徴があります。こういった特徴を理解しサポートしていくことが医療・介護・福祉関係者には求められるのです。


もうこんなにがんばっているのに
投稿者:笠間 睦 投稿日時:11/12/26 16:02
 74歳の妻(アルツハイマー型認知症)を19年間在宅で介護してきた74歳の男性介護者の言葉をご紹介しましょう(座談会・「介護する家族」の苦楽と工夫. 訪問看護と介護 Vol.16 1014-1025 2011)。

 確かにこちらも、がんばりすぎて追い詰められていると、ちょっとした言葉にカチンとくることもある。
 自分だけで母親をみている僕の介護仲間は、やっぱり「がんばって」と言われると、「もうこんなにがんばっているのに」とつらい気持ちになるから、これは禁句だと言っていました。
 あと、別に暮らしている兄弟がたまに様子を見に来て、「母さん、元気そうじゃない」と言われるのも、もうホントにカチンとくるらしい。日頃の苦労を知らないでよく言えるもんだと怒っていました。


朝日新聞アスパラクラブ「ひょっとして認知症-PartⅠ」第279回『認知症介護者の抱える葛藤(その5) 認知症患者の自殺を考える』(2011年12月27日公開)
 「地域福祉館 藤井さん家」(認知症対応型デイサービス)の管理者を務めたルポライターの牧坂秀敏氏は、著書『認知症ケアは地域革命!』の第五章「見果てぬ夢」(牧坂秀敏:現代書館, 東京, 2010, pp206-256)において、「介護殺人」に関しての問題点を指摘しております。
 「一体全体、介護サービスを実際に利用している世帯において介護殺人を防止できないのは、何を意味するのであろうか。地域包括支援センターやケアマネジャー、さらに介護サービスの提供者が実際に関わっていても、その兆候や気配さえキャッチできていないわけだが、その要因として考えられるのは、利用者および利用者家族との関わりの希薄さが挙げられる。それは、単に関わる回数の頻度などではなく、相手がどんな状態なのか、どんな不安を抱えているのか、何か困ったことはないのかといったきめの細かい対応や観察を心がける姿勢や視点があるかどうか。何よりも、気軽に何でも相談できるという身近な存在になるような関わりを意識的にやっていくことが必要だろう。」

 認知症患者さんにおける自殺に関しては、シリーズ第8回『告知!! アルツハイマー病です! 後編』、シリーズ第94回『シリーズ・家族から見た認知症の告知(3)』などにおいて触れてきました。私は、「認知症患者さんの自殺」と「介護殺人」の要因として、共通する社会的問題があると考えています。
 その解決すべき社会的問題に関して述べる前に、認知症患者さんの自殺の現状についての報告をご紹介します。
 東京大学大学院医学系研究科医療倫理学分野の箕岡真子先生は、認知症患者さんの自殺・自殺企図に関して以下のように述べています(箕岡真子:『認知症ケアの倫理』 ワールドプランニング発行, 東京, 2010, pp133-141)。
 「日本における認知症者の自殺は年間3,500人にも及ぶといわれています。しかし、アルツハイマー病が進行すると、認知機能の低下によって自殺をすることそのものができなくなってしまいます。
 「認知機能障害が軽度なうちは、不安や焦燥にかられたとしても自身の将来について思いを巡らすことができますが、認知機能低下の進行に伴い、忘れることを忘れ、自殺すること自体ができなくなってしまいます。ある研究によると『認知症が軽度で、自分の気持ちを表明できる者ほど自死傾向があり、認知症初期の知的機能が残存し、自尊心が残っている人に多い。17年間2,443名のうち、自死を口にした者187名、自死企図23名、自死9例であり、自死企図は、MMSE;15点以下1名、16~20点7名、21~25点15名であった(松本一生:認知症の人の自死傾向について;ものわすれ外来で担当した2443名をふり返る. 日本認知症ケア学会誌 Vol.8 303 2009)』としています。」
 MMSEはシリーズ第71回『シリーズ・意思能力の有無って?』において述べましたように、30点満点の認知機能検査で、目安として、9点以下は高度アルツハイマー病、10~19点が中等度アルツハイマー病、20~23点が軽度(初期)アルツハイマー病、24点以上は軽度認知障害ないし正常と判定されます。ただし、高学歴者の場合には27点以上獲得しないと「異常なし」とは判定しない場合もあります。


