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まとわりつき・つきまとい・シャドーイング(Shadowing) [徘徊]

まとわりつき・つきまとい・シャドーイング(Shadowing)
 まとわりつき(つきまとい・シャドーイング)とは,介護者やそれ以外の人を極度に追って回ることである1)・徘徊の1つに分類されることもある2).まとわりつきの出現頻度は,軽度から中等度の認知症患者のうち67%に認められたという報告がある3).著者の診療上の経験(外来および認知症疾患治療病棟)では,ここまで高くはないように感じていたが,共同著者の介護現場からの意見では妥当な数字であり,多くの時間を取られるBPSDの1つであるらしい.
 まとわりつきに関する研究は,あまりなされていない.調べて回る行為の極端なもの2),不安の現れ(残存した能力による自分の将来への不安,1人取り残されるという恐怖など4))などと解釈されている.ある種の作業療法が,つきまといや繰り返す質問(Repetitive questioning;Godot症候群4・5))に効果を認めている6).
 まとわりつきや繰り返す質問(Godot症候群)は,悪化すると介護者の大きな負担となる.
(服部英幸編集 鵜飼克行著:BPSD初期対応ガイドライン ライフ・サイエンス, 東京, 2012, pp71-72)

私の感想
 私のところに通院するアルツハイマー病の患者さんの中にも、ご主人の姿が見えなくなると後を追いかけて外出し、その結果、ほとんど毎日のように「迷子」になってしまうという方がおられます。
 先々週土曜日の外来の際にそのお話(=「つきまとい」)を伺いました。
 この方のご家族は、ALSOKの開発したBLE(ブルートゥース・ロー・エナジー)を使用する小型の発信端末を既に導入されており(参照:2016年4月5日付日本経済新聞 企業・消費)、私は初めて「本物」の発信端末を見させて頂きました。
ALSOK.jpg
 詳細は↓
 https://info.ninchisho.net/archives/8662
 それとともに介護保険をこれまで利用しておりませんでしたが(ご本人がデイサービスの導入を嫌がっていたため)、介護保険を申請し、サービス利用を勧めていく予定です。


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第738回『「つきまとい(シャドーイング)」への対応─少しずつ離れる対応』(2015年1月19日公開)
 認知症の方はしばしば介護者につきまといます。そして、介護者の姿が見えなくなると不安になって徘徊に至ってしまうこともあるため、介護者の方より近所へ外出すらしにくいといった訴えをしばしば耳にします。
 こういった「つきまとい」に対しては、いったいどのような対応をすれば良いのでしょうか。
 「つきまとい」に対しては、少しずつ離れるようにしていくのが有効であると指摘されております。以下にその記述をご紹介しましょう。
 「嫉妬妄想があるために介護者から離れることができない場合などを別にして、特に明らかな理由がない場合には少しずつ本人から離れるようにすればうまくいくことが多いようです。
 この症状のために一人でデイサービスに参加できるようになるまで半年かかった例がありますが、最後までどうしても一人で参加できなかった例は経験したことがありません。このような試行錯誤を繰り返すためには、もちろん介護者の根気強い協力に加えてサービスを提供するスタッフの理解が必要なことは言うまでもありません。」(本間 昭、六角僚子:認知症介護─介護困難症状別ベストケア50 小学館, 東京, 2007, p90)
 2013年8月8日に放送されましたNHK・きょうの健康『介護の負担を減らすために』(http://www.nhk.or.jp/kenko/kenkotoday/archives/2013/08/0808.html)の番組コメンテーターとして出演されました東京都立松沢病院の齋藤正彦院長(精神科)は、「離れる」ことをより現実化するデイサービス・ショートステイなどを活用することによって、「つきまとい」に起因する徘徊に対応できる場合もあると番組において解説されました。
 具体的な対応事例を千葉県にあるデイサービス「なごみの家」所長の西ケイ子・認知症看護認定看護師が論文報告しておりますので、以下にご紹介しましょう(西ケイ子:「在宅」を、「その人らしさ」を諦めないで. 訪問看護と介護 Vol.16 994-998 2011)。
 「他事業所から断られたNさんは、シャドーイング(介護者へのつきまとい)が強く、1日中職員の手を強く握って離しません。空いている手足で、職員に暴力を振るったり、動きがゆったりしている利用者をつつく・足を出す、不快や不安になると部屋に唾を吐く、すぐに声を荒げるという状態でした。
 手を握って離さないのは不安の表れとして受け入れ、1日中付き添いました。Nさんが好きな散歩・歌唱を何度も繰り返し行ないました。最初は職員と2人だけにこだわり、一緒に歌おうとする人を追い出していましたが、1か月後には拒まず、一緒に歌えるようになりました。さらに3か月後、徐々に職員と手をつながない時間が増え、皆に自分から声をかけたり風船バレーや体操をしたり、笑顔も表れるようになりました。」
 私が診療している事例においても、「買い物にも出掛けられず本当に困ります」と話される介護者の方がおられます。
 こんな時、他にはどんな対応方法が考えられるのでしょうか。
 例えば、姫路市では「認知症見守り訪問員」という独自の介護保険外のサービスを行っています。この試みがどのようなものかを姫路聖マリア病院地域連携室・室長の得居みのり老人看護専門看護師が報告しております。
 「見守り訪問員(認知症サポーターのなかで、認知症患者への接し方などについて追加研修を受講した人)が認知症高齢者の自宅に訪問し、家族に代わって認知症高齢者の話し相手となったり、見守り支援を行い、家族に休息してもらう事業です。」(得居みのり:認知症患者を取り巻く社会資源の活用. 看護技術 Vol.58 46-51 2012)
 このように、各地域で独自のサービスが考案・展開され、介護保険で不十分な部分を補い、認知症患者の介護者を支える仕組みがきめ細やかに整備されることが求められますね。

