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朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第807回『感情に配慮したケアを─(最終回)診察室ではメモをどうぞ』 [ひょっとして認知症?]

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第807回『感情に配慮したケアを─(最終回)診察室ではメモをどうぞ』(2015年3月29日公開)
 認知症に関する知識が何もない暗闇の中では、「情報」という一筋の光はひときわ大きな力を発揮します。私自身、患者さん・ご家族の「正確な医療情報を知りたい」という気持ちをごくごく自然に共感できますので、医療情報公開というライフワークに精力的に取り組んできました。
 医療情報普及のためには、インターネットは極めて大きな力を発揮します。因みに、日本初のホームページ(HP)は、1992年9月30日に茨城県つくば市にある文部省高エネルギー物理学研究所計算科学センターの森田洋平博士によって発信されたそうです(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%80%E5%88%9D%E3%81%AE%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8)。
 私がHPを開設したのは、その4年後の1996年6月23日です。1996年8月23日付朝日新聞・家庭面においては、「インターネットで気軽に痴ほう症診断」というタイトルで私のHPが写真入りで紹介されました。
 私は当時、自身のHPにおいて、いくつかの簡易認知機能検査をご家族が実施できるように分かりやすく解説して紹介しており、斬新な試みとして注目を集めました。その目的は、医療機関を受診したがらない患者さんのご家族に使ってもらい、それをきっかけとして早期の受診に繋がればと願い試みたことです。何度も述べておりますように、認知機能検査の結果を自己判断することは危険ですので、最終的には医療機関を受診しきちんと診断を受けることが大切です。
 ネットを活用して医療について分かりやすく情報提供していくことは非常に大切なことだと私は考えております。そして、診療現場において大切なことは、医師が話しやすい雰囲気を醸し出すことです。以前にも述べましたように、診察の最後に確認すべき「大切なひと言」、それはきっと「ご質問はないですか?」のひと言なのではないかと私は思っています。
 私が皆さんにお勧めすることは、診察室で「メモを取る」ことです。メモを自宅で読み返してみて疑問点が出てきたら、インターネットを活用して調べるのです。そして次回診察の折に質問して、自分自身の理解が間違っていないかどうかを確認し、病気に関する理解を深めていくのです。もし担当医師の電子メールアドレスを知っていれば、メールで質問することも可能でしょう。私も、担当患者さんの介護者の方より時折、電子メールにて相談を受けます。
 ご家族にメールのアドレスを伝えて、スムーズに情報交換していこうという試みを実践している医師は極めて稀ではありますが、洛和会京都新薬開発支援センター(http://www.rakuwa.or.jp/chiken/index.html)の中村重信所長(元・広島大学大学院脳神経内科教授)も実践されているようです。そのことが論文においても紹介されておりますので、以下にご紹介します。
 「患者さんの目の前では家族の方も言いにくいことがあるでしょうから、私は家族の方とメールアドレスを交換してメールでやりとりをしています」(中村重信:ガランタミンの1年の使用経験. Geriat Med Vol.50 611-620 2012)。

 NPO法人ささえあい医療人権センターCOML(http://www.coml.gr.jp/)の山口育子理事長は、医療現場にあふれる非常識について以下のように言及しており、インフォームド・コンセントの面においては、医療者から積極的に「メモを取って」と声を掛ける配慮が大切であると指摘しています(山口育子:コミュニケーション、本当に取れていますか? 意外!な患者のキモチ. 月刊保団連2012.5 通巻1098号 11-16)。
 「医療現場のコミュニケーションは非常に特殊です。一般社会と照らし合わせてみると、“非常識”がいっぱいまかり通っています。例えば、一般社会における人間関係の始まりは、あいさつや自己紹介です。しかし、医療現場ではそれらを飛び越えて『今日はどうされましたか?』と本題から入ります。
 さらに、『本日、○○先生は学会にご出席のためいらっしゃらないので、代診の先生が診てくださいます』といった具合に、組織の内部の人間に敬称をつけ、敬語で話すのが医療現場の常識です。一般社会では非常識どころか、あり得ない対応です。しかし、医療者はもちろん、私たち患者も疑問の声をあげるどころか、『そんなものだ』と受け止めてきました。そのような医療界の雰囲気が、患者側の緊張を高めてしまう一因にもなっていたのではないでしょうか。
 とても簡単にできる患者・家族へのサポートとして、説明する場面では、医療者から積極的に『この文書を差しあげますから、どうぞメモを取ってください』『メモが難しければ、大事な部分に○をつけたり、アンダーラインを引いたりしておくと、あとから読み返したときに参考になりますよ』という言葉掛けをしていただきたいのです。医療者が考えている以上に、患者・家族は説明の場面でペンを取り出しメモをすることを躊躇します。実は、とても勇気が必要な行動なのです。しかし、医療者から積極的に勧めてもらえれば、精神的なハードルがぐんとさがります。いますぐ始められる患者・家族へのサポートとして、ぜひともお願いしたいと思っています。」(一部改変)