朝日新聞アスパラクラブ「ひょっとして認知症-PartⅠ」第280回『認知症介護者の抱える葛藤(その6) 「必要とされている」という大事な感覚』(2011年12月28日公開)
 さらに箕岡真子先生は、「高齢者が自殺を望む状態から回復するのには、『役に立っている』『必要とされている』『なにかに属している』『社会・家族の一員である』という感覚がもてることが大切です。その結果、支え合う関係性が築かれ、感情的安定や幸福感をもつことができるようになります。」と述べ、自殺予防に関しても言及しております。
 箕岡真子先生がご指摘のように、支え合う関係性を構築し、感情的安定や幸福感を持てるようにすることが、「認知症患者さんの自殺」と「介護殺人」をともに防止する重要な糸口になるのだと思います。箕岡真子先生は、「他人に依存することは自然なことであり、かつ、他人を信頼し任せることが可能であることを保証することも必要です。」と語っています。

 九州大学大学院医学研究院神経内科学の山下謙一郎助教は、今後の少子高齢化の予測に関して論文にて報告しております(日本における認知症の特徴と疫学. 臨牀と研究 Vol.88 649-652 2011)。
 「平均寿命の増加に加え、2005(平成17)年からは少子化のためわが国は人口減少局面に入り、高齢化がさらに進行している。国立社会保障・人口問題研究所『日本の将来推計人口(平成18年12月推計)』によれば、2030(平成42)年には高齢化率は31.8%と国民の約3人に1人が65歳以上の高齢者となる社会の到来が予想されている。」
 2011年7月12日に公表された平成22年国民生活基礎調査(http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa10/)では、「老老介護」増加の実態が明らかになりました。要介護の高齢者を同居する高齢の家族が介護するのが「老老介護」です。調査の結果、75歳以上の要介護者がいる世帯のうち、75歳以上の家族が主に介護している世帯は25.5%(http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa10/4-3.html)であり過去最高となっていることが報告されております。
 今後急速に少子高齢化は深刻さを増していき、「老老介護」が益々大きな社会問題となっていきます。


朝日新聞アスパラクラブ「ひょっとして認知症-PartⅠ」第281回『認知症介護者の抱える葛藤(その7) 介護の問題は「気が休まらない」こと」という大事な感覚』(2011年12月29日公開)
 国立病院機構菊池病院の室伏君士名誉院長は、著書『認知症高齢者と家族へのケアマネジメント』(ワールドプランニング発行, 東京, 2009, pp80-81,110)の中で以下のようなデータを紹介しています(一部改変)。
 「介護保険制度直前の『痴呆性老人を抱える家族の全国実態調査報告(健康保険組合連合会, 2000)』のデータによると、介護の悩みについては、気が休まらない70.1%、自分の時間がもてない58.9%、外出ができない43.0%、目が離せない41.8%、家事に思うように手がまわらない30.2%となっていた。
 在宅介護の『燃え尽き症候群』は、頑張り過ぎの介護、すなわちストレス学説でいう『過剰適応』の際に起こりやすい
 老老介護が増加する中で、『介護破綻』(介護の行き詰まりによる殺人や無理心中など)も増えてきている。…(中略)…この加害者の約7割は男性である。」
 そして室伏君士医師は、「2006年の介護保険法改正で、要介護者に同居家族がいる場合は、生活援助サービスが受け難くなったというサービス抑制策が出されたことが、家族介護者に大きく影響しているように思われる。」と制度の問題点を指摘しております。

 超高齢化社会(シリーズ第179回参照)の到来とともに、親が認知症を患ってしまうことは、ごく当たり前の時代となりました。自分がいつ介護者となってもおかしくないのです。認知症になっても安心して暮らせる社会づくりは、認知症本人にとってだけでなく介護者にとっても喫緊の課題なのです。


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第20回『認知症の代表的疾患─アルツハイマー病 アルツハイマー病の診断には時間がかかる』(2013年1月3日公開)
 じゃあ、たった1回の診察で「アルツハイマー病です」と診断されたらおかしいってことになるの?

