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あら、まったく大丈夫そうじゃない症候群 [認知症ケア]

「私は家族を殺した “介護殺人”当事者たちの告白」─1
 https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160703

 24%って何の数字か分かりますか?
 介護の当事者にしか分からない辛さを如実に表す言葉、『あら、まったく大丈夫そうじゃない症候群』を覚えてますか?
 番組の中でもナレーションが流れましたよね。「家族が何人居ても介護者は一人だけです」って・・。
 介護殺人の「予兆」を見逃さないことってかなり困難な課題のように感じます。75%において介護サービスは導入されており、決して孤立していたわけではないと思うのですが・・。
 特養入所基準「要介護3以上」の壁(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160702-00000003-mai-soci)が改めて浮き彫りになりましたね。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第144回『認知症のケア 「あら、まったく大丈夫そうじゃない症候群」』(2013年5月18日公開)
 若年性アルツハイマー病の夫を介護したアメリカ人女性のジョアン・コーニグ・コステさんが書かれた本においては、「介護することに対して周囲の理解が得られない」ことについて言及されています。『あら、まったく大丈夫そうじゃない症候群』と名付けられた状況を以下にご紹介しましょう(ジョアン・コーニグ・コステ:アルツハイマーのための新しいケア─語られなかった言葉を探して 阿保順子監訳 誠信書房, 東京, 2007, pp213-216)。
 「友人や家族といえども、彼らの行動があなたにとって良いことばかりとは限りません。私がよく見かける一つの特徴は、『あら、まったく大丈夫そうじゃない症候群』と名付けた状況です。友人や親戚などは彼らの見たいところだけを見るため、あなたがどれだけ厳しい状況にあるかといったことに関しては理解できないことが多いのです。一人のケアパートナーが、マーガレットという女性について話してくれたことがあります。彼女は、アルツハイマー病を患っている従兄と一時間半ほどの時間を過ごし、帰り際に『彼、元気そうだわね』と言ったそうです。しかし、マーガレットは従兄に話をさせる機会すら与えなかったといいます。彼は確かに『元気そう』に見えました。それは、マーガレットが来る二十分前に、その日の三度目の着替えを済ませておいたからなのです。こうした訪問の最後に、訪問者がケアパートナーを振り返り、基本的な質問をすることがあるでしょう。『いったい、(患者と一緒にいることの)何が大変なの』と。
 こうした状況は、親がアルツハイマー病を患い、成人している子どものうちの一人がケアパートナーとなっている場合によく起こります。忙しいか遠くに住んでいてなかなか会いに来られなかった他の兄弟が、その大変な状況にようやく立ち会わされたとき、彼らは必ずこう言うのです。『こんなに長い間、あなたがどうやって乗り越えてきたのか、想像もできないわ』。そうなれば、彼らはとても役立つ助っ人となるでしょう。先に述べた誤解は、彼らがあなたの立場に立たない限りはどうしようもないのです。アルツハイマー病患者が、親戚と2~3日、一緒に生活をすることもできるでしょう。また親戚の人たちが、あなたが仕事か何かでいない間の面倒をみることもできるでしょう。
 しかし多くの場合、人びとは否定や拒絶することでのみ、アルツハイマー病患者に対処しようとするのです。このような訪問者には、あまり来てもらわないほうが得策です。」(一部改変)


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第145回『認知症のケア 介護者を支えるという大切なこと』(2013年5月19日公開)
 飯能老年病センターの黒澤尚(くろさわひさし)名誉院長(日本医科大学名誉教授)は、介護者を支えることの重要性について語っています。一部改変して以下にご紹介しましょう。
 「お嫁さんは苦労しているわりには評価されていない。やって当たり前だと思われている。他の家族から非難の対象となっていることが多い。わかってもらえていない。嫁に行った娘からはたまにそれも数時間しか見ていないのに、簡単に『ぼけていない』と言われる。それどころか介護の仕方が悪いと陰口を言われている。夫も任せたと言って逃げている、などなど。
 そこで、お嫁さんの不満や愚痴を聞くようにする(話しやすいようにする)。不満もあれば、十分介護できていないという罪の意識をもっているお嫁さんもいる。状況に応じて、以下のように話をしている。
 みな精一杯それなりに努力しているのだとその努力を認めてほめる。実際には、お嫁さん、あるいは妻に『これまで、よく頑張りました。これからは少し手を抜きましょう。手を抜くことで申し訳ないと思わなくていいんですよ。私の指示ですから』と告げる。そして、これまでの頑張りに対して、私が『頑張りましたで賞』を差し上げます、と表彰状を渡す真似をする。ここで、同伴の介護者(お嫁さん)の1/3くらいの人は涙。ティッシュを渡しながら、『この診察室ではいくら泣いてもよい。ここから出たらもう泣かないのよ』と約束させる。そして、同伴の夫の様子を見ながら『旦那に“ありがとう”と言ってもらったことがあるか』と同伴の妻に開く。多くは『ない』と答える。『ない』と言われた夫には『ここで“ありがとう”を言ってしまいましょう』と勧める。『ありがとう』が出る人もいる。出ると、お嫁さん(妻)はさらに涙ぐんでしまう。同様に『婆ちゃん、お嫁さんにありがとうでしょ』と勧めると、お婆ちゃんの『いつも世話になって…』でお嫁さんは涙ぐんでしまう。お金や物品ではなく感謝の言葉なのだが、夫からはそれがなかなか出ない。」(黒澤 尚:認知症をめぐる臨床的な諸問題─高度(重度)認知症にも目を向けよう─. 老年精神医学雑誌 Vol.23 1208-1217 2012)


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第737回『分かる言葉で伝え、支持する―遠距離、地域に委ねる決意』(2015年1月18日公開)
 最後に、このシリーズのテーマからは少々外れますが、「遠距離介護」の問題について触れたいと思います。
 松本診療所ものわすれクリニックの松本一生院長(元大阪人間科学大学教授)は、遠距離にも関わらずケアがうまく続けられた事例のポイントについて以下のように言及しております(朝田 隆編集:認知症診療の実践テクニック─患者・家族にどう向き合うか 医学書院, 東京, 2011, pp145-146)。
 「まず、遠距離でのケアには人手がかかる。たとえ距離が離れていなくても在宅で認知症の人がケアを受ける際、介護者に過重な負担がかかりすぎないようにするためには、最低でも2.5人の人手を要するものである。まして遠距離であれば、遠くから来る介護者、近くに住む介護者が協力し合わなければケアは行き詰まりやすい。
 しかし、遠距離でしかも本人の近くに住む介護者の人手が全くないような場合にもケアがそれなりにうまく続けられるコツがあった。それは介護者が遠距離にいるという事実を認め、『自分にできることには限界がある』と悟って、足りないぶんを本人の住む地域の支援者に任せることができた場合である。
 筆者がこれまでに支援した遠距離介護のなかには、介護者がニューヨークに移り住んで30年になり、日本にいる父親が80歳でアルツハイマー型認知症になっているというケースもある。その際、介護者である息子は自分の仕事の関係でどうしてもニューヨークを離れることができない事実から目をそらさなかった。父親もこの歳でニューヨークに呼び寄せるわけにはいかない。そこでその息子は、日本の父親が生活している地域で医療、介護保険のサービスをできるだけ活用して、自分ではできないことを見極めて、支援者に委ねる決意を固めたのである。息子は筆者に言った。『こうして遠方にいると、自分にはできることに限りがあると自覚し、家族ほどではないが家族に準じて私が信頼感をもつことができる父親の近くの専門家にお任せすることで心の整理ができました。』
 息子が遠距離をおしてでも自分だけでケアすることは不可能であっただろう。むしろ他人に任せることができて初めて心にゆとりができたのである。このような場合、家族ではないが家族に準じて信頼感をもつことができる支援者をもつことで、その父と息子は拡大家族ネットワークを作りあげたのである。」

認知症の人の精神病院入院 [認知症ケア]

認知症の精神病院入院はやめよう(2011.9.16)

 「介護に疲れた家族を救うため」という大義名分のもと、精神科病院で認知症の人を預かる動きが進行しています。08年には少なく見積もって約5万2千人。さらに増える勢いです。
 「介護の社会化をすすめる1万人市民委員会2010」の代表・堀田力さんの司会で8月に開かれたシンポジウム「各党代表と、これからの認知症ケアを考える」で、精神科医の上野秀樹さんはこう告白しました。
 「以前に勤めていた病院では、認知症の方をたくさん入院させ、困っていたご家族に大変に喜ばれ、良いことをしたと思い込んでいました。今の病院に移り、『入院はできません』というと、ご家族はがっかりします。しかし訪問診療で症状が改善すると、ご家族の喜びはさらに大きく、ご本人の幸せにもつながっています」
 上野さんが診療した540人の高齢者のうち、認知症でどうしても入院が必要な人はわずか5人でした。
 【大熊由紀子:誇り・味方・居場所─私の社会保障論. ライフサポート社, 横浜, 2016, pp76-79】


 「どうしても入院が必要な認知症の人」ってどんなイメージでしょうか。
 松本一生先生が著書の中で精神科病院入院に至った事例を紹介しておりますので以下にご紹介したいと思います。

事例―暑さをきっかけに精神症状が激しくなった宅間次郎さん
 宅間次郎さん(63歳・男性)は、3年前に脳梗塞で2週間ほど入院した後、自宅療養を続けています。息子2人と娘はすでに独立し、現在は妻との二人暮らしです。
 これまで少しずつ脳血管性認知症が進んできましたが、知的能力が高かった人だけに、今なお「自分でできること」も多く、妻には年齢相応の能力低下としか映らないまま、夏を迎えました。
 しかし暑さのせいか、宅間さんの血圧はどうしても安定しません。さらに8月初めに急激な暑さが来たのを境に、もの忘れなど認知症の中核症状よりもむしろ精神面の症状が激しくなり、妻が一睡もできないほど夜中に興奮することが繰り返されるようになりました。
 困った妻がかかりつけの内科医に相談したところ、ある病院を紹介され、入院することが可能となりました。しかし、入院する認知症病棟が精神科病院にあるため、事態は思わぬ展開になってしまいました。温かい雰囲気の病院であり、宅間さんがケアを受けながら入院するには適切な医療機関でしたが、妻は「○○精神科病院」という名前だけで拒否感をもってしまい、ついに入院することを決断できなかったのです。
 しかし宅間さんをそのまま自宅に戻すこともできません。かかりつけ医は妻の不安定な様子を心配しました。かかりつけ医の努力によって、ある整形外科医が開設した近県の一般病院にようやく入院することになりました。

病院での宅間さんへの対応
 彼の入院に際し、精神面に対する薬の処方はその病院でできましたが、問題はケア体制でした。
 交通事故など救急の整形外科の患者が多い病院なので個室に入院することになり、若い男性看護助手が宅間さんを担当することになりました。この看護助手は熱意にあふれた優秀な人でしたが、精神面のケアが必要な患者を担当したことがありません。そのため彼にどう対応すればよいのかわかりませんでした。
 「とにかく精神面で不安定になっている人には抱擁(ハグ)をする」と日ごろから言っていた看護助手は、宅間さんが夜間混乱しているときでも寄り添い、抱きかかえようとしました。しかしその途端、恐怖に顔をひきつらせた彼は看護助手に対してつかみかかっていきました。
 その後、こうしたことが原因となって、宅間さんは退院を迫られるようになるのですが、それまでの10日間、宅間さんは何度も興奮して看護助手を殴りました。
 このことを気にした妻も体調を崩してしまい、結局彼はかかりつけ医が最初に勧めた精神科病院の認知症病棟に転院することになり、ここでようやく落ち着きを取り戻しました。

その人の恐怖をはかり知ること
 このエピソードのなかに、責められるべき人は1人もいません。家族も周囲の支援者も皆、宅間さんのことを思っていたからこそ、いろいろな支援に努めたのです。
 看護助手は、交通事故の患者などに対するこれまでの臨床経験を活かして、自分の心意気を示すこと(ハグ)で利用者のこころに「親しみやすい」印象を与えたかったのです。しかし、ただ1つ欠けていたのは、認知症という病気の宅間さんがどのように世界を理解しているか、どんな状況になれば恐怖を感じて、どう反応するかといったことを、宅間さん自身の立場に立って見極められなかったことだと思います。
 一般的な理解では、相手が安心できるように笑顔を向け、また敵意がないことを示すようハグすることで、信頼感は高まると思います。しかし認知症の人自身がどのような世界を体験して、どのような恐怖を抱くか予想しながらかかわらなければ、その善意は脅威へと変わってしまいます。
 (以下省略)
 【松本一生:喜怒哀楽でわかる認知症の人のこころ. 中央法規, 東京, 2010, pp73-77】

私の感想
 「触れる」ことは、ユマニチュードの4つの柱「見る」「話す」「触れる」「立つ」の一つですが、使い方を間違うとこのような事態になってしまうこともあるということを想定しておく必要がありそうですね。
 ユマニチュードの動画は↓
 https://www.facebook.com/atsushi.kasama.9/videos/595811383921878/?permPage=1

 私自身の経験でも、この方は一般病院での入院は無理だな・・。精神科病院に入院せざるを得ないかな・・と感じるケースがやはりどうしてもあります。必要と判断されれば、介護が破綻する前に決断しなければならない時もあると思います。
 ただ一つ言いたいことは、入院する精神科病院の質を高めて欲しいということです。理想を言えば、石川県立高松病院副院長の北村立医師のような精神科医が増えて欲しいと願っております。
 以下に、北村立医師の取り組みをご紹介します。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第178回『深刻化する認知症患者の長期入院 退院に向けてケア会議』(2013年6月21日公開)
 精神科病院における長期入院の解消に成果をあげている取り組みについてご紹介しましょう。
 2012年11月22日放送のクローズアップ現代(http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3278.html)では、「“帰れない”認知症高齢者 急増する精神科入院」と題して、増え続ける認知症高齢者の精神科病院への入院をどう解消するのかが大きな課題として取り上げられました。
 放送された内容で私が強く印象に残ったのは、石川県立高松病院副院長の北村立(きたむら たつる)医師(精神科医)らの取り組みです。
 北村立医師らは、4年前から退院を促すための様々な取り組みを始めているそうです。まず取り組んだことは、家族や介護施設が抱えている退院後の不安を解消するための退院に向けてのケア会議でした。ケア会議では、家族や介護施設の担当者が集まり、退院後の過ごし方について話し合われます。その中で北村立医師は、「(退院してみて)うまくいかなかったら、また入院すればいいんだし…。やってみないことには分からんから」と話しておりました。
 その他に北村立医師が取り組んでいることが、「早期治療」と「BPSDの予防」です。早期治療とは、医師自ら介護施設に出向き、認知症の行動・心理症状(BPSD)がひどくなる前に治療に取り組むものです。BPSDの予防とは、認知症と診断後に病院のスタッフが患者さんの自宅を訪問し、関係者に集まってもらいBPSDの原因を探りアドバイスする取り組みです
 当日の番組コメンテーターを務めた敦賀温泉病院・玉井顯院長(精神科医)は、北村立医師らの取り組みを見て、認知症はチーム医療が一番大切であるがそれを実践していることが素晴らしく、生活の場を実際に見ているのでBPSDの原因が分かり対処方法を家族に伝えられるし、精神科病院は「最後の砦」なのでいつでも再入院できますよと保証する(バックアップ体制をしっかりする)ことで家族が安心し長く在宅で過ごすことができるのではないかと高く評価しておりました。
 北村立医師らの取り組みは、2013年3月1日付朝日新聞「認知症とわたしたち」においても取り上げられました。記事においては、「入院期間をなるべく短くしようと、病院は4年前から、家やグループホームヘ訪問看護を始めた。症状がひどくなったときには再入院させ、落ち着けばまた家へ帰す。抗精神病薬や睡眠薬などは最小限に抑える。患者の活動量が落ちれば看護は楽だが、寝たきりになって家へ帰れなくなる恐れもある。最近は、患者の半分近くは2カ月以内で退院できるようになった。」とその成果も報道されました。