男性育休 13%の道も一歩から [育児休暇 介護休暇]

男性育休 13%の道も一歩から
 厚生労働省の雇用均等基本調査によると、男性の育児休業取得率はわずか2.3%(2014年度)。国は「20年までに13%」を目標に掲げ、企業への助成制度の新設などを進めるが、道は険しい。
 男性社員の育休取得率が高い企業に共通するのが、1週間など取得しやすい期間を目安に示すこと。そしてその期間育休を有給化することだ。会社が提示した短い期間だけの取得に偏りがちな現実はあるが、「子どもが生まれたら男性も休むのが当たり前、という風土づくりにつながる」と東レ経営研究所の塚越学シニアコンサルタントは指摘する。風土ができれば本人の希望も言いやすくなり、「やがて長期化にもつながっていく」。
 女性活躍における男性の育児参加の重要性や生産性の向上など、組織として取り組む意義を明確にすることも重要だ。一方で、「心の中では育休を取りたいと考えていても、職場に迷惑がかかる、評価に影響するなどと考え、言い出せずにいる男性は少なくない」(塚越さん)。人事が対象社員の上司に対し育休を取らせるよう働きかけることで、取得が進んだ例もある。
 【2016年4月30日付日本経済新聞・女性】


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第65回『幼老統合ケア 介護のために離職する人は5年で57万人』(2013年2月26日公開)
 厚生労働省は、認知症患者が住み慣れた環境で暮らし続けられる社会の実現を今後の認知症施策の基本目標として提示しております。
 具体例を挙げれば、「認知症初期集中支援チーム」を地域包括支援センター等に配置し、認知症が疑われる人の家庭を訪問し、生活状況や認知機能等の情報収集や評価を行い適切な診断へと結びつけ、本人・家族への支援を行い、在宅療養が少しでも長く継続できるようにと思案しております。
 しかしながら、介護と仕事の両立は決して簡単なことではありません。2012年10月28日発行週刊ダイヤモンド臨時増刊において、フリーライターの西川敦子さんは「働く人の介護」という原稿を寄せております。抜粋して以下にご紹介します。
 「晩婚化、非婚化が進み、シングルが急増。共働き家庭も増えている。その上、兄弟が少ない、となれば介護負担をもろに背負う確率は男女共に高くなる。
 総務省の『就業構造基本調査』(2007年)によると、介護離職者は2002年10月からの5年間で56万8000人。離職後、無業の状態にある人は40万4000人に上る。『介護失業』は人ごとではない。危機はあなたの足元まで迫っているかもしれないのだ。
 では、ある日突然、親が倒れたら、働く息子や娘はどう対応すべきなのだろうか。
 思い付くのは、会社を長期間休み、介護できる態勢を整えることだが、東京大学大学院情報学環の佐藤博樹教授は『介護休業を利用し、自分で親を介護するのは極力避けるべき』と意外なアドバイスをする。
 1999年に施行された『育児・介護休業法』で定められた介護休業。要介護状態にある家族1人につき通算93日間、仕事を休めることになっている。なお、その間、支給される『介護給付金』は休業前の貸金の40%だ。
 だが、介護の平均期間は55.2カ月間(生命保険文化センター調べ)にも及ぶ。『3カ月間の介護休業を超えて、自ら介護を続けようとすれば、退職しか選択肢がないことになる』(佐藤氏)
 6割減の収入でやりくりした揚げ句、失業。貯金も底を突き、やがて生活保護を受給する─、こんな最悪のシナリオはなんとしても避けたい。
 『だからこそ介護はプロの手に任せるなどし、自らは介護サービスの調整役に徹してほしい』と佐藤氏は言う。
 親が倒れたときは、真っ先に『介護と仕事を両立できる環境づくり』をするべきなのである。」(2012年10月28日発行週刊ダイヤモンド臨時増刊・通巻4454号 pp12-14)