 私が認知症診療に取り組み初めてからずっと継続している大切な取り組みがあります。それは毎月1回、患者さんおよび介護者の方に、「もの忘れニュース」という一枚の文書を渡していることです。
 第1回のもの忘れニュースは、1998年の1月に配布開始したものであり、それから17年間以上に渡って継続しており、2015年3月号にて通巻207号となっております。
 さて、「ひょっとして認知症?」を執筆担当してから、自身のHPにおいて医療情報を発信することがほとんどなかったため、ホームページは開店休業状態となっておりました。時間に余裕ができましたら、ホームページ等を通して医療に関する情報発信をマイペースで地道に継続し、「医療情報公開」という夢を追って私なりに前向きに歩んでいきたいと思っております。
 患者さん・介護者にとって有益な認知症に関する情報を提供したいと願い、2010年9月28日よりこの「ひょっとして認知症?」のブログ更新に情熱を注いできました。長きに渡り筆者の連載におつき合い頂きましたことを、厚く御礼申し上げます。この辺りでひとまず「ひょっとして認知症?」の連載に幕を下ろしたいと思います。
 読者の皆様の日常的なケア、そして医療関係者の皆様の日常診療のお役に少しでも立つことができたのでしたら、筆者にとって望外の喜びでございます。

告知問題 [ひょっとして認知症?]

告知問題
 アルツハイマー病に対する告知の問題。私にとっても試行錯誤している大切な課題です。
 その告知問題に関わる主な情報を朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」(PartⅠからも少し抜粋)から抜粋してみます。

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朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第20回『認知症の代表的疾患─アルツハイマー病 アルツハイマー病の診断には時間がかかる』(2013年1月3日公開)
 米国でアルツハイマー病と診断された地域在住高齢者の平均余命は、男性4.2年、女性5.7年
 アルツハイマー病と診断されますと、次には「告知」をどうするかという問題が出てきます。
 認知機能が中等度以上に低下している場合には、告知の意義が乏しい場合がほとんどです。それはご本人の病識が欠如していることが多いからです。
 しかしながらごく初期の若年性アルツハイマー病の場合には、職場の配置換えや休職のタイミングなどをどうしたいかなど、本人の意向を確認しなければ、周囲には決めがたい重要な事柄が多々ありますので告知した方が望ましいと思われます。また、任意後見制度などの問題も絡んできます。
 一方で、アルツハイマー病の安易な告知に警鐘を鳴らす意見もあります。群馬大学大学院保健学研究科の山口晴保教授は、「米国でアルツハイマー病と診断された地域在住高齢者の平均余命は、男性4.2年、女性5.7年と記載されています。本邦では、あなたの病気は認知症ですよ。死なない病気だから心配ありませんなどと無責任に本人に告知する医師がいるのが現状です。現時点では根治療法の確立していないアルツハイマー病の告知は、ガンの告知と同様に慎重でなければならない場合が多いと思います。」(認知症の正しい理解と包括的医療・ケアのポイント第2版 協同医書出版社, 東京, 2010, pp240-242)と指摘しております。