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 2013年6月15日に放送されましたNHK・Eテレ/チョイスでは、「もし認知症とわかったら」(http://www.nhk.or.jp/kenko/choice/archives/2013/06/0615.html)に関連するチョイスがいくつか示されました。
 私が一番印象に残ったのが、若狭町福祉課地域包括支援センターの髙島久美子さんらが取り組んでいる試みです。
 髙島さんは、若狭町に住む65歳以上の人を年1回訪ねており、戸別訪問により認知症の早期発見に努めております。さらに、家族だけではなくご近所の方に対しても認知症ケアについてアドバイスし、認知症の行動・心理症状(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia;BPSD)を未然に防止することに精力的に取り組まれておりました。
 若狭町では、これらの取り組みによって、認知症患者の入院数(平成24年人口比)が福井県の周辺自治体の約5分の1であったという成果をあげているそうです(嶺南認知症疾患医療センター調べ)。
 町ぐるみで認知症対策に取り組むことにより、BPSDを未然に防止し精神科病院への入院を減らした具体的な事例と言えますね。

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 事例を紹介しよう。90歳の母親を60代後半の娘さんが一人で介護していたケースである。娘さんが急性の心筋梗塞で入院することなり、その日から誰が母親の介護をするかが問題となった。関与していた初期集中支援チームは、残された母親にはほとんど清神症状がないのに、なんと認知症疾患医療センターの民間精神科病院に入院させて、支援終了としてしまったのである。地域の介護施設でショートステイをつなげたり、工夫次第でいくらでも地域生活を継続できていたかも知れないケースである。
 精神科病院は「地域にとって困った存在」を強力に引き寄せ、入院させてしまうことでその存在を目の前から消し去ってくれる。地域で対人的支援を行っている人にとっては大変に便利な施設である。とりあえず「困った人」を引き受けてくれて、問題が解決してしまうので、一回利用すると癖になってしまう。 しかし利用したことによる副作用は極めて大きく、こうした「便利な施設」が地域にあるために、「工夫すれば地域で支えることができる人」がみな精神科病棟に吸い込まれてしまうことにもなりかねない。こうした「便利な施設」があると地域で対人支援を行っている人々が支援方法を工夫することがなくなるので、多様な人を地域で支える仕組みが育たないのである。
 結局、現在の日本では精神科病床が過剰に存在しているために地域力が育たず、いつまでたっても精神障害者を地域で支えられない状態がつくられてしまっているのである。
 さらに、この精神科病院の吸引力のために、私たちは普通に生活していると精神障害がある人と接する機会が奪われてしまい、国民全体の精神障害に関する理解も深まらないのだ。いわば、過剰な精神科病床の存在のために大きな社会的損失が生じているのである。真の共生社会の実現のためには、精神科病床は適正数まで強制的に減少させる必要があると考えられる。
 病床削減の方法としては、厚生労働省の審議会「長期入院精神障害者の地域移行に向けた具体的方策に係る検討会」で検討されていた「病床転換型居住系施設」は極めて問題の大きい、危険な施策である(厚生労働省:長期入院精神障害者の地域移行に向けた具体的方策に係る検討会 http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000000almx.html#shingi141270)。単なる看板の書き換えに終わってしまう可能性が高いことと、日本と同じような精神科医療状況にあるベルギーで、似たような施策を行い、20年以上の社会実験の末に完全に失敗に終わったからである。
【上野秀樹:認知症の人の支援─初期集中支援チームと精神科医療供給体制. 公衆衛生 Vol.78 683-688 2014】

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第179回『深刻化する認知症患者の長期入院 専門病院と介護老人施設の連携をスムーズに』(2013年6月22日公開)
 最後に、石川県立高松病院副院長の北村立医師が論文で報告している理念をご紹介して本稿を閉じたいと思います(一部改変)。
 「在宅や介護老人施設などで対応困難なBPSDが発生した場合、可及的速やかに対応でき、かつ人権擁護の観点から法律的な裏づけがあるのは精神科病院しかないと思われる。したがってBPSDの救急対応も精神科病院の大きな役割として強調されるべきである。
 石川県立高松病院ではBPSDに対する救急・急性期治療の重要性を認識し、早くからそれを実践してきている。具体的には認知症医療においても365日24時間の入院体制を合言葉に、『必要なときに即入院できる』体制を作り上げてきた。
 さて、今後爆発的な増加が予想される認知症の人をできるかぎり地域でみていくためには、BPSDの24時間の対応体制の整備が必要なのは明らかであるが、わが国にはそのような報告は筆者らの知る限りない。
 当院のような365日24時間受け入れ可能な精神科専門医療機関が地域にあれば、多少重症のケースであっても、介護老人施設でぎりぎりまで対応できる可能性が示されている。施設が困ったときにただちに対応すれば信頼が得られ、状態が安定すれば短期間で元の施設に受け入れてもらうことが可能となり、専門病院と介護老人施設の連携がスムーズとなる。
 成人の精神科医療と同様、高齢者に認められる急性一過性の激しい精神症状は、適切に対応すれば容易に消退するものであり、これこそが精神科における認知症急性期医療の重要性を示すものである。また、筆者らの臨床経験からいえば、家族の心配や介護負担感を増やさないようにするには、初診時から365日24時間いつでも受け入れることをあらかじめ保証することが重要である。家族が困ったときにすぐ対応すれば、介護者は余裕をもって介護に当たることが可能であり、近年問題となっている介護者のメンタルヘルスを保つうえでもきわめて有益と考える。」(北村 立 他:石川県立高松病院における認知症高齢者の時間外入院について. 老年精神医学雑誌 Vol.23 1246-1251 2012)

京都式認知症ケアを考えるつどい [認知症ケア]

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=599291603573856&set=a.530169687152715.1073741826.100004790640447&type=3&theater

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第627回『役割と生きがいの賦与―先駆的な京都府の取り組み』(2014年9月30日公開)
 京都府では、「2012京都文書」にも代表されるように、認知症ケアに関して先駆的な取り組みが数多く実践されております。
 洛和会京都新薬開発支援センター所長の中村重信先生(元・広島大学大学院脳神経内科教授)は、京都文書の趣旨について以下のように述べております。
 「85歳の人は一人で平均8個の病気を抱えており、認知症の人はとくに身体合併症が多い。…(中略)… ときには身体疾患を合併した認知症の人が総合病院から入院を断られるという問題も起こっている。そうした現状を踏まえたうえで、認知症を生きる人たちに必要な医療と暮らしの双方を保証するための道筋を探ろうというのが京都文書の趣旨である。」(中村重信:身体合併症のマネージメント. 成人病と生活習慣病 Vol.43 874-878 2013)
 「2012京都文書」は、「認知症を生きる人たちから見た地域包括ケア」の言語化をめざしたものであり、そのエッセンスは「京都式認知症ケアの定義十箇条」としてまとめられております(森 俊夫:認知症の「入口問題」を解決する新たな地域医療・ケアの構築に向けて─「2012京都文書」「京都式認知症ケア」の取り組み. 訪問看護と介護 Vol.18 25-30 2013)。
 さて、『ルポ 認知症ケア最前線』(佐藤幹夫:岩波新書, 東京, 2011, pp32-50)という本においては、「京都式えらべるデイサービス」というユニークな取り組みが紹介されています。
 宮津市のデイサービス「天橋の郷」(http://www.hokuseikai.or.jp/tenkyonosato/)では、小グループ活動を採り入れています。
 「天橋の郷」の北條千恵子施設長は、デイサービスでの活動が家庭でも継続されることの重要性を強調するとともに、ゲームを通した活動経験から、以下の2点を報告しております。
 「ボウリングで個人戦では集中力の持続が難しい方でも、ペアを組んで団体戦形式にすると、直接的にプレーする活動と間接的に応援する活動の両面で楽しむことができた。」
 「男性利用者に受け入れられやすい活動であった。どうしても男性の好む活動は女性より幅が狭い傾向にある。その点、『若い頃よくやった』『身体を動かすと気持ちが良い』という理由で男性にうけが良かったように思われる。」

メモ4:入口問題
 「家族や周囲との関係を含め、すべてを失い、すべてが壊れた後に医療やケアと出会うと、その出会いは、多くの場合、侵襲的なものにならざるをえない。彼らの生活の連続性を断ち、生活を根こそぎにする形ではじまる医療やケアとの出会いは、たがいの不幸である。医療やケアの侵襲性を最小限にするためには、失う前、壊れる前に彼らと出会う必要がある。そこで浮上してくるのが入口問題である。
 出会いのポイントを前に倒すには、医療やケアと出会う部分、つまり医療やケアへのアクセスがスムーズに行われる必要がある。しかし、多くの事例を検討した作業から明らかになったことは、入口部分における『条件のよい人』と『悪い人』との二極分化であり、明らかな不平等であった。つまり入口問題とは単にアクセスポイントの有無だけにとどまらず、社会経済的問題を含んだ『アクセスからの排除』をもたらす要因のことである。しかし、これまではこの問題に明確な焦点があてられることがなかったために、きちんとした分析がなされることなく放置されてきた。ここではじめて方法論が明確になる。認知症の疾病観を変えるためにはまずはこの入口問題を正確に描き出すことであり、つぎにその解決に向けた道筋を明らかにすることである。京大病院老年内科の武地一はこの入口問題を狭義と広義に分け、アクセスからの排除を『狭義の入口問題』、アクセスしたものの医療やケアの対応力が及ばずに結果として排除される場合を『広義の入口問題』として整理した。」(森 俊夫:認知症の地域包括ケア─京都の挑戦. 医学のあゆみ Vol.246 305-309 2013)


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第628回『役割と生きがいの賦与―患者の「私」を主語に12指標』(2014年10月1日公開)
 2013年2月17日に開催された「第2回京都式認知症ケアを考えるつどい」においては、『2012京都文書からみたオレンジプラン ~かなえられた私の思い 五年後の十二の成果指標~』という文書が採択されました。
 余談にはなりますが、2013年の「世界アルツハイマーデー」に京都タワーがオレンジ色にライトアップされたニュースは皆さん鮮明に覚えておられるのではないでしょうか。
 「2012京都文書からみたオレンジプラン」は「京都式認知症ケアを考えるつどい」のトップページ(http://kyotobunsyo2012.jimdo.com/)から「第2回京都式認知症ケアを考えるつどい」をクリックし「2012京都文書からみたオレンジプラン」をクリックするとダウンロード先が表示されており閲覧することができます。
 では、認知症施策の成果指標「2012京都文書からみたオレンジプラン ~かなえられた私の思い 五年後の十二の成果指標~」においては、いったいどのような宣言がされているのでしょうか。
1.認知症を持つ私の個性と人権に十分な配慮がなされている
2.私のできることは奪わず、できないことを支えてくれるので、バカにされ傷つき不安になることはない
3.私が言葉で十分説明できないことがあることも理解されている
4.趣味やレクリエーションなど人生を楽しみたい私の思いが大切にされている
5.社会(コミュニティー)の一員として社会参加が可能であり、私の能力の範囲で社会に貢献している
6.若年性認知症の私に合ったサービスがある
7.私の身近なところにどんなことでも相談できる人と、つねに安心して居られる場所がある
8.私はまだ軽いうちに、認知症を理解し、将来について決断することが出来た
9.認知症を持つ私に最初から終いまでの切れ目のない医療と介護が用意されて、体調を壊したときも、その都度すぐに治療を受けることができる
10.私は、特別具合の悪くなった一時(いっとき)を除いて、精神科病院への入院に頼らない穏やかで柔らかな医療と介護を受けて暮らしている
11.心と脳の働きを鈍らせる強い薬を使わないでほしい、認知症を治す薬を開発してほしいという私の願いにそった医療と研究が行われている
12.認知症を持つ私を支えてくれている家族の生活と人生にも十分な配慮がなされている
 「かなえられた私の思い 五年後の十二の成果指標」は、認知症の“私”を主語にして2018年3月の社会を描いたものであり、それを共通の理念(たどりつきたい地平)とするとともに、2015年2月に中間年評価のための「第3回京都式認知症ケアを考えるつどい」を開催し、最終年の2018年2月には認知症本人がその成果を評価する「第4回京都式認知症ケアを考えるつどい」が開催されることが決定している(森 俊夫:認知症の地域包括ケア─京都の挑戦. 医学のあゆみ Vol.246 305-309 2013)そうです。

ユマニチュード(Humanitude) [認知症ケア]

ユマニチュード(Humanitude)
 https://www.facebook.com/atsushi.kasama.9/videos/vb.100004790640447/595811383921878/?type=2&theater

 私の保存ビデオの中でも最高傑作の一つ、「2014年5月10日放送のTBS『報道特集』」をご紹介します! シェアしたくなるとは思うのですが、著作権の関係がありますので、こっそりと教えて下さいね(「拡散」希望しません)。
 講演会の際にこのVTRをご紹介しますと、涙される方が沢山おられます。
 ユマニチュードの概略が解説されておりますので、「ユマニチュードの基本」を勉強するには好材料であると思っています。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第463回『患者の声が聞こえていますか?─正面から長い時間をかけて近くで話しかける』(2014年4月13日公開)
 なお、「学習された無力感」について、とても興味深い指摘がされております。
 「ルビンスキは、『学習された無力感』という状態について説明しています。これは、出来事や結果が自分の反応に関係なく起きていると認識し、それ以上どんな行動をとっても無意味だと結論を出した時に起きるものです。『認知症がある人は、自分が反応しても無意味だと思うと、反応するのをやめてしまいます』(Rau MT:Impact on families. A chapter in Lubinski, 1991, p142)。そうすると、その人に関わる重要な人たちは、その人が直接反応を示せることや能力をもって対応することを期待しなくなり、依存という悪循環が助長され、その人はさらに力を奪われることになってしまいます。」(マルコム・ゴールドスミス:私の声が聞こえますか─認知症がある人とのコミュニケーションの可能性を探る 高橋誠一/監訳 寺田真理子/訳 雲母書房, 東京, 2008, p133)
 東京都健康長寿医療センター研究所・福祉と生活ケア研究チームの伊東美緒研究員は、フランスのイブ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティの2人が創設した「ユマニチュード(Humanitude)」の研修を受けた際の衝撃を以下のように回顧しておられます。
 「この研修を受け、施設を訪問しているときを振り返ってみると、例えば、静かに寝ている人に対してはわざわざ声をかけることをしないなどの態度がさらに彼らを自分の穀に閉じ込めているのだということに気づき、相当なショックを受けました。
 特に、ジネスト氏が『上から(威圧的に)、短い時間(かかわりを避ける)見下ろされたとしても、見ないよりはずっといい。なぜなら注意を向けられているから』と言われたときには、私は見下すよりもひどい態度をとっていたのか…と愕然としました。」(伊東美緒:多くの認知症ケア理論が存在するにもかかわらずなぜユマニチュードが必要か. 看護管理 Vol.23 922-926 2013)
 そして伊東美緒研究員は、「見つめることの技術」について以下のように言及しております(伊東美緒、本田美和子:ユマニチュードのケアメソッド. 看護管理 Vol.23 914-921 2013)。
 「『短い声かけ』と『短い視線の投げかけ』を行なっただけでは、認知症の人は認識できていないことがあります。私たちとしては伝えたつもりでも、相手からは気づかれていない状況に陥ってしまっているのです。つまり、看護師として何度も声かけをしているつもりでも、相手が認識できる声かけになっていなければ、無視していることと同じことになってしまいます。
 そして、寝たきり、もしくは座りきりにされている認知症の人たちは、自分に目が向けられず、話しかけてもらえない環境に長い間放置され、自分の殻に閉じこもるようになります。なぜなら、見てもらえない、話しかけてもらえない状況は、存在そのものを否定されることであり、人間にとっては最も耐え難いことだからです。
 認知症が進行している人に話しかけるときには、水平に、正面から、長い時間をかけて、相手の顔から20cmくらいの距離で話しかけることを推奨しています。
 優しさを伝える視線の技術
1. 垂直ではなく水平に
2. 斜めからではなく正面から
3. 一瞬ではなくある程度の時間
4. 遠くからではなく近くから」