 はい。より正確に診断するためには、少なくとも6カ月は経過観察することが大切なんですよ。
 しかし、家族によっては、初診に至るまでの詳細な経緯をメモ書きして持参されますので、それを読んで、「緩やかな発症と持続的な進行」を確認できれば、初診時にアルツハイマー病と診断が下されるケースは多々あります。

 アルツハイマー病と診断されますと、次には「告知」をどうするかという問題が出てきます。
 認知機能が中等度以上に低下している場合には、告知の意義が乏しい場合がほとんどです。それはご本人の病識が欠如していることが多いからです。
 しかしながらごく初期の若年性アルツハイマー病の場合には、職場の配置換えや休職のタイミングなどをどうしたいかなど、本人の意向を確認しなければ、周囲には決めがたい重要な事柄が多々ありますので告知した方が望ましいと思われます。また、任意後見制度などの問題も絡んできます。
 一方で、アルツハイマー病の安易な告知に警鐘を鳴らす意見もあります。群馬大学大学院保健学研究科の山口晴保教授は、「米国でアルツハイマー病と診断された地域在住高齢者の平均余命は、男性4.2年、女性5.7年と記載されています。本邦では、あなたの病気は認知症ですよ。死なない病気だから心配ありませんなどと無責任に本人に告知する医師がいるのが現状です。現時点では根治療法の確立していないアルツハイマー病の告知は、ガンの告知と同様に慎重でなければならない場合が多いと思います。」(認知症の正しい理解と包括的医療・ケアのポイント第2版 協同医書出版社, 東京, 2010, pp240-242)と指摘しております。
 認知症と自殺に関する統計は少ないのが現状です。医療法人愛生会総合上飯田第一病院老年精神科の鵜飼克行部長は、「自殺企図の頻度は、疾患別では、アルツハイマー型認知症5.9%、脳血管性認知症5.4%と報告されている」(服部英幸編集 鵜飼克行著:BPSD初期対応ガイドライン ライフ・サイエンス, 東京, 2012, pp63-64)と報告しております。
 私は、2004年7月から8月にかけて、アルツハイマー病患者さんの介護者39名を対象として意識調査を実施しました。その結果、39名中34名の方が、「自分自身が認知症になった場合に告知を希望する」と回答していました(住田裕子:認知症の告知の問題. 老年精神医学雑誌 Vol.22 138-142 2011)。しかし、患者さん本人に告知されているケースは34名中8名に過ぎませんでした。
 アルツハイマー病においては、自分自身が患者であるならばきちんと病名を知りたいけれど、家族の立場としては患者さん本人には知らせたくないという難しい問題も抱えているのです。


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第286回『難しい早期診断と告知─告知はやはり慎重に』(2013年10月17日公開)
 松本診療所ものわすれクリニックの松本一生院長(元大阪人間科学大学教授)は著書の中で若年性アルツハイマー病の患者さんが告知を受けたときの状況について記述しております(松本一生:喜怒哀楽でわかる認知症の人のこころ 中央法規, 東京, 2010, p82)。一部改変してご紹介します。
 「浅井豊さん(仮名 58歳・男性)は、大した病気ではないだろうという期待を胸に受診しましたが、検査結果はあっけないほど簡単に伝えられました。MRlの画像診断、知能検査と面接がすべて終了した後、担当医は言いました。
 『浅井さんは若年性アルツハイマー型認知症です。定期的に受診してください。日々のケアや診療は地域の“かかりつけ医”にお願いしましょう』
 彼も妻も、その後の対応をどのようにすればよいか聞きたかったのですが、大病院の外来では話をする時間が限られていました。受診の帰り道、浅井さんは妻に言いました。『病名を聞いただけだから、余計に不安になった』。
 二人は2か月ほど心の内を相談できる相手が見つからず、つらい日々を送りました。」
 この記述のような告知方法は、告知慎重派の私にとってはちょっと信じがたい光景です。
 私の場合には、先ずはご家族に病状説明をし、ご本人に対する告知のメリット・デメリットを説明します。そして家族内で、本人に対する告知に関して協議してもらいます。デメリットとしては、「自死」というリスクに関しても考慮する必要があります(メモ4参照)。
 また自殺幇助との絡みからよく報道されたジャネット・アドキンズさん(メモ5参照)の事例は有名ですね。
 そしてご家族の理解・協力態勢が確認され、本人に病状を受けとめるだけの判断能力があると考えられた事例においては、ご本人に病状説明をするようにしております。告知に対してこれだけ慎重に取り組むことがベストの方法であるのかどうかは、意見が分かれるところだと思います。
 ADNI研究(ADNI研究については、シリーズ第72回『軽度認知障害 物忘れがひどくなったら』参照)においては、アミロイドPET検査で異常集積が確認された場合(preclinical AD=発症前段階のアルツハイマー病を示唆)の受診者への結果説明指針において、結果を開示する条件として以下の3条件を求めており、この態勢をとることができない施設はアミロイドPETに関する検査結果の開示を実施すべきではないとしています。その3条件を以下に示します。
1)検査結果の開示については「J-ADNI研究アミロイドPET検査結果の開示に関する指針」に従って行うこと
2)各施設における倫理委員会で結果を開示する方針が承認されていること
3)結果の開示に対して被験者が抱く不安に対処する態勢が整っていること
 具体的には、A)被験者のカウンセリングに対応する担当者を置く。原則として各施設の臨床責任者がこれを担当する。B)被験者の希望があった場合、長期的にフォローできる態勢をとる。
 東京大学大学院医学系研究科神経病理学の井原涼子医師は、アミロイドPETによるプレクリニカルADの診断が発症前診断にあたるという倫理的問題に絡んで、「現在ではプレクリニカルADが必ず全例ADに移行するのか分かっておらず、被験者への結果説明には万全を期す必要があり、必要に応じてカウンセラーによるケアが受けられる環境を作る必要がある。」(井原涼子:J-ADNIの現況と未来像. 2013年6月号メディカル朝日 29-31)として注意喚起しております。