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第276回『難しい早期診断と告知─家族には辛い思いをさせたくない』(2013年10月4日公開)
 欧米でも進まない認知症への告知:『必ず』告知しているが5.0%、『しばしば』告知しているが34.2%
 ご本人に対しては辛い告知は控えたいと家族が望む姿勢は、終末期の延命治療において、「自分自身だったら認知症の末期に延命措置は希望しない。しかし、家族には一日でも長く生きていて欲しい」と望む日本人の家族観とどこか共通する部分がありますね。この部分は、日本人の「優しさ」なのだと私は解釈しております。
 辛い告知は控えたいという考えは、かつての早期癌、末期癌告知における告知率の顕著な違いと似かよった問題でもありますね。
 私はかつて、「欧米特にアメリカでは、進行癌であれ、また小児であれ、ほぼ100%の告知率である。しかし日本では、がん告知賛成医師は早期癌で67%(がん告知希望患者86%)、進行がんで16%(同71%)という現状である」という当時の現状を論文において指摘し、カルテ開示にとって支障となる諸問題点について言及したことがあります(笠間 睦:外来カルテ開示に対する反響. 1999年4月17日発行日本医事新報No.3912 時論 73-77 1999)。当時はがんの告知問題が大きな課題でした。しかし、現在は、アルツハイマー病の告知が大きな問題になっています。
 アルツハイマー病の告知に関しては、海外の報告においても賛否両論で意見が分かれている現状が報告されています。
 「ケンブリッジ市の一般開業医に質問紙法で実施した認知症および末期がん患者への告知状況に関する調査では、末期がん患者に対し『必ず』告知しているが27.0%、『しばしば』告知しているが67.6%に対して、認知症患者には『必ず』告知しているが5.0%、『しばしば』告知しているが34.2%であった(Vassilas CA, Donaldson J:Telling the truth;what do general practitioners say to patients with dementia or terminal cancer? British Journal of General practice Vol.48 1081-1082 1998)。このように、認知症患者への告知は、がん患者への告知と比較して開業医が躊跨している現状が分かる。」(今井幸充:認知症の病名告知とインフォームド・コンセント. 日本認知症ケア学会誌 Vol.10 421-428 2012)


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第278回『難しい早期診断と告知─胃ろうに関わる本末転倒』(2013年10月9日公開)
 静謐な命
 確かに本人の意向が不明であると、医師が独断で胃瘻などから経腸栄養を中止したりすることはできません。
 そして高山義浩先生は、アピタルブログ『直観の濫用としての“胃ろう不要論”』において、「私は胃ろう推進論者ではありませんが、胃ろうを選択した方々が後ろめたさを感じることがないよう配慮したいと思っています。寝たきりでも、発語不能でも、それで尊厳がないと誰が言えるでしょうか? コミュニケーションできることは『生命の要件』ではありません。胃ろうを受けながら穏やかに眠り続けている…。そんな温室植物のように静謐な命があってもよいと私は思うのです。」と述べておられましたね。