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ユマニチュード(Humanitude):
 「ユマニチュードは34年前に創始者であるジネスト先生、マレスコッティ先生の2人によって誕生しました。創始者の2人は、体育学の専門家であり、当初、患者の移動などのケアを通じて腰痛を起こした看護師・介護士向けに、腰痛予防を目的とした講義を望まれて病院へ赴きました。しかし、彼らがそこで目にしたものは、医学・看護学の分野では常識ときれているものの、体育学の目からは必ずしもそうでない、数々の事象でした。
 看護師・介護士の長浦を予防するためには、ケアそのものを変える必要がある、と考えた彼らは、『ケアをする人とは何か』『人とは何か』という命題のもとに地道な経験を積み重ね、知覚・感覚・言語による包括的コミュニケーション法を軸としたケアメソッド、ユマニチュードを作り上げました。」(本田美和子:ユマニチュードとの出会いと日本への導入. 看護管理 Vol.23 910-913 2013)

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ユマニチュード(Humanitude):
 2014年5月10日に放送されましたTBS「報道特集」http://www.tbs.co.jp/houtoku/onair/20140510_2_1.html#)におきましては、ユマニチュードに関して具体的かつ詳細な報道がなされました。約24分もの時間を割いて詳しく紹介されましたよ。
 番組の冒頭におきましては、65歳になった足立昭一さんの姿が映し出されました。
 次に映し出されたのは、フランスの病院に入院する認知症患者さんが介護者に怒りながら、時には介護者の手を叩きながら整容を受けるシーンです。
 そして、2014年1月11~12日に東京都千代田区で開催されました第2回(平成25年度)「病院職員のための認知症研修会」(http://www.ajha.or.jp/seminar/other/pdf/131114_3.pdf)では、研修者で会場が溢れかえる様子が映し出されました。

 ユマニチュードに関しては、ひょっとして認知症?のシリーズ第463回「患者の声が聞こえていますか?─正面から長い時間をかけて近くで話しかける」においてほんの少しご紹介しましたね。ユマニチュードを開発したのは、フランスのイブ・ジネストさんです。
 私も詳細を知らなかったためほんの少しだけしかご紹介できなかったのですが、TBS「報道特集」でかなり詳しく報道されましたので理解を深めることができました。
 それでは、TBS「報道特集」の放送内容を振り返ってみましょう。
 イブ・ジネストさんが最初に訪れたのは、横浜市の福祉法人・緑成会の特別養護老人ホーム「緑の郷」です。
 ジネストさんは、特養入居者の一人である小野寺忠夫さん(76歳, 脳疾患により右片麻痺)に手を開き、「ヤー」と挨拶をしながら近づきます。そして、「大工をやっていた」と話す男性に対し、「すごい仕事です」と語りかけます。男性の顔に少しずつ笑顔が戻ります。今までほとんど立つこともなかった小野寺さんが支えながらも少しずつ歩き出す様子が放送されました。

 イブ・ジネストさんはユマニチュードについて以下のように語りました。
 「ユマニチュードは、認知症の人との人間関係・“絆”をつくるテクニックなんです。」
 「『私はあなたの友人ですよ、仲間ですよ』と認知症の人に感じてもらうには、“見る”“話す”“触れる”という3つの行動で伝えることが大切なのです。」
 「認知症の人は相手から見られないと“自分は存在しない”と感じ、自分の殻に閉じ籠もってしまいます。私たち介助者が最初にすべきことは、あらゆる手段を使って、彼らが“人間である”と感じさせることなんです。」
 「認知症の人の場合、相手が優しい人かどうかを知性で判断することが難しくなっています。しかし感情の機能は最期を迎える日まで働いています。ですから、ユマニチュードではその優しさを“感情”にうったえるのです。」

 番組においては、“見る”“話す”“触れる”の3つの具体的な手法も紹介されました。
 近づく際にまず留意する点は、“遠い位置から視野に入る”ことです。
見る:
 目線は正面から水平の高さ(=お互いに平等だということを伝える)、近い距離で長い時間見つめる!
話す:
 優しいトーンで、できるだけ前向きな言葉で友好的に語りかける(この時、大袈裟とも思える位の笑顔を作る!)。
 そして、相手の反応をみながら触れる!
触れる:
 触れる時には触れる場所・触れ方に注意することが必要です。

 イブ・ジネストさんが次に訪れたのは、栃木県足利市の足利赤十字病院です。ジネストさんは、そこに入院する近藤政時さん(94歳)の元を訪れます。3年前に妻を亡くしてから認知症を発症した政時さんは、家中のものを壊すなど徐々に感情のコントロールが利かなくなっていきました。
 看護師が3人がかりで政時さんの口腔清拭を試みますが、政時さんは口を開けようとしません。次にユマニチュードのインストラクターが政時さんの口腔ケアを試みます。インストラクターは、部屋に入る際には、たとえ返事がなくとも必ずノックをして入ります。相手に、「テリトリーに入りますよ」という合図をすることを意識しているのです。
 政時さんは身体拘束を受けておりましたが、ジネストさんとインストラクターは拘束を一つひとつ外していきます。ユマニチュードでは原則として“拘束”はしません。拘束は症状を悪化させる危険な行為だと考えているのです。それは、ユマニチュードでは、“動くことは生きることであり、それを制限することは生きることを否定するという考え方がベースにある”からなのです。
 次に、ジネストさんとインストラクターは政時さんを立たせました。ユマニチュードでは“立つ”ことも重視しています。立つことで、筋肉を衰えさせないだけでなく、立つことで他の人と同じ空間に居ることを認識させるのです。そしてそれが人間の尊厳を保つことに繋がるのだそうです。
 こうして人間関係を構築した後にインストラクターが政時さんの口腔ケアを試みますと、あれ程嫌がっていた政時さんがすんなりと口を開けました。そして何と、「さっぱり致しました」と笑顔で返事したのです。
 入院してから寝たきりだった政時さんでしたが、立って歩く姿、そして何年かぶりに笑顔になった父親の姿を見た息子さん(同病院薬剤部職員)の目には涙が浮かんでいました。
 そして驚くべきことに、ジネストさんがその場を離れた後、政時さんは一人で車椅子から立ち上がることができたのです。「ユマニチュードが政時さんの心の扉を開き、本来持っている力を蘇らせた!」とナレーションは締めくくりました。

 番組の最後に、コメンテーターの方は、「ユマニチュードは“優しさを伝える技術”と言われます。その基本となるのが“見る”“話す”“触れる”ことです。
 ただ、簡単そうに見えても150もの技術があり、東京都健康長寿医療センターの本田美和子医師がセンターの中で研修が行えるよう準備を進めている」と述べておられました。

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売れている本=ユマニチュード入門(医学書院, 2160円)
 「『ユマニチュード』という言葉をご存じだろうか。フランスの体育学者イヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティが開発し、日本の認知症ケアの業界においても、近年、急速に注目されつつある技法である。
 満を持して登場した本書は、ケアの専門書であるにもかかわらず、出版後わずか1カ月間で4万部近く売れたという。介護職のみならず、認知症当事者の家族などが競って購入したのであろう。
 ユマニチユードは、時に〝魔法〟や〝奇蹟〟に例えられる。なにしろ、手に負えない暴力的な人が穏やかになり、拒んでいた食事や入浴を受け入れるようになり、寝たきりだった人が立ち上がって歩き出す、というのだから。
 いささか眉唾と感ずるむきもあろうが、技法の細部を知れば納得できる。『見つめること』『話しかけること』『触れること』『立つこと』を基本として、150以上の具体的な方法論があるのだ。評者は『(立たせるとき)わきを持ち上げない』『(誘導のさい)手首をつかまない』といった工夫に『本物』を実感した。【精神科医・斎藤 環】」(2014年7月20日付朝日新聞・読書)

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 「病気や障害によって他者に頼らざるをえない状態になった人の場合、この『見る・見られる』という関係はどのようになっていくでしょうか?
 ここで、認知症で寝たきりとなったグレゴリーさんという高齢者を3日間観察して得た結果を紹介します。
 3日間の調査期間中、部屋にやってきた人からの視線の投げかけは、0.5秒未満が9回あっただけでした。ユマニチュードでは、相手を『見る』ためには0.5秒以上のアイコンタクトが必要だとされています。グレゴリーさんの部屋には3日間の合計で、医師が7分間、看護師が12分間それぞれ来訪していましたが、彼らとグレゴリーさんとのアイコンタクトはともに0秒でした。
 つまり、『あなたの存在を認めていますよ』というメッセージを発するための『見る』という行為が、医師からも看護師からも行われていなかった、という結果になりました。人としての存在とその尊厳を確認するための行為──第2の誕生をもたらす『見る』行為──は、グレゴリーさんに対し3日間で一度も実施されていなかったのです。

やってみたユマニチュード
 ユマニチュードのテクニックに『目が合ったら2秒以内に話しかける』というのがあります。そんなことは当たり前だと思われるかもしれないですが、目が合わないと思っていた方と目が合うと、びっくりしてこちらも一瞬固まってしまうんです。
 患者さんの立場になって考えると、ふと気づいたら目の前に人がいて、何も言わずにじっとこちらを見ていたら怖いですよね。攻撃しにきたのかと勘違いされてしまいます。2秒以内に話しかけなければいけないというのは、自分が敵意をもっていないことを相手に示すためなんだ、と知りました。
 そういった一つひとつのテクニックが具体的に構築されているところが、ユマニチュードの優れた点だと思います。」(本田美和子、イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ:ユマニチュード入門 医学書院, 東京, 2014, pp46-47)

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 2014年7月20日に放送されましたNHKスペシャル・認知症をくい止めろ!(http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20140720)におきまして、ユマニチュードの実践例が紹介されました。

実践例1【花塚綾子さん, 72歳】
 アルツハイマー型認知症と診断してから13年になる。
 平素は声を上げたり突然怒り出したりコミュニケーションを取ることが困難な状況ですが、ユマニチュードを取り入れたところ、声を上げることが少なくなり柔らかい表情になった様子が映し出されました。

実践例2【岡 四平さん, 88歳】
 2年前に脚の骨折をしてから寝たきりの状態。
 イヴ・ジネストさんが訪室してわずか20分後に2年ぶりに歩いた様子が報道されました。

実践例3【久万辰雄さん, 95歳】
 肺炎で入院したことが契機となって認知症が悪化。このままだと寝たきりにならないかと心配されていました。
 しかし、ユマニチュードを入院中から在宅へと継続して実践(妻のかね子さんが家庭で行うための基本を教わって実践)したところ、2か月後には見違えるようによくなり笑顔も取り戻した様子が紹介されました。

 ユマニチュードの基本である「見つめる」「話しかける」「触れる」「寝たきりにしない」についても若干の解説が加えられました。
 「見つめる」際には、遠くから視野に入り正面から見つめます。認知症の人は視界の中心に居る人しか認識できない場合があるためです。
 「話しかける」時には、実況中継をするように話しかけつづけるのがポイントです。
 「触れる」時はやさしく、「つかむ」のではなく動こうという意志を活かして下から「支える」。
 スタジオゲストの本田美和子医師は、車椅子を押す場合には認知症の人の視野から消えてしまいますが、片手で車椅子を押し、もう片方の手を(軽くではなく少し力を加えて)肩において「いるんだよ」というメッセージを伝えましょうとお話されておりました。

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 ユマニチュード(Humanitude)はイヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティの2人によってつくり出された、知覚・感情・言語による包括的コミュニケーションにもとづいたケアの技法です。この技法は「人とは何か」「ケアをする人とは何か」を問う哲学と、それにもとづく150を超える実践技術から成り立っています。認知症の方や高齢者のみならず、ケアを必要とするすべての人に使える、たいへん汎用性の高いものです。
 体育学の教師だった2人は、1979年に医療施設で働くスタッフの腰痛予防対策の教育と患者のケアへの支援を要請され、医療および介護の分野に足を踏み入れました。その後35年間、ケア実施が困難だと施設の職員に評される人々を対象にケアを行ってきました。
 彼らは体育学の専門家として「生きている者は動く。動くものは生きる」という文化と思想をもって、病院や施設で寝たきりの人や障害のある人たちへのケアの改革に取り組み、「人間は死ぬまで立って生きることができる」ことを提唱しました。
 その経験の中から生まれたケアの技法がユマニチュードです。現在、ユマニチュードの普及活動を行うジネスト─マレスコッティ研究所はフランス国内に11の支部をもち、ドイツ、ベルギー、スイス、カナダなどに海外拠点があります。また2014年には、ヨーロッパ最古の大学のひとつであるポルトガルのコインブラ大学看護学部の正式カリキュラムにユマニチュードは採用されました。
 「ユマニチュード」という言葉は、フランス領マルティニーク島出身の詩人であり政治家であったエメ・セゼールが1940年代に提唱した、植民地に住む黒人が自らの“黒人らしさ”を取り戻そうと開始した活動「ネグリチュード(Négritude)」にその起源をもちます。その後1980年にスイス人作家のフレディ・クロプフェンシュタインが思索に関するエッセイと詩の中で、“人間らしくある”状況を、「ネグリチュード」を踏まえて「ユマニチュード」と命名しました。
 さまざまな機能が低下して他者に依存しなければならない状況になったとしても、最期の日まで尊厳をもって暮らし、その生涯を通じて“人間らしい”存在であり続けることを支えるために、ケアを行う人々がケアの対象者に「あなたのことを、わたしは大切に思っています」というメッセージを常に発信する──つまりその人の“人間らしさ”を尊重し続ける状況こそがユマニチュードの状態であると、イヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティは1995年に定義づけました。これが哲学としてのユマニチュードの誕生です。
【本田美和子、イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ:ユマニチュード入門 医学書院, 東京, 2014, pp4-5】

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 ベッドで寝たままの清拭では、骨に体重がかかることが少ないため骨は強くならず、関節は固くなり、筋力は衰えます。ベッド上安静は1週間で20%の筋力低下を来たし、5週間では筋力の50%を奪ってしまいます(Thomas E et al:Effects of extended bed rest: immobilization and inactivity. Cuccurullo S(ed). Physical medicine and rehabilitation board review. Demos Medical Publishing;2004)。
 重力のない状態で過ごして地球に帰還した宇宙飛行士は、2週間という短期間であっても20%の筋力を失っているという報告もあります(大島 博、水野 康、川島紫乃:宇宙旅行による骨・筋への影響と宇宙飛行士の運動プログラム. リハビリテーション医学 Vol.43 186-194 2006)。すなわち、本人の骨と筋肉に荷重をかけない「寝たままの清拭」は、回復を目指すというケアの目的にかなっていません。
 フランスのある介護施設では、ユマニチュードによるケアの導入後、ベッドで行う清拭が60%から0%になったという報告がありました。これは、受けるべきケアのレベルを再評価してみたところ、それまでベッドでの清拭を受けていた入居者の全員が実は適切なレベルのケアを受けていなかった、ということを示しています。
【本田美和子、イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ:ユマニチュード入門 医学書院, 東京, 2014, pp17,21-22】

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ケアの準備
 第2のステップは、ケアについて合意を得るプロセスです。
 所要時間は20秒~3分です。これまでのユマニチュードの実践の経験では、およそ90%は40秒以内で終わっています。つまり、面倒なようでも、とても短い時間しかかかりません。
 ユマニチュードのこの技術を用いることで、攻撃的で破壊的な動作・行動を83%減らせたという報告があります。実際に日本で、日本人のスタッフが実施してみても、この段階ですでに本人の反応が異なることを数多く体験しています。どんなに業務が忙しくても、40秒程度ならその時間を捻出することはそれほど難しくないはずです。