メモ4:認知症における自殺企図
 認知症と自殺に関する統計は少ないのが現状です。医療法人愛生会総合上飯田第一病院老年精神科の鵜飼克行部長は、「自殺企図の頻度は、疾患別では、アルツハイマー型認知症5.9%、血管性認知症5.4%と報告されている」(服部英幸編集 鵜飼克行著:BPSD初期対応ガイドライン ライフ・サイエンス, 東京, 2012, pp63-64)と言及しております。
 公徳会佐藤病院精神科における検討結果によれば、409例のアルツハイマー病(男性153例、女性256例)のうち13例(3.7%;男性2例、女性11例 平均年齢75.6歳)に自殺企図を認めたそうです。自殺企図例では、うつ状態は持続的で深刻であるとともに、CDR(Clinical Dementia Rating)による重症度分類では全例が初期認知症であったことが報告されています(伊藤敬雄、佐藤忠宏:アルツハイマー型痴呆の自殺企図例についての検討. 臨床精神医学 Vol.27 1455-1462 1998)。
 初期アルツハイマー病患者さんへの告知には、やはり慎重な姿勢が求められるわけですね。
 また、血管性認知症においては、「血管性認知症の場合は、認知症が段階的に悪化し、安定期が長く続くといった特徴があり、自殺率が高い。」(重度の認知症には緩和ケアを. 2011年1月27日号 Medical Tribune Vol.44 48)ことも報告されています。血管性認知症における告知に関しても細やかな配慮が必要となるわけですね。


※アピタル最終回の1つ手前の原稿です。
朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第806回『感情に配慮したケアを─ピンピンコロリ、確率はわずか』(2015年3月28日公開)
 多くの方が願望する「ピンピンコロリ」の希求ですが、シリーズ第223回「親がアルツハイマー病、私の将来はどうかな!─『ありふれた疾患』であり『明日はわが身』」において述べましたように、95~99歳での認知症有病率は77.7%という現状があります。ですから、「ピンピンコロリ」を達成するには、認知症対策がひとつの大きな鍵を握ります。
 厚生労働省のウェブサイトにアップロードされております資料(http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000011wl9.html)の冒頭部分には、仙台往診クリニック(http://www.oushin-sendai.jp/index.html)の川島孝一郎院長の「障害期間・要介護が増加して、そして緩やかに最期を迎える。これが日本人の9割以上に達します。急死率はわずか5%くらいでございますので、ピンピンコロリと亡くなるのではない。」という発言が記述されております。
 私が市民向け講演会の最後にいつも話していることがあります。それは、信濃毎日新聞取材班が77回にわたって連載したルポルタージュをまとめた一冊「認知症と長寿社会─笑顔のままで」のエピローグ(認知症と長寿社会─笑顔のままで 講談社現代新書, 東京, 2010, pp256-259)において提言されております以下の記述です。
 「『老い方』を考えてみたい。敗戦からはい上がり、高度経済成長を実現してきた日本人の多くは、高い生産性を求められてきた。それを支えてきた価値観が『社会の役に立つ』という生き方だった。
 他人を頼らない。死ぬ時は迷惑をかけず、苦しまず─。長寿社会の底流をなす『ピンピンコロリ』の希求も、その延長線上にある。
 だが、老いてもなお自立なのか。急増する認知症が問いかけるのは、長寿社会をつくり上げてきた価値観の転換ではないのか。『誰かの世話になって生きていく』。この当たり前の覚悟を受け入れたとき、長き老いを支え合う仕組みや社会的資源がもっと必要だ、ということにも気づく。