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第128回『終末期への対応 フランスの終末期の意思決定プロセス』(2013年5月2日公開)
 「4月22日法」(別名、レオネッティ法)─事前指示の権利があり、3年以内有効
 2005年4月22日に制定されたフランスの「4月22日法」(別名、レオネッティ法)は、患者の権利と最期に関する法であり、患者の意思に基づいた治療の中止や差し控えを認める内容となっています。
 東京大学大学院医学系研究科医療倫理学分野の箕岡真子医師は、このレオネッティ法について論文の中で触れております。
 「フランスでは、Leonetii Law(2006)という法律で終末期の意思決定プロセスを規定している。『1条:不合理で執拗(過剰)な医療を拒否できること。5条:協働的手続きの重要性;意思能力がなく、治療の制限・中止が生命にかかわる場合には事前指示の確認、家族の意見の聴取をすること。6条:患者による治療拒否の場合には緩和ケアの義務があること。7条:事前指示の権利があり、3年以内有効』としている。」(箕岡真子:認知症の終末期ケアにおける倫理的視点. 日本認知症ケア学会誌 Vol.11 448-454 2012)
 事前指示書は、いったん記載したらそれで終わりという訳ではなく、少なくとも3年程度を目安として書き換えていくことが求められるわけですね。
 レオネッティ法の詳細に関しては、ネット上でも文献(松田晋哉:フランスにおける終末期ケアの現状と課題. 海外社会保障研究 No.168 25-35 2009)を閲覧することが可能です(http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/19114503.pdf)。
 なお、箕岡真子医師は、法的な問題についても言及しております。一部改変して以下にご紹介します。
 「『看取り』には延命治療の差し控え中止が含まれるため、われわれは『法律や判例に違反していなかったのか』『延命治療である胃ろうをしなかったわたしたちは訴えられることはないのであろうか』と心配になる。もし、本人意思や事前指示がない、または終末期であることや治療の無益性が明確でない、あるいは治療義務の限界といえない場合には、善意で『看取り』を実践しても法的に問題となってしまうことがあり得る。
 認知症終末期の緩和ケアにおいては、がん患者と異なり余命も長いため、『死』を強調するのではなく、『生きること』をより意識する必要がある。そして、緩和ケアは消極的安楽死と異なり、決してすべての治療をやめることではない。無益な延命治療をやめても、『必要な治療』や『快適ケア』は実施されるべきものである。」(箕岡真子:認知症の終末期ケアにおける倫理的視点. 日本認知症ケア学会誌 Vol.11 448-454 2012)
 延命治療を行わず自然な死を受け入れるための倫理的・法的4条件についてまとめておきましょう(箕岡真子:認知症ケアの倫理 ワールドプランニング発行, 東京, 2010, p104)。
 ①医学的に末期であること、治療の無益性が明確であること。
 ②これ以上の積極的治療を望まないという本人意思があること。
 ③家族も同意していること。
 ④合意形成に際して手続き的公正性が確保されていること。

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 本日(2013.12.5)とても興味深い論文を読みましたのでご紹介したいと思います(一部改変)。
 「日本に胃瘻を付けて亡くなった方の人数を示す統計がなく、亡くなる直前にどの程度延命治療を行ったか(あるいは行わなかったか)を示す資料がほとんど存在しないのと同様、フランスにも胃瘻使用や高齢者の終末期にどの程度の医療が行われたかを示す資料が乏しいようであり、少なくとも英文の報告は存在しない。今回の論文は、文献ベースで書かれたものではなく、筆者が毎年フランスの医療現場で聞いた話をもとに、不明な部分を推論でつなぎ合わせてつくり上げた私見であることをあらかじめ述べておく。
 筆者がスウェーデンの施設に訪問したとき、『ヨーロッパ全域で、高齢者に対して基本的に胃瘻などによる延命治療を行わないのか』という質問を行ったことがある。このときの答えが、『北欧では伝統的に高齢者に対する延命治療を行っていないが、イタリアやフランスなどのカソリックの国は違う。これらの国では、積極的に胃瘻がつくられ、延命治療が広く行われている』というものであった。
 1985年の北欧では、伝統的に高齢者に対する胃瘻はつくられなかったが、1985年のフランスでは、積極的に胃瘻をつくるなど、高齢者に対する積極的な延命治療が行われていた。しかし1990年ごろより、看護師や麻酔蘇生医により胃瘻造設に対する疑問の声が上がり、盛んにコンセンサス・ミーティングが行われるようになる。1980年代から猛威を振るったHIVに対し医師が無力感を感じ、HIV患者の治療に対する希望に耳を傾け始めるようになった。同じころ、医学部教育における緩和ケア(積極的に治療を行わない医療)の実習が必須化され、緩和ケアが医学の一分野として認知されるようになった。また、院内感染や医療事故などで訴えられることも多くなり、医師側の敗訴が続き、医師の権威も崩壊した。治療方針決定において患者自らが自分の意見を述べ、その意思が尊重されるようになり、高齢者に関しては静かに死なせようという患者や家族の意向を医師が受け入れるようになった。これら一連のできごとにより、1990年から2005年の間に、延命治療を行うケースと行わないケースの比率が逆転し、急速に胃瘻が減り始めた。
 2002年の患者保護法により、患者がどのような終末を迎えたいかという意思がより尊重されるようになり、2005年のレオネッティー法(尊厳死法)により、医師が安心して胃瘻を行わないという選択ができるようになった。」(高橋 泰:国として終末期を支えるには 国際福祉研究の立場から②─積極的に胃瘻造設を行っていた国から行わない国に変わったフランス. 内科 Vol.112 1445-1449 2013)