●正面から近づく。
●相手の視線をとらえる。
●目が合ったら2秒以内に話しかける。
 例:「おはようございます! お会いできて嬉しいです。」
●最初から「ケア(仕事)」の話はしない。
●体の「プライベートな部分」にいきなり触れない。
 ここで気をつけておきたいのは、顔は極めてプライベートな領域であることです。
●ユマニチュードの「見る」「触れる」「話す」の技術を使う。
●3分以内に合意がとれなければ、ケアは後にする。
【本田美和子、イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ:ユマニチュード入門 医学書院, 東京, 2014, pp100-113】

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 私がユマニチュードへの興味を持ち始めたきっかけは、2013年10月、駒沢オリンピック公園の向かいにある国立病院機構東京医療センターを訪ね、総合内科医長の本田美和子先生から話を聞いたことでした。
 その日は、外来棟や入院棟の奥に併設された管理棟の7階、研修医らが生活する寮の中の一部屋をあてがわれた本田先生の執務室に案内されました。
 私は4年ほど前から、NHK総合で放送されている「クローズアップ現代」 (毎週月曜~木曜 午後7時30分から放送)という番組の制作に定期的に携わっており、その時はちょうど、超高齢社会を迎えた日本にどのような変化が起きており、どんな対策を講じる必要があるのかといったテーマを、継続的に取り上げていました。
 その取材の折に、ある大学の研究者から「〝ユマニチュード〟というフランス発のすごい認知症ケア技法がある」と聞き、伝手を頼ってユマニチユードの普及に取り組む本田先生に会い、取材する約束を取りつけたのです。
 取材に先立ち、事前に調べたところでは、ユマニチュードはまだ、日本でほとんど紹介されておらず、看護師のための専門誌で特集されているぐらいで、大手の新聞でも記事はまだわずか。
 テレビに関しては、NHKの「暮らし✧解説」という10分間のスタジオ番組で紹介されただけで、ほとんどないという状態でした。

 この日、本田先生は、ユマニチュードというケア技法の特徴や、それを日本に導入することになった経緯など、この本でもこの後、詳述する様々な興味深い話を聞かせてくれました。
 しかし、この日の取材で最も強く印象に残ったのは、東京医療センターに入院した87歳の認知症の女性をケアする様子を映した映像でした。
 2人の看護師が女性を入浴用のベッドに乗せ、シャワーを浴びせると、女性は「なんでそんなことをするの!」「やめて」「いやーっ!!」と絶叫しています。
 音声だけ聞いていると、まるで女性が拷問されているか、レイプ被害にでもあっているかのような反応ですが、2人の看護師さんたちは、決してその女性を乱暴に扱っているわけではなく、お湯の温度も熱すぎたり、冷たすぎたりしないようきちんと調節していたと言います。
 一人では入浴ができない入院患者である女性を、自分たちがきれいにしてあげようとしているのに予想外の反応を返され、看護師が一体どうしたらいいのか、困惑しきっている表情を浮かべているのです。
 これまでも、介護施設などで認知症の人の取材をしたことは何度かありましたが、改めて、「認知症のケアは、やはり大変だなあ」と感じさせるものでした。

 ところが、次にこの同じ女性に対し、別の日に行われた入浴ケアのシーンを見せられ、驚きました。
 先に見せられた映像では、入浴用のベッドにあおむけに寝かされていた女性が、今度は座った姿勢でシャワーを浴びています。
 対応するのは同じく2人の看護師さんですが、1人は女性の顔を見つめ、話しかけ、もう1人が、シャワーを浴びせているのが最初の映像との違いでした。
 すると、前のビデオでは叫び声を上げていた女性が、「ごめんなさい、騒いでしまって。いつも怖くて怖くて、私、泣いていたの。本当にすいません」と、切々と語り出したのです。
 さらに、「今は気持ちいいですか?」という看護師さんの問いに、「はい。とても気持ちいいです。ありがとうございます」と答えているのです。

 これは、とても衝撃的な映像でした。
 敬語で自分の細やかな感情のありようを切々と訴える様子から、この女性が高い知性を持っていることや、それを培うために積み重ねてきた人生の豊かな歴史が感じられました。
 そして、ただシャワーを浴びせられただけで、まるで拷問を受けているかのように叫び声を上げていた状態は、認知症によって「引き起こされたもの」であることが、はっきり理解することができたのです。
 本田先生の説明によれば、この女性は、ほんの少し前の記憶すら失ってしまうほど認知症の症状が進んでいる状態でした。
 それなのに何日も前に、自分がシャワーの時になぜ叫び声を上げたのかをきちんと覚えていたのです。
【望月 健:ユマニチュード─認知症ケア最前線 KADOKAWA, 東京, 2014, pp14-17】

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 いかに優しく、穏やかにといっても、前向きな言葉を話し続けるのは、なかなかどうして簡単なことではありません。
 特に相手が返事を返してくれたり、相づちを打ってくれなければなおさらです。
 言葉でメッセージを送れば、通常は相手から言語や、言語でなくとも意味のある返答=「フィードバック」があるものです。それがなければ、「今日は、いい天気ですね」「顔色がいいようですね」と、天気と顔色をほめたら、後は何を話していいのか、結構、行き詰まります。
 そこで、考え出されたのが、「オートフィードバック」というユマニチュードのコミュニケーション技術です。
 コミュニケーションを取るのが難しい相手でも、言葉によるメッセージを送り続けるためのエネルギーを自ら作り出し、補給し続ける方法です。
 基本は体を拭くなど何かケアをする必要がある時に、その行為そのものを言葉にするのです。
 「今日は、○○さんにさっぱりしてもらおうと思って、準備してきました」「とっても暖かくしてあるので、すごく気持ちがいいですよ」「それでは、右手から拭いていってもいいですか?」などと、実況中継のように状況を説明していくのです。
 併せて、「こんなにしっかり腕が上がるのは、すばらしいですね」「協力してくれたので、うまく拭けました」「○○さんも、すごく気持ちよかったのではないですか」などど、相手を快くさせる前向きの言葉を添え、ケアの空間を暖かい言葉で満たしていくのです。
 ある看護師さんは、「人間というのは不思議な生き物で、実際に前向きな言葉を口に出してケアを行うと、それがウソにならないように、どう工夫したら相手が気持ちよく感じるかを考えるようになった」と話していました。
【望月 健:ユマニチュード─認知症ケア最前線 KADOKAWA, 東京, 2014, pp36-38】

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総合内科病棟の看護師が感じるジレンマ
 クローズアップ現代で紹介した調布東山病院と東京医療センターの2つのケースは、どちらも、認知症の人と絆を結ぶ重要な役割を、ユマニチュードのインストラクターとして、非常に優れた技術を持つ東京医療センターの林紗美看護師(総合内科病棟・副看護師長 はやしさよし)が担っていました。
 美しさに加え、相手の心を溶かすような笑顔は、取材スタッフの間でも、「自分の親にケアが必要になったら、こういう看護師さんにお願いしたいものだ」とか、「あの笑顔は、ユマニチュードを超越している。反則だ」などと、余計なお世話以外の何物でもない議論のタネになるほどでした。
 しかし、取材に先立つ打ち合わせの時などは、患者さんに接する時のあの優しさはどこに行ったのかと思うほど、厳しい指摘を繰り出してきます。
 それらは、自分たちが預かっている患者さんという病やけがを抱えた人たちに、不必要な迷惑はかけさせないという強さとプロ意識を感じさせるもので、とても好感が持てました。
 冗談で、「ユマニチュードで患者さんに対応する時と、随分違いますね」と言ったら、「ふだんは、文句も不満も言いますよ」と言われ、なるほど、ユマニチュードは個人の性格などではなく、技術なのだなあと妙に納得したのを覚えています。

 その林看護師に、どうしても聞きたいことがありました。
 ユマニチュードが、認知症ケアの分野で、優れた威力を発揮する技術であることは、取材を通して、かなり確信を持てました。
 しかし、日本では、人手不足に苦しみ、朝から晩まで多くの仕事を抱え、それでいて十分な賃金を受け取ることができず、苦悩する医療や介護の職場があり、スタッフがいるという現実があります。
 人と正面から向き合うためには、それだけ多くの時間が必要になります。
 本当に、忙しい職場に、ユマニチュードを普及させることはできるのか、現場で働く看護師から、直接、答えを聞きたかったのです。
 その質問に対し、林看護師からこんな答えが返ってきました。
 「確かに最初は、ふだんから忙しいのに、また何か新しいことをやらなければいけないのかと思って、現場にこれ以上、新たな負担をかけるようなことは、もう無理じゃないかなと思っていました。
 けれど、実際にやってみると、状況が理解できず協力が得られない方やケアを拒否する方には4人、5人が集まって、何とかなだめたり、動いてもらおうと一生懸命、力を使ったり。それでも20分、30分かかって、やりたかったケアができないこともあります。
 それが、ユマニチュードをすることで、確かに丁寧にすごく時間をとっているように見えるけれども、結果としては、とてもスムーズに、こちらがやりたかったこともすぐできる。患者さんが一緒に協力してくれるので、その分、自分の体も楽なので、お互い楽に、スムーズに終わらせることができるのです」
【望月 健:ユマニチュード─認知症ケア最前線 KADOKAWA, 東京, 2014, pp86-89】

尿と便の困りごと [認知症ケア]

 朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第510~520回『尿と便の困りごと』(2014年6月5日~15日公開)

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第510回『尿と便の困りごと―何とかしようとするのは意欲現れ』(2014年6月5日公開)
 ほんの数年前までは希少価値の高かった認知症ケアに関する書物ですが、この2~3年で随分多くの本が出版されました。ただ今回のシリーズにおいて取り上げます弄便・放尿・整容拒否などに関しては、多くの介護者が困っている症状にも関わらず、対処方法に関する記述はとても少ないのが現状です。
 認知症の行動・心理症状(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia;BPSD)のなかでも、弄便(ろうべん)は最も介護者を悩ませる行動障害です。
 弄便とは、不潔行為の一つであり、排便後処理がわからない場合や便尿失禁後の不快感から、素手で便を処理しようとする行為です。そして場合によっては、体や衣類・ベッド柵・壁などにこすりつけたりします。
 頻度的には少ないように思われる弄便ですが実際にはかなり多く認められるという報告もあります。
 岡山大学大学院医歯薬学総合研究科精神神経病態学の寺田整司准教授は、「弄便とは、便を弄ぶ行為であり、認知症の進んだ人にみられやすい。施設入所者246名を対象とした報告では、月数回以上の頻度で弄便がみられる人が23名(9.3%)を占めている。またBPSDを有する在宅認知症患者134名を対象とした調査では、5名(3.7%)で認められている。」(服部英幸編集:BPSD初期対応ガイドライン ライフ・サイエンス, 東京, 2012, pp58-59)と報告しています。
 精神科医の小澤勲さん(故人)は、弄便に至ってしまう認知症の人の心理状況について、自身の介護経験も回顧しながら次のように言及しております。
 「弄便はかなり認知症が進んだ人にみられるのだが、在宅介護では困り果てることの一つである。こんな成り立ちであろうか。
 『お尻のあたりに何かが挟まっているみたいで気持ち悪い。触ってみよう。何かグニョグニョしたものがある。何だろう。でも、これを取り除けばいいんだ。手に何か付いたなあ。布団にこすりつけたら、まあ、何とかなった。お尻のあたりも少しマシになったようだ。あれっ? すごい顔して嫁さんが飛んできた。怒ってる。何を怒ってるんだろう? ひどくまずいことを私はしたらしい。何をしたのだろう…』
 自分に起こった不具合を何とかしようとする人ほど周辺症状、なかでも妄想や徘徊などの陽性症状を招き寄せることが多い。何とかしようという意欲まで失ってしまうと、陽性症状はあまり見られなくなる。その意味では、陽性症状は認知症を生きる人のエネルギーの発露でもある。
 だから、弄便があっても受容せよ、などと無理なことを言っているのではない。ある行動の裏に広がる世界を知って対応することが必要であり、叱責してもまったく意味がないと言いたいだけである。
 ただ、ご家族はそんなことは百も承知で、それでもつい叱ってしまい、自責の念にかられるのである。私もかつて認知症をかかえる父親を自宅で介護していたことがある。ある日、帰宅すると、すさまじい臭いのなかで妻が泣きながら塗りたくられた便の始末をし、畳を拭いていた。つい厳しい叱責の言葉を、私は父に向けていた。妻に対する『すまない』という思いが、このような言動をとらせたに違いない。父はきょとんとした顔をし、それでも嫁のために自分が息子から叱られているらしいと感じたのだろう。妻をにらみつけ、しばらくはギクシャクした関係が続いた。」(小澤 勲:認知症とは何か 岩波新書出版, 東京, 2005, pp159-160)

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弄便:
 「排便に対する不潔行為のことです。介護者の心理的負担を増し、在宅介護を断念する理由として最も高く、アルツハイマー型認知症では約49%、血管性認知症では約32%で認められるとの報告もあります。一方で、施設入居者でも50%以上と、高頻度に認められています。」(羽田野政治:“根拠”に基づく 新しい認知症ケア─「キョウメーションケア」でBPSDが緩和する! 中央法規, 東京, 2013, p72)


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第511回『尿と便の困りごと―あわてず手早く始末する』(2014年6月6日公開)
 さて、弄便への対応はどうすればよいのでしょうか。基本は、排便のコントロールにあります。食事と水分摂取をしっかり行い、便秘をコントロールして、本人が便を手にしないように予防することが大切です。
 大阪大学大学院医学系研究科精神医学教室の數井裕光講師は、「弄便をみつけたら、叱っても効果はありません。びっくりされるでしょうが、あわてず手早く始末しましょう。」(數井裕光、杉山博通、板東潮子:認知症 知って安心! 症状別対応ガイド メディカルレビュー社, 大阪, 2012, pp176-177)とアドバイスしています。
 須貝佑一先生らが書かれた『本人と家族のための認知症介護百科・改訂第2版』(永井書店発行, 大阪, 2010)のpp159-160には興味深いケースが紹介されています。
 「あるアルツハイマー型認知症の女性は、着衣失行の症状(衣類をちゃんと着られなくなる)に対して娘さんが着替えの訓練をするようになってから弄便が生じました。娘さんは手を貸す(援助)と、ますますダメになると思ってそばで注意するだけにとどめていたのですが1時間かかっても終わらなくなり、衣類を順番に手渡す(援助)ことにしたら5分で終わり、弄便もみられなくなりました。『認知症を進めない』という娘さんの取り組みが母親を追い詰めて異常行動に走らせた例です。」
 種々の工夫を凝らしても対応困難である場合には、物理的に大便に触れることができないようにする対応をせざるを得ない場合もあります。おむつを外せないように手袋をはめたり、「つなぎ」と呼ばれる特殊な衣類(拘束衣)を着せて本人が衣類を着脱できないようにするのです。
 認知症ケアに精力的に取り組まれた元岩手医科大学神経内科・老年科准教授の高橋智先生(故人)は、便であることがよくわからずにおむつの中に手を入れて便を手にしてしまう場合が多いので、「弄便行為のある人が排便したときは、介護する人ができるだけ早く便を処理しましょう」(別冊NHKきょうの健康─認知症 よりよい治療と介護のために 2011年3月25日NHK出版発行 pp85-97)と述べています。