 そもそも、定年後に必要とされる生活資金3,000万円をこの不況の折りに準備できている家庭は稀な存在ではないでしょうか。「貯金も底を突き、やがて生活保護を受給」ということは、近年の日本社会の動向を見ておりますと、いとも簡単に起きてしまうことのように感じられます。
 フィデリティ退職・投資教育研究所が2010年2月に実施した「サラリーマン1万人アンケート」(http://www.fidelity.co.jp/fij/news/pdf/20100413-1.pdf)を見ておりますと、老後難民予備軍の急増が懸念されます。その「サラリーマン1万人アンケート」の結果の一部をご紹介しましょう。
 「現在の公的年金制度では安心できないと考えている人は全体の9割近くいる。それにもかかわらず、老後の生活資金を全く準備していない人が44%もいるのだ。しかも、定年退職後の資産形成を特に何もしていない人が41%に達している。さらに、老後の生活資金準備額が100万円未満(ゼロも含む)の人で、資産形成を特に何もしていない人は84%に上る。」(2012年10月28日発行週刊ダイヤモンド臨時増刊・通巻4454号 pp184-185)
 なお、「定年後に必要とされる生活資金3,000万円」と記載しましたが、この数字は、「サラリーマン1万人アンケート」において、公的年金以外に必要となる退職後の生活資金の総額を聞いたところ、平均で2,989万円であったことに基づく数字です。

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 「働く現役世代が、出産・子育て・家族の介護をしながら働き続けられるかどうかは、少子高齢化社会の大きな課題となっています。
 子育てと仕事の両立には、育児休業取得と保育所の待機児童解消などが課題となります。
 しかしながら、平成24年度の育児休業取得率(http://www.chosakai.co.jp/news/n13-07-05-1.html)は、女性が83.6%で5年前から減少傾向にあり、男性は1.89%と低いレベルにとどまったままです。
 また、介護と仕事の両立には、介護休業の利用などが考えられますね。ただし、介護休業制度の導入は零細企業では6割にとどまっています。(2013年7月20日付中日新聞社説)」

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 「総務省が昨年7月にまとめた就業構造基本調査では、介護で職を失ったり自らやめたりした『介護離職』は、11年10月から1年間で10万1千人に達し、5年ぶりに10万人を超えた。一方、介護をしながら働いている人は約290万人いて、働く人全体の4.5%を占める。
 政府は1999年度から、要介護の家族1人について連続3カ月まで仕事を休める『介護休業制度』をつくるよう企業に義務づけ、05年度からは通算93日まで休めるように改めた。介護休業中は雇用保険から、休業前6カ月間の平均賃金の4割の水準の介護休業給付が支給される。加えて10年度からは、要介護の家族が1人の場合は年間5日まで、2人以上は年間10日まで『介護休暇』を取れるように義務づけた。
 しかし、12年度に介護休業制度を使った人は、介護をしながら働く人の3.2%しかいない。介護休暇や短時間勤務などを含めた支援制度を使った人も、正社員で16.8%、非正規社員で14.6%にとどまる。
 三菱UFJリサーチ&コンサルティングの矢島洋子主任研究員は『制度が知られていないことに加え、代わりに仕事をする人がいなかったり相談にのる部署がなかったりして制度を使う環境が整っていない』という。『男性介護者と支援者の全国ネットワーク』が10年9月に会員の534団体・個人に聞いたアンケートでは、『嫌がらせをされて耐えきれず、転職の回数も多くなった』 『中途半端では迷惑をかけるので、仕事は辞めた』などの回答があった。」【2014年4月7日付朝日新聞・経済―負担増の先に報われぬ国】