実名臨床道場/胃ろう【笠間 睦先生】
 https://jdoctors.m3.com/group/82/thread/411/message/1977
 1990年頃フランスでは、積極的な延命治療が広く行われていた

No.11 高橋泰先生、レオネッティー法について見解を述べて頂けませんでしょうか。【道場主:笠間 睦】
 https://jdoctors.m3.com/group/82/thread/411/message/2128

No.18 フランスにおける尊厳死法実行上の要件【高橋 泰】
 https://jdoctors.m3.com/group/82/thread/411/message/2162
 「フランスにおける尊厳死法実行上の要件は、(ⅰ)医師団による合議、(ⅱ)尊厳死を望む意思を患者が繰り返しの表明すること、(ⅲ)治療の中止又は中断の結果の告知です。それ以外に、患者本人が自らの意思を表明することができない状態になった場合、(ⅳ)信頼できる相談人からの意見聴取、(ⅴ)事前指示書の参照の2つが求められます。
 1990年頃フランスでは、積極的な延命治療が広く行われていたようですが、現在フランスでは、認知症や老衰や誤嚥性肺炎を繰り返すようになった高齢者に対しては、積極的に延命を行うことは非常に少ないようです。また文献では書かれていませんが、毎年フランスを訪れ、現場で話を聴いた印象では、肺炎などの治療も積極的に行うことは少なく、毎年その傾向が強くなっているように思われます。私は、必ずしもこの傾向を礼賛するつもりはありませんが、本人が美しい形での死を望み、周りもその期待に応えようとするとき、そのような形になるのだと思っております。また、日本でも15年から20年遅れで、フランスと同様な死に方を求める人が今後増えていくような気がします。」


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第174回『深刻化する認知症患者の長期入院 在宅政策にシフトしたオランダ』(2013年6月17日公開)
 堀田聰子さん:認知症統合ケア(オランダ) ヘリアント(Geriant)
 認知症ケアの標準化・高度化が進んだオランダにおいては、認知症ケアのガイドラインが作成され、2011年までに全国約90%の地域でケースマネジメントを含む認知症統合ケアが提供されるようになっているそうです(堀田聰子:コーディネートされた認知症ケア─Geriant 2012年7月30日週刊医学界新聞第2988号 4 2012)。なお、オランダにおいては2012年から、認知症登録システム、認知症ケアポータルサイトの構築などにも着手しているそうです。詳細は、週刊医学界新聞第2988号(http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02988_02)をご参照下さい。
 それにしても、認知症国家戦略に関する国際政策シンポジウムにおいて報告された、「認知症の人の入院はない(オランダ)」という報告はショッキングですね。
 2013年3月21日放送のハートネットTV『シリーズ認知症 “わたし”から始まる(2)―オランダ 住み慣れた我が家で―』(http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2013-03/21.html)においては、オランダの現状が報道されました。独立行政法人労働政策研究・研修機構の堀田聰子研究員はオランダを訪れ、認知症政策のモデルとなった認知症在宅ケア事業所「ヘリアント」などを取材しました。ヘリアント(Geriant)は2003年前に設立されました。約200人のスタッフが3700人の認知症の人をサポートしているそうです。
 実はオランダでもかつては(1960年代)、大規模な精神科病院や施設が各地にあり、認知症の人が収容されていたそうです。しかし医療費や施設の建設コストがかかること、当事者団体が「選択の自由」を求めたことから(1970年代)、在宅政策へとシフトされるようになったそうです。
 もちろんオランダにおいても、急に具合が悪くなったりして一時的には入院することもあるそうです。しかし、入院日数(ヘリアントの場合)は通常1~2日(病院、精神科)、長くて8週間(専属クリニック)だそうです。そして、よくなったら自宅に戻ってきて、自宅で皆が支えてずっと最期まで過ごすという態勢がオランダでは構築されつつあるそうです。