「死にたい」の理解と対応 [自殺防止]

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総論:「死にたい」の理解と対応
はじめに─「死にたい」は自殺の危険因子
 最初に断言しておきたい。「『死ぬ、死ぬ』と言う奴に限って死なない」という通説は迷信以外の何ものでもない。ケスラーらの大規模疫学調査は、自殺念慮を抱いた者の三四%は具体的な自殺の計画を立てており、自殺の計画を立てた者の七二%は実際に自殺企図におよんでいたことを明らかにしている。つまり、自殺念慮を抱いたことのある者の二五%が実際に自殺企図におよんだ経験かあったわけである。そしていうまでもなく、この二五%という割合は一般人口における自殺企図の経験率とは比較にならないほど高い数字だ。この事実だけでも、「死にたい」という発言や考えが、将来における自殺リスクと密接に関連していることがわかるであろう。
 …(中略)…

どうすれば「死にたい」に気づけるか
 …(中略)…
 実際、筆者自身にも思い当たる経験がある。もう一〇年以上昔の話、自殺したある男性患者を最後に診察したときのことだ。そのとき、筆者はうまく言語化できないものの、ある種の違和感のような感触を覚えたのだった。というのも、この数年、渋面しか見せなかった患者か、その日に限って不思議と何か悟ったような、吹っ切れた表情をしていたからだ。突然の変化に、筆者ほ少しだけ胸騒ぎを覚えた。脳裏に「自殺?」という考えが一瞬だけよぎったのも、はっきりと記憶している。しかし筆者は、「まさか」とすぐさまその考えを打ち消し、「次回も気になったら質問しよう」とみずからにいいきかせて診察を終えた。なにしろ、その日は自殺に関する話題を持ち出すのは唐突な気がしたし、「今日くらい、彼を笑顔のまま帰したい」と思った──いや、そうではない。正直にいえば、自分が重苦しい話を避けたかったのだ。
 彼がみずから命を絶ったのほ、それからわずか二日後のことだった。今でも私は、「あのとき質問していれば……」と後悔の念に苛まれることがある。もちろん、たとえ彼の自殺念慮に気づいたところで、その背景にある現実的な困難を解決することはできなかったかもしれないが、少なくとも次の診察日には生きた彼を来院させることができた気がする。単なる時間稼ぎ、一時的な延命に過ぎなかったかもしれない。しかしそれでも、ほんのささいな障壁が人の運命を一八〇度変えることだってある。
 たとえば、サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジから飛び降りようとしているところを警察官によって強制的に退去させられた人たちの追跡調査の結果は、そのよい例かもしれない。その調査によれば、強制的に退去させられた者は、巨大橋梁からの飛び降りというきわめて致死性の高い手段による自殺を決行寸前までいったにもかかわらず、その約九割は七年後にも生存していたというのだ。ちなみに、彼らは決して精神科病院に連れて行かれたわけではない。ただ、パトカーで自宅に送り届けられただけだった。
 繰り返しになるが、自殺念慮に気づくには質問するしかない。援助者のなかには、自殺念慮に関する質問をすることで、「かえって患者の『背中を押す』ことになるのではないか」「もっと精神状態を不安定にするのではないか」と恐れる者もいる。しかし、聞いたからといって患者が自殺しやすくなることを明らかにした研究はいまのところ一つもなく、専門家は口をそろえて「質問しなければならない」と強調している。それどころか、その質問が意思疎通の通路を開く契機となる場合もある。チャイルズとストローザルは、「(自殺について質問されることで)むしろ患者は安心することが多い。質問されることによって、これまで必死に秘密にしてきたことや個人的な恥や屈辱の体験に終止符が打たれる」と指摘している。

 以下省略
 【松本俊彦:総論:「死にたい」の理解と対応. こころの科学 通巻186号 10-16 2016】
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