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陽気な介護が大切!:
 2013年11月23日に放送されましたNHKスペシャル「母と息子 3000日の介護記録」(http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20131123)にゲスト出演されました新田國夫医師(在宅医の全国組織会長─20年以上在宅医療を実践し、認知症の人など千人近くを自宅で看取っている)は、番組内で流されました元NHKディレクター相田洋さんによるお母様の介護(1998年2月に認知症を発症、2011年に緊急入院するまで自宅で介護した)の様子(ホームビデオ)を見て、「『認知症の介護って普通は陰湿、だから家族はバテちゃってどこかに行かないと(入所)ならなくなっちゃう。』 でも相田さんの様子をみていると陽気です。この『陽気な介護が大切!』」と感想を述べておりましたね。
 番組では、弄便への対応で苦慮する相田洋さんの生々しい映像も流れました。こうした映像が流れることを許可した相田洋さんの信念(=認知症介護の状況をきちんと伝えたいという強い信念)には感服致しました。
 そして、番組のコメンテーターの方々も、「弄便に対しては、あわてず手早く始末する」ことが大切であると述べておられました。


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第512回『尿と便の困りごと―プライドへの配慮、忘れるな!』(2014年6月7日公開)
 また高橋智先生は、「おむつ外し」に関して、「おむつを替えるときに、『今日はいっぱい出ましたね』など、排泄に関することを言われると、屈辱感が増します。排泄については触れず、おむつ替えなど特別なことではないという態度で、手早く淡々と行いましょう。恥ずかしさ以外にも、おむつに違和感を感じたり、排泄物が不快なために、おむつを外す場合もあります。」と指摘されています。
 日本大学文理学部心理学科の長嶋紀一教授の著書『認知症介護の基本』の第四章「認知症の人とのコミュニケーション」(中央法規, 東京, 2008, pp95-115)において、認知症ケアアドバイザーの五島シズさん(全国高齢者ケア協会監事、認知症介護研究・研修東京センター客員上級研究員)は、施設などでよく耳にする言葉の中にも、高齢者の尊厳を傷つける言葉があると指摘しています。
 スタッフが大きなおむつ交換車を引いてきて、部屋の入り口で「皆さん、おむつを替えさせていただきます」と挨拶しました。介護現場ではありがちな光景ですね。しかし、五島シズさんは、これは、「あなたは、おもらししているのよ」ということを周囲の人に知らせているようなものであり、スタッフは気づいていないが高齢者の尊厳を傷つける言葉であると指摘しているのです。
 大阪大学大学院医学系研究科精神医学教室の數井裕光講師も、プライドに配慮することが大切であると指摘しています。
 「『パンツが濡れているから着替えましょう』と声をかけたのでは、ご本人のプライドは傷ついてしまいます。
 『お父さん、汗がすごいですよ。着替えの準備できていますよ』とか『今ちょうど洗濯するところですから、着替えてくれると助かるわ』などと頼むと、あっさり聞き届けてくれるかもしれません。
 『汚い』『臭い』『汚れている』など、嫌な気持ちになる言葉はできるだけ避けて、『きれい』『気持ちいい』『さっぱり』など、聞いて快い言葉で声をかけましょう。」(數井裕光、杉山博通、板東潮子:認知症 知って安心! 症状別対応ガイド メディカルレビュー社, 大阪, 2012, p170)


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第513回『尿と便の困りごと―さっと片付けで、患者が変わった!』(2014年6月8日公開)
 弄便に対しては、數井裕光講師、高橋智先生(故人)が指摘されておりますように、「弄便をみつけたら、叱っても効果はありません。びっくりされるでしょうが、介護する人ができるだけ手早く始末しましょう。」という対応に尽きるようです。そんなことをつくづく感じる事例をごく最近経験致しました。
 患者さんは、80歳代前半の男性患者さんです。2012年に入り意欲低下が目立ってきました。また、風呂での排便、弄便(カーテンなどにこすりつける)、便のついたティッシュをタンスに隠すなどの行動が目立ってくるとともに、怒りっぽくなってきたことに家族が苦慮し、榊原白鳳病院もの忘れ外来に受診されました。
 改訂長谷川式認知症スクリーニングテストは17/30点と低下しておりました。諸検査の結果、アルツハイマー型認知症と血管性認知症の混合型認知症と診断し、リバスチグミン(商品名:リバスタッチ[レジスタードトレードマーク]パッチ、イクセロン[レジスタードトレードマーク]パッチ)を開始しました。また認知症介護における基本的なアドバイス(否定しない、怒らない、患者さんの言葉や行動を受けとめる)を指導致しました。
 診察を終えた後、私は弄便・風呂での排便に関する情報を再収集し、次回の受診時にご家族にお渡しできるよう準備しておきました。例えばこのような資料(http://www.kaigo110.co.jp/dictionary/qa3.php?qano=24435)です。ただ、決め手となるような特別なケアの方法は確立されていない領域の問題でしたので、正直言いますと私も少々重たい気持ちで再診日を迎えました。
 しかしながら1か月後に再診されたときに、ご家族にその後の様子をお伺いしてみると、驚くほどの改善を示されておりました。
 以下は、初回再診日に娘さんが私に話してくれたことです。
 「実は知人に相談し施設入所なども検討しましたが、父が可哀想だったのでやめました。そして母と相談し、覚悟を決めて、弄便があっても怒らずにさっさと片付けるようにしました。また風呂上がりに認知症の貼付剤を貼るときには十分なスキンシップにも心掛け、夜寝るときには子どもをあやすようにして頭をよしよし撫でるようにしました。そうしたら、本人の易怒性が数日で消失しました。お風呂での排泄行為はまだ時々あるものの、弄便行為は無くなりました。最近では本人が、『すまんな、すまんな』と言ってくれるようになりました。」
 これらの改善効果はわずか数日で出現しておりますので、認知症貼付剤の効果だけとは考えがたいです。貼付剤を貼るときなどに行われたスキンシップ、および認知症の行動・心理症状(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia;BPSD)に対するご家族の対処法の変化によって、易怒性と弄便が短期間で著しく改善した事例と言えそうですね。すなわち、風呂での排泄行為に対してご家族から叱られたため、叱られないように便を隠そうとして弄便行為に結びつき、その行為に対してまた叱られたため本人の易怒性が誘発されていた状況であったものと推察されます。


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第514回『尿と便の困りごと―タッチケアで「落ち着き効果」』(2014年6月9日公開)
 スキンシップが功を奏した事例をご紹介しましたので、それに関連して「タクティールケア」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB)についてもお話をしておきましょう。
 タクティールケアは、ラテン語の「タクティリス(taktilis)」に由来する言葉で「触れる」という意味です。スウェーデン発祥のソフトマッサージの一種であり、手や背中を優しく触れたり撫でたりします。近年では認知症ケアなどにも活用されており、認知症の人の不安が軽減し、良好な睡眠が取れるようになったり、行動が落ち着くなどの効果もあるようです(http://fukushi-sweden.net/welfare/kaigonosikata/2007/taktil07.01..html)。
 浜松医科大学地域看護学講座の鈴木みずえ教授らの研究によれば、重度認知症高齢者に対する6週間(1回約20分・週5回で合計30回)のタクティールケアの介入により、認知症の行動・心理症状(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia;BPSD)における攻撃性が有意に改善したと報告されております(Suzuki M et al:Physical and psychological effects of 6-week tactile massage on elderly patients with severe dementia. Am J Alzheimers Dis Other Demen Vol.25 680-686 2010)。この論文の要旨はウェブサイト(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21131675)において閲覧可能です。因みにタクティールケアにおいて撫でるように触れる際のスピードは、リラックス効果が期待される1秒5cm程度のスピードが好ましいようです(鈴木みずえ:タッチケア(タクティールケア)の現状と課題. 認知症の最新医療 Vol.2 185-190 2012)。

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 竹内孝仁先生(国際医療福祉大学大学院教授)は、認知症のタイプを3タイプ(葛藤型、回帰型、遊離型)に分類しております。
 葛藤型、回帰型、遊離型の3タイプについて紹介し、遊離型への対応方法について三好春樹さんが著書の中で解説しておりますので、以下に一部改変してご紹介しましょう(三好春樹:認知症介護─現場からの見方と関わり方 雲母書房, 東京, 2014, pp164,178-183)。
 「葛藤型:老いた自分を受け入れることができず、かつての若い自分に戻ろうとがんばるが、現実の老いた自分を見せつけられ、葛藤が起きる。
 回帰型:老いた自分を受け入れることができず、かつての自分らしかったころに帰ることで、自分を取り戻そうとする。
 遊離型:老いた自分を受け入れることができず、現実から遊離して自分の世界に閉じこもることで、自分を保とうとする。

 遊離型は、老化や障害を持って生きていくことをもはやあきらめ、現実との関係を遮断して、自分の世界に閉じこもることで自分を保とうとするタイプをいう。
 遊離型の問題行動の1つ目は、『無為、自閉』である。つまり、何もしなくなり、人と交わることなく自ら孤立していくことだ。だれかを困らせたりするわけではないから、『おとなしい老人』と思われて、問題行動だとは思われていないかもしれない。
 問題行動の2つ目は、『独語』、つまり独り言である。声をかけても反応せず、一人でブツブツ言って、一人で笑っているようすは、見ていて気持ちのいいものではない。また、遊離が深まると、出された食事にも興味を示さず、口に入れても噛もうとしなくなる。そうなると、生命にかかわることにもなる。
 私たちが老人の自閉に対して行うのは、無理やりの引き出しとは全く違う。むしろ、老人が引きこもったところにまで世界を拡張してしまうことなのだ。つまり、引きこもりを肯定した上で、そこから出発して、老人の回りに世界を形成するのだ。逃げなくていい世界をつくるのである。生きているという実感、生きていてよかったと感じられるような生活を再建するのだ。
 きっかけとなるのは刺激だ。
 …(中略)…
 スキンシップは遊離型の認知症老人に対する最後のアプローチ法だ、といってもよい。介護の上手い人は、上手にスキンシップを使っている。私が提案する『老人ケアのスキンシップ3段階』は次のとおりだ。
 まず握手だ。『また来週来ますから、それまでお元気で』とか、『明日また会いましょう』と言いながら、別れるときに握手をしてみてほしい。
 次が、肩に手を回す。これは、例えば久し振りに会ったときだ。『お元気でしたか?』とか、『どうしてたんですか、しばらく見なかったけど』と言いながら、肩に手をかけてほしい。握手に比べるともっと身体は近づき、心も近づくはずだ。
 そして最後が、頬をすり寄せる。これは急にやるものではないし、やっても気持ち悪がられるだろう。つまり、思わずそうしたくなるような、うれしい場面をつくってほしいのだ。何年も家から出なかった人が、初めてデイサービスにやってきて、幼なじみと出会って涙したときなど、思わず頬をすり寄せたくなるではないか。いくら仕事でもそこまではできない、という人は、もちろんやらなくてもいい。」


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第515回『尿と便の困りごと―タクティールケアの根拠』(2014年6月10日公開)
 タクティールケアの有効性を裏づける科学的根拠として、体内におけるオキシトシンの関与などが指摘されております。日本スウェーデン福祉研究所(http://www.jsci.jp)の木本明恵看護師は、「タクティールケアを通して肌に触れることにより、皮膚にある触覚の受容体が刺激され、知覚神経を介して脳に伝達され、脳の視床下部から血液中にオキシトシンが分泌される。血流によってオキシトシンが体内に広がることにより、不安感のもととなるコルチゾールのレベルが低下し、安心感がもたらされる。」と作用機序について言及しております(木本明恵:認知症高齢者に寄り添うタクティールケア. 老年精神医学雑誌 Vol.22 62-69 2011)。
 またオキシトシンの吸入によって、マカクザルが他者への報酬を考慮して意思決定を行う(=他者顧慮的選択)頻度が増加することも報告(Chang SW et al, 2012)されております(磯田昌岐:マカクザルを用いた社会脳研究の最近の進歩. BRAIN and NERVE Vol.65 679-686 2013)。
 医療法人社団二山会宗近病院の八木喜代子ゆうなぎ病棟師長は、夕暮れ症候群を呈し帰宅願望の目立っていた患者さんに対して、タータン人形を抱いてもらい、手のタクティールケアを毎日行ったところ、安心感が得られ不眠が解消した事例があったと報告しております(八木喜代子:認知症患者へのダイバージョナルセラピー・園芸療法・タクティールケア. 精神科看護 Vol.39 No.11 24-30 2012)。
 認知症を患った高齢女性にタータン人形などのドールセラピーを行うと、子育てという役割の賦与により認知症の行動・心理症状(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia;BPSD)が顕著に改善することは確かによく経験されます。
 ちょっと高額ではありますが、近年では、ドールセラピーにおいてアザラシ型介護ロボット「パロ」(http://www.daiwahouse.co.jp/release/20101021153530.html)を活用している施設もあるようです。
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コミュニケーション障害治療―愛情ホルモン点鼻(名大など臨床試験)
 愛情ホルモンともいわれる「オキシトシン」を、対人コミュニケーション障害の治療に用いる臨床試験が始まる。山末英典東京大医学部准教授と岡田俊名古屋大医学部准教授、それに金沢大、福井大のグループが三十日発表した。
 対象は、かつてアスペルガ一障害といわれた病気が主体。現在は自閉スペクトラム症と総称される。他人の気持ちを表情などから読み取ることができず、コミュニケーションが苦手。多くが男性で、百人に一人以上いるが、有効な治療法はない。オキシトシンは脳から分泌されるホルモンで、出産時に陣痛誘発のために使われている。最近、授乳の促進や他者との信頼関係の強化、さらに親子のきずなを強める働きがあることが分かってきた。
 金沢大の棟居俊夫特任教授と福井大の小坂浩隆特命准教授らは、これまで自閉スペクトラム症の人にオキシトシンを投与し、症状の改善を確認した。東大の小規模な試験でも効果があると分かった。男性に対しては目立った副作用は報告されていない。
 今回は四つの大学で計百二十人の成人男性患者を募集する。七週間にわたってオキシトシンを鼻から吸収させ、偽薬を与えた場合と比較する。効果は、他者の感情を読み取る力などを総合的に判定する。
 研究グループでは「薬として認められるための第一段階。将来は女性や子どもにも使えるようにしたい」と話している。
【2014年10月31日付中日新聞・総合3面】


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第516回『尿と便の困りごと―帰宅願望が消えたケース』(2014年6月11日公開)
 ちょうど良い機会ですので、激しい帰宅願望が解消した自験例をご紹介しておきましょう。患者さんは、90歳代の男性患者さんです。
 2~3年前より物忘れが目立つようになりました。最近になって、デイサービスを利用していても帰宅願望が激しく、杖を振り回す、椅子を持ち上げて暴れるなどの「認知症の行動・心理症状」(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia;BPSD)が目立ってきたため、近くの精神科病院の外来を受診しました。アセチルコリンエステラーゼ阻害薬(ドネペジル、ガランタミン、リバスチグミン)を処方されましたが一向に症状が改善しなかったため、2013年の初春に榊原白鳳病院を初めて受診されました。
 ご家族より詳しく症状をお聞きしますと、便失禁があって便をサランラップで包んでいたり、尿失禁、食べたことを忘れてまた食べるなどの行動も確認されました。改訂長谷川式認知症スクリーニングテスト(HDS-R)は13/30点と低下しておりました。CT検査にて脳萎縮を認め、アルツハイマー型認知症と診断しました。
 私は、処方されておりましたアセチルコリンエステラーゼ阻害薬を中止し、メマンチンによる治療を開始しました。ただし、メマンチンだけではBPSDを完全にコントロールすることが困難でしたので、抗不安薬も追加しました。具体的には、ロラゼパム(商品名:ワイパックス[レジスタードトレードマーク])0.5mgを1日1回朝、メマンチンとともに服薬して頂きました。ロラゼパムは、抗不安作用が強く、血中半減期が短く排泄も速やかで、高齢者には比較的使いやすい薬剤です。
 主たる介護者である娘さんは仕事をされており、在宅介護は限界を迎えている状況でしたので、グループホームの体験入所をすることになりました。薬剤の効果もあったのか無事に体験入所を済まされ、本格的に入所が決まりました。入所したグループホームでの対応が良かったのか、入所後はBPSDも目立たず穏やかに過ごされました。
 しかし、初秋を迎えた頃、「家に帰って年賀状を書きたい」と話されたそうです。デイサービス利用中の激しい帰宅願望が脳裏をよぎり、娘さんは迷って私にも相談されました。「家に連れて帰ったら、『帰らない』と言い張り大騒ぎになるのではないかと心配ですので躊躇します」と話されておりました。
 しかし結局、本人の気持ちにも配慮し、おそるおそる家に連れて帰ったそうです。そこで本人が発した言葉は意外なものでした。
 ほんの少しだけ家を改築したせいもあったのか、食事を済ませると、「ここは俺の家と違う! 帰る」と言ったそうです。そして本人が帰ると言った先は、何とグループホームだったのです。そしてその患者さんは、娘さんが帰った後で施設の職員に向かって、「一生、ここにおらせてくれ」と話したそうです。なお、家に帰ったときに、年賀状の話は一切しなかったそうです。