朝日新聞アスパラクラブ「ひょっとして認知症-PartⅠ」第190回『奇異な症状さまざま(その2) 叱責する妻や子どもが別人に』(2011年9月16日公開)
 ただ生きるだけが重要なことでなく、よく生きることがより大切だ。この世が苦痛に満ちたものならこの世から去ったほうがましだ。
 「日本では、経管栄養はごくあたり前に実施されています。しかし欧米では、口から食べられなくなった高齢者に対して、経管栄養で延命させることは少ないのが現状です。特にスウェーデンとオーストラリアでは、経管栄養はほとんど行われていない状況です。
 欧米と日本における終末期の対応の違いには、古代ギリシア人やローマ人の思想も絡んでいるようです。『ただ生きるだけが重要なことでなく、よく生きることがより大切だと考え、この世が苦痛に満ちたものならこの世から去ったほうがましだ』(日医雑誌 Vol.126 833-845 2001)という思想的背景です。」


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第105回『終末期への対応 「死に至る病」をどうとらえるか?』(2013年4月9日公開)
 ある意味ね、日本人はですね、そういう状態になったときは本人の幸せよりも家族の想いなんですよ。家族の想いのなかで生きなきゃならないというのが、やはり欧米人との一番の違いなんじゃないですか。これぞねえ、文化なんですよ。患者さんはやっぱり基本的にはご家族の、日本ではご家族のものですから、ね。
 アルツハイマー病(AD)は進行性の疾患であり、やがては「失外套症候群」という状況に陥っていきます。
 失外套症候群とは、大脳皮質の広汎な機能障害によって不可逆的に大脳皮質機能が失われた状態です。しかし脳幹の機能は保たれており、瞬目反射は認められます。口に食物を入れてやると、脳幹機能としての嚥下反射は保たれておりますので飲み込みますが誤嚥しやすく、随意的な咀嚼や嚥下はできません。分かっているかのように眼を動かしますが注視・追視は認められず、無動・無言の状態です。

 さて、失外套症候群に陥った場合に、どういった治療を希望しますか?
 この選択に際して、欧米と日本の差が顕著に出てきます。
 欧米では、口から食べられなくなった高齢者に対して、経管栄養で延命させることは少ないのが現状です。特にスウェーデンとオーストラリアでは、経管栄養はほとんど行われていません。この点に関して、群馬大学大学院保健学研究科の山口晴保教授と東京大学大学院医学系研究科医療倫理学分野の箕岡真子医師は以下のように述べています。
 「日本では、アルツハイマー病が5~10年ほどの経過で死に至る疾患であることがきちんと認識されていない。終末期には、自発語なし、表情なし、四肢の随意運動なし、尿便失禁と失外套症候群に近い状態となる。こうなると嚥下が困難になり、随意的に食べるのではなく、口の中にとろみをつけた食物塊が入ると反射的に嚥下が起こって飲み込む状態となり、いずれはそれも困難になるので、経管栄養(胃瘻を含む)や中心静脈栄養を行わなければ死に至る。スウェーデンでは、このような失外套に近い段階になったら、姿勢、食物の形態など経口摂取のために最大限の努力をするが、飲み込めなくなったら末梢からの点滴による補液のみで看取る。」(山口晴保、箕岡真子:欧米のアルツハイマー病患者への対応. 2006年5月13日発行日本医事新報第4281号・質疑応答 94-95)
 なお、5年よりも短いという指摘すらあります。アルツハイマー病は、「平均生存は3~5年と報告され、米国では死亡原因の第5位(女性)と第10位(男性)を占めるmajor killerである。」東海林幹夫:アルツハイマー病の身体症状と認知症状─症候と検査所見のポイント. Modern Physician Vol.33 78-81 2013)

 一方、日本においては、自分自身の終末期には「延命措置は望まない」という考えの方でも、家族に対しては「少しでも長く生きていて欲しい」という考えから延命措置を希望されることが多いようです。
 そんな日本の終末期医療の現状を見事に捉えたある医師の言葉をご紹介しましょう。
 「ある意味ね、日本人はですね、そういう状態になったときは本人の幸せよりも家族の想いなんですよ。家族の想いのなかで生きなきゃならないというのが、やはり欧米人との一番の違いなんじゃないですか。これぞねえ、文化なんですよ。亡くなるというのはね、そのことが家族に受け入れられるまでの時間が必ずいるんですよね。その時間を作るためにも人工栄養は必要だと。ご本人が自分で意思表明ができなくなればね、そこから先はやはり、家族のなかで生きていかなきゃいけないんですよ。患者さんはやっぱり基本的にはご家族の、日本ではご家族のものですから、ね」(会田薫子:延命治療と臨床現場-人工呼吸器と胃ろうの医療倫理学. 東京大学出版会, 2011, p180)。