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第517回『尿と便の困りごと―施設の居心地による解消』(2014年6月12日公開)
 施設の居心地が良いと、いとも簡単に帰宅願望が解消されてしまうケースはあるようですね。もしかするとそうした施設の共通点は、「丸ごと受け入れる空気」なのかも知れませんね。認知症患者さんを丸ごと受け入れる雰囲気がごく自然に空気のように備わっている「桃源の郷」(広島県三原市)を土本亜理子さんが訪れて取材しまとめた著書があります。そこには非常に重要な視点が述べられておりますので以下にご紹介したいと思います。
 「実際、激しい徘徊も、もの集めも、重ね着も、入所して数日、長くても1か月もすれば、回数が激減し、症状が安定してくる。
 ただ、事実、症状は安定してくるのだが、その理由がスタッフにも計りかねる場合がある。かくかくしかじかのケアによって良くなったと総括、分析できるケースがある一方で、スタッフ自身にも『よく分からない』ケースも少なくないのだ。
 いつ頃からか、スタッフたちは、『ここには痴呆のお年寄りを丸ごと受け入れる空気が息づいているからではないか』と考えるようになった。」(小澤 勲、土本亜理子:物語としての痴呆ケア 三輪書店, 東京, 2004, p249)
 念のために申し上げておきますが、「痴呆」に替わる用語の検討がなされ(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/06/s0621-5b.html)、2004年12月24日に「痴呆」は「認知症」に改められております。しかし、『物語としての痴呆ケア』が出版(2004年9月20日第1版第1刷発行)された当時は「痴呆」が正式名称でありました。

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 理学療法士の三好春樹さんが『認知症介護─現場からの見方と関わり方(雲母書房)』という本を2014年5月15日に出版されました。この本は2003年に『痴呆論』として世に出され、その後、「認知症」という呼称が広がりつつあった2009年にあえて『痴呆論』のままで<増補版>として刊行されたものを、新たな題と本文中の「痴呆」の「認知症」への書き換え、および巻頭への新たな章の書きおろしを加えて、改訂新刊として刊行されたものです。
 私は、『痴呆論』は読んだことがありませんが『認知症介護─現場からの見方と関わり方』を読み進めております。その中に非常に印象深い一節がありましたので以下にご紹介したいと思います。

介護者は「最後の母」
 「認知症がもっとも深くなったとき、求めるのは親子関係だが、その極致は、自分が小さい子どもになって母を求めるに至る。
 Kさん(81歳、女性)は、嫁いびりがすさまじいことで近所で有名だった。特養ホームの職員の説得でやっとショートステイに行くことを承諾したのだが、介助して付き添ってきた嫁は、施設の相談員に1時間以上も泣きながら話を聞いてもらったくらいだ。
 しかし、次第に老いと認知症が深まり、気の強かったKさんもすっかり気弱になってしまった。『もうすぐご飯だから待ってなさい』と嫁に言われて、『ハイ』なんて言うようになったのだ。こうして、ショートステイにやってきた嫁は、相談員に悩みを聞いてもらう必要もなくなったらしく、ニコニコ笑いながら帰って行った。
 そのお嫁さんが、以前のような深刻な表情で相談員を訪ねてきた。第一声は『気持ちが悪いんですよ』だった。『何かあったんですか』と相談員が聞いている。『私のことを〝母ちゃん〟と言い出したんです』とお嫁さん。
 『最初は、子どもが私を呼ぶのを真似してるのかと思ったんですけど、そうじゃないんです。ほんとうの母親だと思ってるんですよ。女手ひとつで育ててきた一人息子を奪った憎っくき嫁だった私が、なんで〝母ちゃん〟なんでしょうね?』
 なぜだろうか。認知症は悲惨な世界だと思われている。なにしろ、自分がだれかも、ここがどこかもわからないのだから。しかし、それは赤ちゃんのときと同じである。赤ちゃんは自分がだれかわからないし、ここがどこかも知らない。果たして私たちは、赤ん坊のころは悲惨だっただろうか。
 よくは憶えていないけれど、泣いて訴えれば応えてくれる世界=母がいれば、あれはいい世界だったのではないか。あの時代に、世界との基本的な信頼関係をつくり上げてきたとさえ言われているではないか。ならば、自分がだれか、ここがどこか、がわからない認知症老人が、母を求めるのは当然だろう。
 介護者の仕事は、老人の『最後の母』になることなのだ。もちろん男性でもかまわない。なにしろ介護の世界は『やり手の女と、お人好しの男』が支えていると言われているくらいだから、男性のほうが母性的だったりするのである。」(三好春樹:認知症介護─現場からの見方と関わり方 雲母書房, 東京, 2014, pp158-160)


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第518回『尿と便の困りごと―物質と心の間の興味深い現象』(2014年6月13日公開)
 オキシトシンの話が出てきましたので、余談にはなりますがオキシトシンに関わる非常に興味深い研究成果をご紹介しましょう(開 一夫:赤ちゃんの不思議 岩波新書, 東京, 2011, pp162-165)。
 「オキシトシンは、脳の視床下部という場所で作られ、母乳を出やすくしたり分娩時に陣痛を促進したりするホルモンとして働きます。つまり出産と育児に大切な役割を演じています。しかし、オキシトシンは女性に特有の物質という訳ではありません。男性にもしっかり存在しており、『共感』や『信頼』との関連性を示唆するデータもあります。
 さらに、最近の研究では、『社会的な文脈』における学習能力にも関係していることが明らかにされつつあります。ドイツの研究者らは、健康な男性48人を対象として、学習課題におけるオキシトシンの効果について実験しています。被験者の男性半数には事前に鼻からオキシトシンを含む液体が噴霧され(オキシトシン群)、残りの半数には何も入っていない液体が噴霧されます(プラセボ群)。その後、各被験者は、3桁のランダムな数字がA、Bどちらに分類されるかを学習します。ただし、AとBどちらに属するのかはまったく規則がありません。従って最初のうちはでたらめに答えるしかなく、正答率は半分ぐらいです。しかしこれを数回繰り返すと、だんだんと数字がAとBどちらに属するかを正しく言い当てることができるようになってきます。
 実験のポイントは、被験者が答えたあとに出すフィードバックにあります。フィードバック刺激として、顔表情(正解ならにっこりとした顔、不正解なら怒った顔)を提示する場合と、色刺激(正解なら緑色、不正解なら赤色)を提示する場合を設定しました。つまり、『社会的な文脈』とそうでない状況を設定したわけです。
 実験の結果は非常に興味深いものでした。オキシトシン群とプラセボ群を比較すると、顔表情が正解不正解のフィードバック刺激として使われた場合のみオキシトシン群の学習成績がプラセボ群を上回っていたのです。この結果は、出産・育児で働く物質が、(男性の)社会的学習にも効果があったことを示唆します。まだまだ慎重に研究を進めていく必要がありますが、『物質』と『心』との間には多くの興味深い現象が存在します。」(一部改変)


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第519回『尿と便の困りごと―男でも座ってオシッコの習慣を』(2014年6月14日公開)
 お風呂での排泄行為は、比較的多く観察されます。東京ふれあい医療生協梶原診療所在宅サポートセンター長の平原佐斗司医師がその対処方法について言及しておりますので以下にご紹介しましょう。
 「認知症が重度となると、入浴時などリラックスして副交感神経が優位になることで反射的に排便してしまう場合もあります。この場合は、排便を促す座薬を使用した後、朝食をとり、朝食後30分後に便座に座ります。朝食後に起こる腸の大蠕動と座薬の作用で、自然な排便が促されます。このような方法で直腸を空にしておくと、便失禁が起こりにくくなります。」(安西順子編著:基礎から学ぶ介護シリーズ・気づいていますか─認知症ケアの落とし穴 中央法規, 東京, 2012, pp150-151)
 認知症ケアアドバイザーの五島シズさん(全国高齢者ケア協会監事、認知症介護研究・研修東京センター客員上級研究員)が2013年1月10日に来津され、第10回中勢認知症集談会において、「身近な人に認知症が始まったら」というタイトルでご講演されました。講演の際に私は、「洋式トイレに馴染めない高齢男性認知症患者さんにおいて、お風呂での排便行為が常習化した場合には、どのような対応が望ましいですか?」と質問致しました。
 五島シズさんの回答は、初めはまともなお話でしたが、とんでもない「オチ」が最後に待っておりました。その際の回答内容を私なりにまとめて以下にご紹介しますね。
 「お風呂での排便行為に対しては、便秘をコントロールし排便後に入浴させるというのが基本的な対応になります。
 その排便ですが、ソワソワし出すとか、おならが出るなど、排便前の個々のの兆候をつかみトイレに誘導する必要がありますね。
 夕方お風呂に入れるのであれば、夕方排便するために、朝のうちに下剤を飲ませるとうまく調節できるかも知れませんね。
 洋式トイレに馴染めるよう、男性においても若い頃から、座っておしっこする習慣を身につけてもらうのがよいと私は思っており、息子たちにもそう言っております。」
 なお、五島シズさんは「認知症介護相談室」(http://www.sizusoudanroom.net/)というサイトを運営されており、「何なりと認知症介護相談をお寄せ下さい」と講演の際に話されておりました。

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 排泄のサインについて興味深い記述をしている本がありますので以下にご紹介しましょう。著者は理学療法士の三好春樹さんです。
 「長い生活時間をともに過ごしている介護者、介護職には、何となく老人の気持ちがわかるのである。
 介護アドバイザーの下山名月さんがケアしていたアルツハイマー病のTさんは、いつも鼻歌をうたいながらウロウロしている。その歌が、長調から短調に変わるとおしっこだったという。ちょっと目の焦点が遠くなるとトイレを探していることがわかるGさん、歩いているコースが微妙に変わると尿意らしいNさんなど、いろいろである。
 …(中略)…
 果たして、老人はオムツ交換が屈辱なのだろうか。違う。オムツが屈辱的なのだ。70年も80年もの長い間やってきた、トイレで排泄するという当たり前の生活を、いまから断念させられることが屈辱なのだ。その上、そのオムツもなかなか替えてくれないのでは、もっと屈辱的ではないか。
 『排泄ケアに時間をとられるよりは、コミュニケーションを大事にしたい』などと書くに至っては、あきれてしまう。介護職はウンコ・シッコに関わってこそナンボだ、と私は思う。そもそも排泄ケアよりコミュニケーションのほうが価値があるという近代的人間観こそが、老人問題をつくり出し、認知症を意味のないものと見なすことになっているのである。
 食べたり、出したりといった欲求が低次元なものであり、コミュニケーションや自己実現のほうが高次の人間的欲求であるという、A・H・マズローの『欲求の階層論』に見られる人間観を、私は『関係障害論』(雲母書房)のなかで批判してきた。
 …(中略)…
 『コミュニケーション』という表現が好きなら、私たち排泄に関わる介護職こそが、それを大事にしているのだ。ことばではなくて非言語的な、意識よりは無意識の、そして老人が自分自身と行うコミュニケーションをこそ大切にしている。それは尿意、便意という、自分の身体の中からの声に耳を傾け、判断し、応えることである。」(三好春樹:認知症介護─現場からの見方と関わり方 雲母書房, 東京, 2014, pp124-127)


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第520回『尿と便の困りごと―取り繕いや不快感をなくす努力の結果が……』(2014年6月15日公開)
 岡山大学大学院医歯薬学総合研究科精神神経病態学の寺田整司准教授は、「弄便の背景となる因子としては、認知障害が高度であること以外に、怒りっぽいとか介護に抵抗するなどの陰性感情や陰性行動が目立つ場合に多いこと、不眠や徘徊(continuous wandering)と合併しやすく、夜間にみられやすいことが示されている。排便との関係では、便失禁が直接的な原因であり、排便行為とその後始末がうまく行えないことで発生するとされる。便秘が主要な原因であるとする報告もあれば、むしろ下痢気味のときに起こりやすいとの指摘もある。
 背景にある認知症疾患は様々であり、特定の疾患には限定されない。機序としては、便を認識できないとか、トイレの場所がわからないなど失認による場合もあるが、何とか処理しようとしてうまくできずに汚れを広げてしまったり隠してしまう場合や、不快感を取り除こうとして触ってしまう場合が多い。」(服部英幸編集:BPSD初期対応ガイドライン ライフ・サイエンス, 東京, 2012, pp58-59)と述べております。
 そして、直ちにできる弄便に対するケアとして、寺田整司准教授は以下の実践を推奨しております。
・自分で処理しようとしていたと考えられる場合、その気持ちを評価する。
・本人が精神的に不安定な場合、混乱を助長しないよう冷静に対応する。
・便通異常がある場合、食事内容の再検討や運動の実施を考慮する。
・トイレの場所をわかりやすくする。
・トイレに行く時間を決めたり、トイレ誘導の回数を増やす。
・トイレの徴候を見逃さず、誘導などの対応を行い、見守る。
・頻回にある場合や食べてしまうなど重度の場合には、簡単には触れない工夫をする。

優しさをどう指導するか・・ [認知症ケア]

 大阪大学大学院医学系研究科・精神医学分野の数井裕光先生が、2016年4月24日に開催されました第15回日本認知症学会教育セミナー(in 砂防会館別館)におきまして『認知症診療のトピックス:BPSDの包括的治療』というタイトルでご講演されました。
 その際に私は、数井裕光先生に対して、私が日頃から悩んでいることを質問してみました。

 「亡くなられた京都大学の小澤先生が『認知症ケアはやさしさがあればできますよ』と言われているのですが、優しさって指導することが難しいですよね。下手に指導したら個人の人格否定になりかねませんし・・。でも『私が優しくないからケアが上手くいかないのかな・・』って悩んでいる介護者・ケアスタッフもおられますので、何か数井先生の感じるところがありましたらアドバイス頂けますと幸いです。」という質問内容です。
 難問とは感じつつも、何でも知っている数井先生なら、もしかしたら良いアドバイスを頂けるかな・・と期待を込めて質問してみたのです。

 数井先生は、「時間に余裕がないと優しくなれないから、認知症ちえのわnetなどで基礎を身につけ時間に余裕を持って介護していけばその分優しくなれるのではないでしょうか」と回答して下さいました。
 「認知症ちえのわnet」におきましては、さまざまなBPSD対応法の奏功確率が公開されております。
 http://orange.ist.osaka-u.ac.jp/