私の感想
 「ケンブリッジ市の一般開業医に質問紙法で実施した認知症および末期がん患者への告知状況に関する調査によると、末期がん患者に対し『必ず』告知しているが27.0%、『しばしば』告知しているが67.6%に対して、認知症患者には『必ず』告知しているが5.0%、『しばしば』告知しているが34.2%でした。」
 「北欧では伝統的に高齢者に対する延命治療を行っていないが、イタリアやフランスなどのカソリックの国では、積極的に胃瘻がつくられ、延命治療が広く行われている。」
 「しかし、フランスにおいては、2002年の患者保護法により、患者がどのような終末を迎えたいかという意思がより尊重されるようになり、2005年4月22日に制定されたレオネッティー法(尊厳死法)により、医師が安心して胃瘻を行わないという選択ができるようになった。」
 「欧米では、口から食べられなくなった高齢者に対して、経管栄養で延命させることは少ないのが現状です。特にスウェーデンとオーストラリアでは、経管栄養はほとんど行われていない状況です。」

 上4点から見えてくることは、欧米においても認知症に対する告知は進んでいないものの、経管栄養で延命させることは少ないという現状です。  日本におきましては、患者さんはやっぱり基本的にはご家族の、日本ではご家族のものですから、ね。

医療界の常識は、世間の非常識! [ひょっとして認知症?]

 2010年9月28日より4年半に渡って執筆した朝日新聞社・医療ブログ「ひょっとして認知症?」の最終回の原稿です。


2015.3.29公開
 http://apital.asahi.com/article/kasama/2015032000017.html
第807回 感情に配慮したケアを─(最終回)診察室ではメモをどうぞ
 認知症に関する知識が何もない暗闇の中では、「情報」という一筋の光はひときわ大きな力を発揮します。私自身、患者さん・ご家族の「正確な医療情報を知りたい」という気持ちをごくごく自然に共感できますので、医療情報公開というライフワークに精力的に取り組んできました。
 医療情報普及のためには、インターネットは極めて大きな力を発揮します。因みに、日本初のホームページ(HP)は、1992年9月30日に茨城県つくば市にある文部省高エネルギー物理学研究所計算科学センターの森田洋平博士によって発信されたそうです(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%80%E5%88%9D%E3%81%AE%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8)。
 私がHPを開設したのは、その4年後の1996年6月23日です。1996年8月23日付朝日新聞・家庭面においては、「インターネットで気軽に痴ほう症診断」(http://www.inetmie.or.jp/~kasamie/19960823Asahi.jpg)というタイトルで私のHPが写真入りで紹介されました。
 私は当時、自身のHP(http://www.inetmie.or.jp/~kasamie/)において、いくつかの簡易認知機能検査をご家族が実施できるように分かりやすく解説して紹介しており、斬新な試みとして注目を集めました。その目的は、医療機関を受診したがらない患者さんのご家族に使ってもらい、それをきっかけとして早期の受診に繋がればと願い試みたことです。何度も述べておりますように、認知機能検査の結果を自己判断することは危険ですので、最終的には医療機関を受診しきちんと診断を受けることが大切です。
 ネットを活用して医療について分かりやすく情報提供していくことは非常に大切なことだと私は考えております。そして、診療現場において大切なことは、医師が話しやすい雰囲気を醸し出すことです。以前にも述べましたように、診察の最後に確認すべき「大切なひと言」、それはきっと「ご質問はないですか?」のひと言なのではないかと私は思っています。
 私が皆さんにお勧めすることは、診察室で「メモを取る」ことです。メモを自宅で読み返してみて疑問点が出てきたら、インターネットを活用して調べるのです。そして次回診察の折に質問して、自分自身の理解が間違っていないかどうかを確認し、病気に関する理解を深めていくのです。もし担当医師の電子メールアドレスを知っていれば、メールで質問することも可能でしょう。私も、担当患者さんの介護者の方より時折、電子メールにて相談を受けます。
 ご家族にメールのアドレスを伝えて、スムーズに情報交換していこうという試みを実践している医師は極めて稀ではありますが、洛和会京都新薬開発支援センター(http://www.rakuwa.or.jp/chiken/index.html)の中村重信所長(元・広島大学大学院脳神経内科教授)も実践されているようです。そのことが論文においても紹介されておりますので、以下にご紹介します。
 「患者さんの目の前では家族の方も言いにくいことがあるでしょうから、私は家族の方とメールアドレスを交換してメールでやりとりをしています」(中村重信:ガランタミンの1年の使用経験. Geriat Med Vol.50 611-620 2012)。

 NPO法人ささえあい医療人権センターCOML(http://www.coml.gr.jp/)の山口育子理事長は、医療現場にあふれる非常識について以下のように言及しており、インフォームド・コンセントの面においては、医療者から積極的に「メモを取って」と声を掛ける配慮が大切であると指摘しています(山口育子:コミュニケーション、本当に取れていますか? 意外!な患者のキモチ. 月刊保団連2012.5 通巻1098号 11-16)。
 「医療現場のコミュニケーションは非常に特殊です。一般社会と照らし合わせてみると、“非常識”がいっぱいまかり通っています。例えば、一般社会における人間関係の始まりは、あいさつや自己紹介です。しかし、医療現場ではそれらを飛び越えて『今日はどうされましたか?』と本題から入ります。
 さらに、『本日、○○先生は学会にご出席のためいらっしゃらないので、代診の先生が診てくださいます』といった具合に、組織の内部の人間に敬称をつけ、敬語で話すのが医療現場の常識です。一般社会では非常識どころか、あり得ない対応です。しかし、医療者はもちろん、私たち患者も疑問の声をあげるどころか、『そんなものだ』と受け止めてきました。そのような医療界の雰囲気が、患者側の緊張を高めてしまう一因にもなっていたのではないでしょうか。
 とても簡単にできる患者・家族へのサポートとして、説明する場面では、医療者から積極的に『この文書を差しあげますから、どうぞメモを取ってください』『メモが難しければ、大事な部分に○をつけたり、アンダーラインを引いたりしておくと、あとから読み返したときに参考になりますよ』という言葉掛けをしていただきたいのです。医療者が考えている以上に、患者・家族は説明の場面でペンを取り出しメモをすることを躊躇します。実は、とても勇気が必要な行動なのです。しかし、医療者から積極的に勧めてもらえれば、精神的なハードルがぐんとさがります。いますぐ始められる患者・家族へのサポートとして、ぜひともお願いしたいと思っています。」(一部改変)

 私が認知症診療に取り組み初めてからずっと継続している大切な取り組みがあります。それは毎月1回、患者さんおよび介護者の方に、「もの忘れニュース」という一枚の文書を渡していることです。
 第1回のもの忘れニュースは、1998年の1月に配布開始したものであり、それから17年間以上に渡って継続しており、2015年3月号にて通巻207号となっております。
 さて、「ひょっとして認知症?」を執筆担当してから、自身のHP(http://www.inetmie.or.jp/~kasamie/)において医療情報を発信することがほとんどなかったため、ホームページは開店休業状態となっておりました。時間に余裕ができましたら、ホームページ等を通して医療に関する情報発信をマイペースで地道に継続し、「医療情報公開」という夢を追って私なりに前向きに歩んでいきたいと思っております。
 患者さん・介護者にとって有益な認知症に関する情報を提供したいと願い、2010年9月28日よりこの「ひょっとして認知症?」のブログ更新に情熱を注いできました。長きに渡り筆者の連載におつき合い頂きましたことを、厚く御礼申し上げます。この辺りでひとまず「ひょっとして認知症?」の連載に幕を下ろしたいと思います。
 読者の皆様の日常的なケア、そして医療関係者の皆様の日常診療のお役に少しでも立つことができたのでしたら、筆者にとって望外の喜びでございます。
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