 数井先生、アドバイスありがとうございました。
 以下に、「やさしさがあればできますよ」の引用元を提示致します。


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第374回『その人はどう生きたかをきっかけに─ある日、玄関に便があった』(2014年1月14日公開)
 『とにかく外へ出ない、出たがらない人で、人と会うのもお嫌なんですね。外に出ないのだからデイヘの送り出しは難しい。とりあえずヘルパーさんに入ってもらったのですが、居室は椅子がひっくり返ったりして家具が散乱していることがしょっちゅう。トイレはウォシュレットに手をかけてしまうため、水浸しです。そのAさんのところに通ったうちのヘルパーさんの報告を受けていたらこんな話がありました。
 ある日、玄関に便があった。ヘルパーさんは、Aさんに何も言わないでそれを片づけてきたと言うのです。散乱している家具もそうです。ヘルパーさんはそれを元通りにし、水でびしょびしょのトイレは拭いてくる。そうやって淡々と元通りにしていたら、Aさんがだんだん心を開いてくれるようになったというのです。
 ああ、そうなんだ、これって考えてみるとすごいなと思いました。玄関に便があって、それを誰かに詰問されたら、Aさんは自分ではないと言ったり、動揺したりするでしょう。ですが、ヘルパーさんが何も言わないで静かに片づけ、まるで何事もなかったかのように生活が元通りになったら、Aさんにとっては気持ちのなかでゆれがないわけですよね。それは、認知症の人にとっては気持ちの上でとても楽なのだろうなあと思ったのです』

 当初ヘルパーに対して拒否的な態度だったAさんが、あるヘルパーに対しては心を開いていった。その理由を聞いていて気づいたのが、『気持ちのゆれをつくらない介護』だったという。生活基盤が安定すれば、認知症の人も穏やかに暮らせるのではないか、と伊藤さんは考えた。
 頑なだったAさんの心を開いたのは、一人のヘルパーの配慮あるケアだった。しかしこれは多分にそのヘルパーの資質にもよる。では、訪問介護に入るヘルパー全員が『ゆれをつくらない介護』をするにはどうしたらいいか。伊藤さんはこのとき、『一日が何事もなくふつうに過ぎていけるように支援するという最低限のケア』を考えたという。」(小澤 勲、土本亜理子:物語としての痴呆ケア 三輪書店, 東京, 2004, pp266-268)
 実は、伊藤美知さんが通所施設を開くにあたって相談したのが「れんげの里」施設長である柳誠四郎さんでした。そして、その柳さんの紹介で精神科医の小澤勲さん(故人)のもとを訪れた際に、小澤勲先生は伊藤さんに対して、認知症のケアは「やさしさがあればできますよ」(小澤 勲、土本亜理子:物語としての痴呆ケア 三輪書店, 東京, 2004, p260)と話されております。
 伊藤さんはAさんの事例を通して、「小澤先生が最初におっしゃった『やさしさがあればできますよ』という言葉は、もしかしたら、このことかなと思ったんです。ゆれがないように支援するというのは、すごいやさしさなのではないかな、と。こじつけかもしれませんが、そう思ったのです」(小澤 勲、土本亜理子:物語としての痴呆ケア 三輪書店, 東京, 2004, p268)と語っておられます。

トム・キットウッド教授 [認知症ケア]

朝日新聞アスパラクラブ「ひょっとして認知症-PartⅠ」第62回『パーソンセンタードケア センター方式(その1)』(2011年公開)
 認知症になるとなぜ「不可解な行動」を取るのでしょうか? 確かに傍目から見れば奇妙な行動を取っているように思われます。しかしその背景には、本人なりの理由があることが多いのです。患者さんの生活歴などを詳しく知ることで、その行動の背景にある心理状態を理解できることがあります。

 イギリスの臨床心理学者である故トム・キットウッド教授は、従来より行われてきた医学的な対応を中心としたケアから脱却し、パーソンフッド(personhood=その人らしさ)を大切にするケアという新しい概念すなわちパーソンセンタードケア(person-centered care)を提唱しました。
 パーソンセンタードケアは直訳すれば、「人中心のケア」ということになります。すなわち、認知症高齢者としっかり向き合い、認知症となっても「その人らしさ」を尊重するケアなのです。
 
 しかし、言うは易く行うは難しでパーソンセンタードケアを実践に移すことは、決して簡単なことではないというのが現実です。
 キットウッドは、パーソンセンタードケアをケアの現場で実践するために、認知症ケアマッピング(dementia care mapping;DCM)というツールを開発しました。専門の研修を受けた「マッパー」と呼ばれる観察者が、施設で過ごす認知症患者さんと介護者の行動を5分ごとに6時間観察して、患者さんが種々の行動をどのような状態で行っているかを記録します。一人のマッパーが観察できる人数は数名程度です。
 例えば、「急がせる」「できることをさせない」「無視する」といった行為は認知症の人を傷つける行為として捉えられ、良くないこととして記録されます。
 認知症ケアマッピングにより、その人の状態を示す地図が作成されるとともに、介護の質が客観的に評価できるようになります。そして、ケアのリフレクション(内省)によりマッピングを繰り返すことで、認知症ケアの質が高まる効果が期待できます。
 認知症ケアマッピングの具体例は、NHKの福祉ネットワーク(http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/arch/tue/60124.html)で放送されたものをご参照下さい。なお、日本でのパーソンセンタードケア導入の窓口になっているのは、認知症介護研究・研修大府センター(愛知県大府市)です。
 認知症ケアマッピングの講習会には、基礎コースと上級コース(それぞれ3日間)があります。詳細は、「認知症ケアマッピング(DCM)法研修」(http://www.dcnet.gr.jp/sougou/sougou_02a.html)をご覧下さい。

 日本人初のパーソンセンタードケア認定トレーナーである水野裕医師が書かれた著書(実践パーソン・センタード・ケア ワールドプランニング, 東京, 2010)の「はじめに」(pp3-5)には非常に印象深い記述があります。
 「パーソンセンタードケアの考えによりケアが楽になるわけではありません。…(中略)…逆に、負担を覚え、大変になるかもしれません。認知症ケアは、やさしい仕事ではありません。…(中略)…自分たちの想像力と創造性が頼りなのです。1人ひとりがみんな違うため、マニュアル化もできません。
 また水野裕医師は、「パーソンフッドという言葉には、日本でいうところの『その人らしさ』だけでは表現できない深い意味がある」と指摘しています。


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第71回『幼老統合ケア 認知症の元教育ママが大活躍』(2013年3月4日公開)
 三重県桑名市において取り組まれている託老所と隣接する保育園が共有のスペースを作り、高齢者と子どもが触れ合う活動の様子は、「認知症フォーラム.com」(http://www.ninchisho-forum.com/index.html)の動画サイト(http://www.ninchisho-forum.com/movie/00000073/)において閲覧できます。サイトにアクセスし、「動画を見る」を押して下さいね。
 三重県桑名市にあるウエルネス医療クリニック(http://www.kuwana.ne.jp/wellness/index.html)の多湖光宗院長は、認知症高齢者の役割づくりの具体例として、認知症高齢者の行動障害を逆に活用する試みを紹介しています(苛原 実・編著:認知症の方の在宅医療 南山堂発行, 東京, 2010, pp165-171)。
 「『しつけ』の語源は『しつづける』である。認知症高齢者の行動障害の『繰り返し』が役立つ。普通の大人なら1回か2回でイヤになったりあきらめたりすることを何回もしつこくする。『何回も教える。何回もしかる。何回もほめる』、それも本気でする。この能力を生かすべきだ。以前学童保育『パンの木』の子どもたちを『宿題は無理。学習障害児の集まり』と元教員の指導員らは見放していた。また、『宿題しないのも個性のうち』と親や子どもたちには体裁を繕っていた。認知症の元教育ママたちは、宿題するのは子どもの義務で当たり前と思っており、①騒いでいる子を『本気でしかり』机に座らせる、②机に座って落ち着くまで見守る、③できているかチェックして、できていればほめる、このことを繰り返し行い、子どもたちの宿題習慣をつけるのに大きな貢献をした。なお、子どもはこの繰り返しを通常平気で楽しめる。また十分な時間もお互いにある。」
 ウエルネス医療クリニックの試みは、幼老統合ケアの実践例として「高齢者住宅新聞」(http://www.koureisha-jutaku.com/news2011/news_110805002.html)でも紹介されています。
 多湖光宗院長らは2001年より学童保育を併設するグループホームを設立しており、「認知障害の『トンチンカンさ』が癒しとなり、引きこもりのケア、非行少年の更生などに役立つこともわかってきた。『ひかりの里』でも荒れた子どもが素直になっていくことが体験された。」と報告しています(多湖光宗:能力活用セラピー. 日本臨牀 Vol.69 Suppl10 126-130 2011)。
 また多湖光宗院長は、更正だけではなく「青少年の育成」にも有用であると指摘しています。
 「見て見ぬふりをし、あとで陰口を言う大人の中では子どもたちはうまく育たない。喜怒哀楽が素直で、本気で怒り、心から喜んだり悲しんだりする認知症高齢者たちこそ、子どもたちが表情を読みとる訓練に必要な存在だ。全員から悲しまれるとこれはいけないことと思うし、1人のおばあちゃんからしかられて、ほかは『まあいい』という場合には、あのおばあちゃんに気を付けようと判断するようになり、社会性が身につく。」(多湖光宗:認知症の人の底力を地域に活かす. Dementia Japan Vol.26 28-35 2012)

 パーソンセンタードケアを唱えたトム・キットウッドは、「認知症という病気は、神経障害、全身の健康、生活史、性格や個性、その人を取り巻く家族や地域社会という5つの因子によって形作られる」(水野 裕:DCMをめぐって. 老年精神医学雑誌 Vol.15 1384-1391 2004)と指摘しています。住み慣れた地域・住み慣れた家で少しでも長く過ごせるように、認知症の人を地域から支えていくシステムの構築が喫緊の課題となっております。
 グループホーム「ふぁみりえ」ホーム長の大谷るみ子さんは、子ども目線から見た徘徊について紹介するなかで、認知症の人を地域で支えていくことの大切さについて語っています(大谷るみ子:人生の舞台は今、グループホームから地域へ─豊かな人生を支援する. 現代のエスプリ通巻507号 ぎょうせい発行, 東京, 2009, pp132-145)。そのご意見を紹介し本稿を閉じたいと思います(一部改変)。
 「入居者のひとり、岩花さんは、もと小学校の校長先生。その仕事ぶりが表彰を受けられ、世界一周旅行をした方である。未だに世界一周旅行の話は輝きを放っている。定年退職後は民生委員の会長のお役目を務められ、自分でも放浪癖があったと言われるくらい校長の割には遊び心豊かな方だったようだ。奥さんを亡くされた後、徐々に認知症が目立ち始め、幾度となく放浪癖まがいの徘徊を繰り返され、次第に行方不明のために捜索願を出されることが増え、在宅生活の限界となり、平成十五年九月から入居されている。岩花さんのところには、毎日のように孫のさあやちゃんが通ってきた。ランドセル背負ってまずふぁみりえに『ただいま~』と帰って来る。…(中略)…この岩花さんの物語は、平成十五年度に大牟田市認知症ケア研究会が作成した絵本『いつだって心は生きている~大切なものを見つけよう~』の第三話のモデルとなっている。孫のさあやちゃんが、徘徊で行方不明になったおじいちゃんが、三日目にひょっこり家に帰ってきて『楽しかったあ』と言うのを聞いて、おじいちゃんの徘徊を冒険ととらえるという子どもの目線で描かれている。この絵本を通して、子どもたちに認知症の人の豊かな感情や力、子や孫を思う愛情、認知症でも大切な人ということを伝え、その子どもたちがまた大人や地域を変えてくれることを願っている。」

「認知症になっても その人らしさが残り 変わらない部分が必ずある」 [認知症ケア]

「認知症になっても その人らしさが残り 変わらない部分が必ずある」

 これは、アニメーション映画『しわ』の監督であるイグナシオ・フェレーラスさんが、2013年7月15日に放送されましたNHK・Eテレ『シリーズ 認知症 “わたし”から始まる(第4回)』において述べた言葉です。
 そのNHK・Eテレ『シリーズ 認知症 “わたし”から始まる(第4回)』に関して、私がアピタル連載中に発信した文面を以下にご紹介しましょう。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第461回『患者の声が聞こえていますか?─残っているものを大切に』(2014年4月11日公開)
 NHK・Eテレにおいては、2013年7月1日・2日・3日・15日・25日の5回にわたって、『シリーズ 認知症 “わたし”から始まる』が放送されました。7月15日の第4回放送は『自分らしく生きよう─アニメ映画「しわ」が描く当事者の世界―』(http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2013-07/15.html)がテーマであり、NPO町田つながりの開「DAYS BLG!」(デイサービス施設)にアニメーション映画『しわ』の監督であるイグナシオ・フェレーラスさんを招いて映画の上映会が開催されました。インパクトが強い放送内容でしたので、皆さん印象深く覚えておられるのではないでしょうか。
 池田英材さんをはじめとする認知症当事者の方たちも、自分自身の姿と重ね合わせながら、映画『しわ』を観た感想を述べておられました。
 フェレーラス監督は番組のなかで、「私は以前から、年をとっても、病気になっても、人は変わらないと思っていました。病気ばかりに気をとられると、どうしても失われるものにこだわってしまいます。私は、むしろ残っているものを大切にしょうと思いました。この映画で表現したかったことは、認知症になってもその人らしさが残り、変わらない部分が必ずあるということなのです。」とこの映画に込めた思いを語りました。
 エスポアール出雲クリニック(島根県)の高橋幸男院長は、「成書には、もの忘れを自覚しないのがアルツハイマー型認知症の特徴と記載されているが、これは誤りである。認知症を認めたくないという強い思いがあり『否認』機制が働いて、表面的にもの忘れを否定したりすることはよくあるが、アルツハイマー型認知症の初期はもちろん中期でも、もの忘れごときは十分自覚しわかっている」と述べています(高橋幸男:認知症をいかに本人と家族に伝えるか. 治療 Vol.89 2994-3000 2007)。
 そして、認知症の症候学に詳しい滋賀県立成人病センター老年内科の松田実部長は、論文(松田 実:認知症の症候論. 高次脳機能研究 Vol.29 312-320 2009)において、「アルツハイマー型認知症(AD)で『早期に病識が失われる』という記載は、『取り繕い』を『病識のなさ』と混同していることから起こる誤謬(ごびゅう)である。『ADで病識が失われるというのは誤りである。ADの初期はもちろん中期でも、もの忘れごときは十分自覚しわかっている』という高橋(2007)の意見に筆者は賛同する。もちろん、患者の病態はさまざまであり、病識のレベル、その深さや内容も問題となるであろうから、一概には結論ができる話ではない。」(http://www.jstage.jst.go.jp/article/hbfr/29/3/312/_pdf/-char/ja/=現在リンクは無効)と指摘しています。
 また松田実部長は、前述の論文において、「『病識のなさ』と『取り繕い』を同一視すべきではない。病識の有無と取り繕いとには、直接的関連はない。少なくとも、病識がないから取り繕うのではない。むしろ、自身の異常に気づいているからこそ取り繕っていると考えられる場合もある(ボーデン 2003)。」とも述べています。
 ボーデンさんとは、『私は誰になっていくの?─アルツハイマー病者からみた世界』の著者であるクリスティーン・ボーデンさん(http://apital.asahi.com/article/kasama/2013050200008.html)のことですね。


P.S.
 「病前性格が穏やかであった方は、認知症を発症してからも比較的穏やかに過ごされることが多い」ということに関しては、朝日新聞・アピタル連載中にもご紹介したことがあります。
 以下にその部分を再掲しますね。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第213回『認知症と長寿社会(笑顔のままで)―入院時の点滴を抜いてしまう問題』(2013年7月31日公開)
 一般的な傾向として、病前性格が穏やかであった方は、認知症を発症してからも比較的穏やかに過ごされることが多いです。そのような方では、点滴実施に際しても、きちんと説明すれば、穏やかに受け入れてくれることが多いです。特に、医師から説明すると、おとなしく聞き入れてくれるケースが多いようです。
 一方、短期で怒りっぽいタイプの病前性格であった方は、採血・点滴1本するのにもひと苦労するといった場面によく遭遇します。
 認知症における症状と病前性格との関係について言及している本もありますので以下にご紹介します。
 「穏和でのんびりとした性格の高齢者は、認知症になっても穏やかな性格で、他の人々との争いも少なく平和的でしょう。」(三原博光、山岡喜美子、金子 努:認知症高齢者の理解と援助~豊かな介護社会を目指して~ 学苑社, 東京, 2008, pp40-41)
 私の父もとっても穏やかな性格でした。しかし、入院したその日のうちに点滴の自己抜去をやってしまいました。同様のケースは数多く経験しております。穏やかだった性格の方は、穏やかに点滴は受け入れてくれることが多いのですが、知らないうちに抜いてしまうのです。
 私たちも、夜中に耳元でブーンと蚊の鳴く声がしたら、意識が朦朧とした中でも耳の近くを払いのけますよね。同様にして、点滴を実施しなければならないような認知症の方は、軽い脱水なども関与しているため、本来の認知機能障害以外に軽いせん妄(メモ参照)状態も加わっており、無意識のうちに違和感のある点滴を抜いてしまうのではないかと思われます。
 穏やかな性格の方において点滴を自己抜去してしまうような状況が確認された時には、夜間は点滴をせずに職員が目の行き届く昼間だけの点滴実施にするとか、点滴ルートを袖から襟元のほうに出して点滴棒を後ろに設置して視界に入らないようにするといった工夫が必要となります。また場合によっては、拘束衣を着用するなどの対策も必要となります。そのような対応により、比較的穏やかに入院治療を継続できるケースが多いようです。

メモ:せん妄
 せん妄(delirium)とは、脳機能の一時的な低下による意識混濁(軽い意識障害)に加えて、幻覚や興奮状態といった精神症状を伴っており、発症は急激で可逆的な状態です。

よりよいケアを希求する「船」としてのビュートゾルフ [認知症ケア]

日本版ビュートゾルフ始動!─よりよいケアを希求する「船」としてのビュートゾルフ(構成/編集室 インタビュー/堀田聰子さん)

「日本版ビュートゾルフ」はゆるやかな理念共同体
 私は「日本版ビュートゾルフ」は、事業所の看板はどうあれ、ビュートゾルフのビジョンを共有する方々のたゆまぬ進化を指すものであってほしいと考えています。「玉ねぎモデル」に象徴される、利用者・患者の尊厳の保持、自立生活の支援を手がかりにした「すべての住民」が、「よりよい生活のなかでの経験」を「ともにつくり出して」いけるケアと地域づくりのムーブメント、ともいえるかもしれません。一人ひとり異なり、究極的には客観的にも主観的にもわからないQOL(Quality of life)を引き上げようとする実践者たちの、それぞれの地域におけるワクワクする営み全体、いわばゆるやかな理念共同体を、「日本版ビュートゾルフ」ととらえたいのです。

「暗黒の時代」を突き破った専門職の職業倫理
──そもそも、堀田さん自身はビュートゾルフのどの点に魅力を感じたのでしょうか。彼らとの出会いとともに教えてください。
 私がビュートゾルフの創業者・代表である地区看護師のJos de Blok(ヨス・デ・ブロック)さんとはじめて会ったのは、2010年初夏のオランダでした。中重度認知症で一人暮らしの方々の日常生活と、それを支えるしくみやネットワークの日蘭比較研究に協力してくださる在宅ケアの事業者を探していたのです。たくさんの在宅ケア組織を回るなか、「うちでは難しいけれど、ビュートゾルフなら一人暮らしの認知症の人でも最期まで支えているに違いない」と紹介されたのが彼らとの出会いでした。

よりよい実践の積み重ねは制度も動かす


看護師たちが学びあい、ケアに集中できる「枠組み」


わが町の玉ねぎを育むイノベーションを求めて
 先にお話ししたとおり、私は事業化には一貫して関心がなく、彼にもそのことを伝えていました。彼の言い分はよくわかったものの、2014年のビュートゾルフアジアの設立もあいまって複雑な心境になったことを覚えています。それまで重ねてきた対話が水泡に帰すのではないかという危惧もありました。
 とはいえ、ヨスさんやビュートゾルフのナースたちの日本への情熱的な貢献をもっともよく知る立場にもあったので、関心がありそうな方々にお声掛けして、ビュートゾルフとの協業に向けた個別の「お見合い」の場のセッティングも行っていました。


「本人にとっての最善」を問い続け、自由な発想を
──これから「日本版ビュートゾルフ」がどのような進展を見せるのか楽しみです。
 ビュートゾルフのチームでも、「なぜそれは患者にとっての支援になるの?」「何が本当に起きていることなの?」「私たちは正しいことをやってるの?」「なぜ私たちはいつもどおりにやっているの?」「もっと簡単なやり方はないの?」と、シンプルな問いが満ちています。「日本版ビュートゾルフ」が、患者・利用者・住民の一人ひとり異なり、また変化していく「本人にとっての最善」を自由な発想によって問い続け、そこで起きるイノベーションを持続可能なものにしていくことを期待しています。
 (2016年3月29日収録)
 【訪問看護と介護 vol.21 no.5 346-351 2016】

私の感想
 ビュートゾルフについては、NHK・Eテレ『シリーズ 認知症 “わたし”から始まる』の第2回放送(2013年7月2日)でも報道されており、その放送内容をアピタルにおいてご紹介しております。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第343回『介護と高齢者虐待─デイサービスを使い始めるのに抵抗感』(2013年12月14日公開)
 さて、これまでにもオランダにおいて実践されている種々の取り組みについてはご紹介してきましたね。
 シリーズ第174回『刻化する認知症患者の長期入院 在宅政策にシフトしたオランダ』においては、オランダの「ヘリアント(Geriant)」「アルツハイマーカフェ」などの試みをご紹介しました。2013年7月号のメディカル朝日(通巻第500号)においても、ヘリアント(Geriant)の話題が取り上がられておりますのでご紹介しましょう。
 「Geriantは、北オランダの人口60万人のエリアでサービスを提供しており、利用者3700人をスタッフ190人(うちケースマネジャー70人)で支える。認知症診断・ケースマネジメントチームは、在宅で老年精神看護を提供する看護師、老年医、精神科医、心理士、認知症コンサルタントなど各1~2人で構成される。」(遠矢純一郎:認知症ケアの先進地をゆく/前編─オランダの現状. Medical ASAHI Vol.42第7号・通巻500号 72-74 2013)
 さて、NHK・Eテレ『シリーズ 認知症 “わたし”から始まる』の第2回放送(2013年7月2日)は、『“在宅”を支えるケア~オランダからの報告~』(http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2013-07/02.html)でした。番組においては、地域看護師が2006年に起業した在宅ケア組織「ビュートゾルフ(Buurtzorg)」が実践する家族支援の様子、2009年にアムステルダム郊外にオープン(改築)した認知症村(通称)と呼ばれるホーゲヴェイ(Hogewey)の様子が報道されました。
 ビュートゾルフでは、「認知症の人は、介護する家族が適切に対応すれば徘徊や暴力などの行動も現れず自宅で穏やかに過ごすことができる。そのため、家族ごと支援することに力を入れており、何かあれば24時間いつでも駆けつけますよ」という考え方で臨んでいるようです。
 そして一人の事例が紹介されました。リー・メイウィッセさん(91歳女性)は2年前にアルツハイマー病と診断されました。介護するのは近くに住む一人娘のアニタさんです。アニタさんは当初は、「母を厄介払いしているような感じがしてしまって…」とデイサービスを利用することに対して抵抗を感じていたようです。しかし、認知症ケースマネジャーのリース・ルッテル看護師から、「一歩下がっても良いんじゃないかしら」とアドバイスを受けます。その後、デイサービスを利用するようになり少し親子の距離を置いたこと、そしてアニタさんも認知症について詳しく教えてもらい余裕を持って対応できるようになったことで、リー・メイウィッセさんは穏やかに過ごす時間が増えて以前の明るさを取り戻していきました。
 「時には本人と家族の間で距離をとってもらう。それも本人が穏やかに過ごすための秘訣だ」とナレーションが流れました。
 ホーゲヴェイ(Hogewey)は介護保険で運用される入所型施設です。認知症村(通称)と呼ばれるホーゲヴェイもかつては収容型の施設でした。2009年に「普通の暮らし」をコンセプトとして生まれ変わった経緯であり、ユニークな試みとして世界中から注目されているようです。その特徴は、限られた空間のなかでもできる限り普通の暮らしを続けることであり、ここの住居は、田園型、都会型、旧植民地型、労働者型、アーティスト型、上位中産階級型、宗教型というオランダ人の典型的なライフスタイルに合わせてデザインされており、入所者は自分にあった暮らしを選ぶことができるそうです。150人あまりの認知症の人がこれまでの暮らしに近い環境で思い思いの時間を過ごしている様子が報道されました。

ユマニチュード(Humanitude) [認知症ケア]

 来月開催されます院内学習会において、「ユマニチュード」について講演することになりました。レジュメができましたのでご紹介致します。

認知症ケア:ユマニチュード(Humanitude)について
【2016年3月 榊原白鳳病院・教育委員会】

 ユマニチュード(Humanitude)はイヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティの2人によってつくり出された、知覚・感情・言語による包括的コミュニケーションにもとづいたケアの技法です。この技法は「人とは何か」「ケアをする人とは何か」を問う哲学と、それにもとづく150を超える実践技術から成り立っています。認知症の方や高齢者のみならず、ケアを必要とするすべての人に使える、たいへん汎用性の高いものです。
 体育学の教師だった2人は、1979年に医療施設で働くスタッフの腰痛予防対策の教育と患者のケアへの支援を要請され、医療および介護の分野に足を踏み入れました。その後35年間、ケア実施が困難だと施設の職員に評される人々を対象にケアを行ってきました。
 彼らは体育学の専門家として「生きている者は動く。動くものは生きる」という文化と思想をもって、病院や施設で寝たきりの人や障害のある人たちへのケアの改革に取り組み、「人間は死ぬまで立って生きることができる」ことを提唱しました。
 その経験の中から生まれたケアの技法がユマニチュードです。現在、ユマニチュードの普及活動を行うジネスト─マレスコッティ研究所はフランス国内に11の支部をもち、ドイツ、ベルギー、スイス、カナダなどに海外拠点があります。また2014年には、ヨーロッパ最古の大学のひとつであるポルトガルのコインブラ大学看護学部の正式カリキュラムにユマニチュードは採用されました。
 「ユマニチュード」という言葉は、フランス領マルティニーク島出身の詩人であり政治家であったエメ・セゼールが1940年代に提唱した、植民地に住む黒人が自らの“黒人らしさ”を取り戻そうと開始した活動「ネグリチュード(Negritude)」にその起源をもちます。その後1980年にスイス人作家のフレディ・クロプフェンシュタインが思索に関するエッセイと詩の中で、“人間らしくある”状況を、「ネグリチュード」を踏まえて「ユマニチュード」と命名しました。
 さまざまな機能が低下して他者に依存しなければならない状況になったとしても、最期の日まで尊厳をもって暮らし、その生涯を通じて“人間らしい”存在であり続けることを支えるために、ケアを行う人々がケアの対象者に「あなたのことを、わたしは大切に思っています」というメッセージを常に発信する──つまりその人の“人間らしさ”を尊重し続ける状況こそがユマニチュードの状態であると、イヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティは1995年に定義づけました。これが哲学としてのユマニチュードの誕生です。
【本田美和子、イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ:ユマニチュード入門 医学書院, 東京, 2014, pp4-5】

 イブ・ジネストさんはTV番組において、ユマニチュードについて以下のように語りました。
 「ユマニチュードは、認知症の人との人間関係・“絆”をつくるテクニックなんです。」
 「『私はあなたの友人ですよ、仲間ですよ』と認知症の人に感じてもらうには、“見る”“話す”“触れる”という3つの行動で伝えることが大切なのです。」
 「認知症の人は相手から見られないと“自分は存在しない”と感じ、自分の殻に閉じ籠もってしまいます。私たち介助者が最初にすべきことは、あらゆる手段を使って、彼らが“人間である”と感じさせることなんです。」
 「認知症の人の場合、相手が優しい人かどうかを知性で判断することが難しくなっています。しかし感情の機能は最期を迎える日まで働いています。ですから、ユマニチュードではその優しさを“感情”にうったえるのです。」

 番組においては、“見る”“話す”“触れる”の3つの具体的な手法も紹介されました。
 近づく際にまず留意する点は、“遠い位置から視野に入る”ことです。
見る:
 目線は正面から水平の高さ(=お互いに平等だということを伝える)、近い距離で長い時間見つめる!
話す:
 優しいトーンで、できるだけ前向きな言葉で友好的に語りかける(この時、大袈裟とも思える位の笑顔を作る!)。
 そして、相手の反応をみながら触れる!
触れる:
 触れる時には触れる場所・触れ方に注意することが必要です。【スライド2】

 2014年7月20日に放送されましたNHKスペシャル「認知症をくい止めろ!」におきまして、ユマニチュードの実践例が紹介され、ユマニチュードの基本である「見つめる」「話しかける」「触れる」「寝たきりにしない」についても若干の解説が加えられました。

 「見つめる」際には、遠くから視野に入り正面から見つめます。認知症の人は視界の中心に居る人しか認識できない場合があるためです。
 「話しかける」時には、実況中継をするように話しかけつづけるのがポイントです。
 「触れる」時はやさしく、「つかむ」のではなく動こうという意志を活かして下から「支える」。
 スタジオゲストの本田美和子医師は、車椅子を押す場合には認知症の人の視野から消えてしまいますが、片手で車椅子を押し、もう片方の手を(軽くではなく少し力を加えて)肩において「いるんだよ」というメッセージを伝えましょうとお話されておりました。

やってみたユマニチュード
 ユマニチュードのテクニックに『目が合ったら2秒以内に話しかける』というのがあります。そんなことは当たり前だと思われるかもしれないですが、目が合わないと思っていた方と目が合うと、びっくりしてこちらも一瞬固まってしまうんです。
 患者さんの立場になって考えると、ふと気づいたら目の前に人がいて、何も言わずにじっとこちらを見ていたら怖いですよね。攻撃しにきたのかと勘違いされてしまいます。2秒以内に話しかけなければいけないというのは、自分が敵意をもっていないことを相手に示すためなんだ、と知りました。
 そういった一つひとつのテクニックが具体的に構築されているところが、ユマニチュードの優れた点だと思います。」(本田美和子、イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ:ユマニチュード入門 医学書院, 東京, 2014, pp46-47)


ケアの準備
 第2のステップは、ケアについて合意を得るプロセスです。
 所要時間は20秒~3分です。これまでのユマニチュードの実践の経験では、およそ90%は40秒以内で終わっています。つまり、面倒なようでも、とても短い時間しかかかりません。
 ユマニチュードのこの技術を用いることで、攻撃的で破壊的な動作・行動を83%減らせたという報告があります。実際に日本で、日本人のスタッフが実施してみても、この段階ですでに本人の反応が異なることを数多く体験しています。どんなに業務が忙しくても、40秒程度ならその時間を捻出することはそれほど難しくないはずです。

●正面から近づく。
●相手の視線をとらえる。
●目が合ったら2秒以内に話しかける。
 例:「おはようございます! お会いできて嬉しいです。」
●最初から「ケア(仕事)」の話はしない。
●体の「プライベートな部分」にいきなり触れない。
 ここで気をつけておきたいのは、顔は極めてプライベートな領域であることです。
●ユマニチュードの「見る」「触れる」「話す」の技術を使う。
●3分以内に合意がとれなければ、ケアは後にする。
【本田美和子、イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ:ユマニチュード入門 医学書院, 東京, 2014, pp100-113】
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