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 「『職場が理解しないこともあるし、制度ができても現実と合ってなかったり、利用しづらかったり。結局は自分たちで支え合うしかない』。富山県に住むタカシさん(57)は感じる。
 約15年前、妻が脳梗塞で倒れて半身まひになった。大阪市内の照明器具メーカー直営店で正社員として働き、売り場リーダーをしていた時だ。2人の息子はまだ小学生だった。
 仕事を終えて自宅に帰るのは夜10時過ぎ。それから妻の入浴や子どもの翌日の朝食づくりなどを終えると、寝るのは午前3時を回った。介護休業制度も利用したが、終われば元の過酷な生活に戻るだけだ。
 介護疲れから、注文された商品とちがう商品を発送するなどのミスが続いた。妻の介護で早退も増えた。
 やがて出たのが外回り営業への辞令。拘束時間が長く、とても介護を続けられない。『辞めていいぞということだな』。正社員の座を捨てるしかなかった。
 その後、家電販売会社などで働いたが、介護との両立は難しく、ずっと続けられない。家賃を払うのも大変になり、約3年前に富山の実家に戻った。いまは、介護の悩みを持つ男性向けに料理教室や介護セミナーを催して暮らす。」【2014年4月7日付朝日新聞・経済―負担増の先に報われぬ国】 【木村和規、横枕嘉泰】

徘徊(Wandering) [徘徊]

徘徊(Wandering)
 徘徊とは,どこともなく歩き回ること,ぶらぶらしていることである1).しかし,研究上の定義としては,千差万別の状態である2-5).徘徊の出現率は,3~53%と調査によってかなり幅があるが,このような状況下では,やむを得ない結果といえよう6).例えば,Rollandらは,アルツハイマー型認知症の患者では,在宅で約12%,養護施設では39%,と報告している7).著者の臨床上の印象では,日常の経過中に徘徊を経験する症例は,50%程度かと思われる.かなり,頻度の高い症状であることは間違いない.「徘徊」という用語で表される行動には,何種類かの型・意味がある8,9).それを表3-18にまとめた.背景にある認知症疾患としては,アルツハイマー型認知症が代表的であるが,特殊な型としては,レム睡眠関連行動障害に伴う夜間の徘徊10),前頭側頭型認知症の周回(roaming)11)などがある.
(服部英幸編集 鵜飼克行著:BPSD初期対応ガイドライン ライフ・サイエンス, 東京, 2012, pp68-70)

表3-18 徘徊の種類(文献8より改変引用)
徘徊の種類.jpg
8)Hope RA, Fairburn CG:The nature of wandering in dementia:A community-based study. Int J Geriatr Psychiatry Vol.5 239-245 1990

大人の発達障害 病識 常同行動 [発達障害]

大人の発達障害

 2016年4月28日のNews ZERO(http://www.ntv.co.jp/zero/hataraku/2016/04/post.html)では、「大人の発達障害」が取りあげられました。
大人の発達障害.jpg
 以前から興味を持っている分野でしたのでしっかりと観ました。

 岩本友規さん、実名報道で勇気があります。
 「うつ病」も「認知症」も「発達障害」も、ともすれば「偏見」を持って見られやすい疾患です。こうした疾患を患っている方が、勇気を持ってカミングアウトし、しかも報道番組に出演し、そして啓蒙活動までやる!
 これはもう、「同じ疾患で悩んでいる仲間を救いたい」という気持ちしかありません。私も「うつ病」をカミングアウトした背景にはそんな気持ちがあったからです。そして、実名報道されても構わないと思っており、新聞社の取材も・・という話にはなり主治医の了解も得ました。しかし、それに躊躇する人が居ることもまた事実・・。この件はペンディングとなっております。

 岩本友規さんは、レノボ・ジャパンで、どんな商品が売れるのかを分析するアナリストの仕事をされているそうです。4年前に「ASD+ADHD」と診断されているそうです。
キャプチャ.JPG
 ADHDに関しては本年3月26日のFacebook(https://www.facebook.com/photo.php?fbid=563094167193600&set=pb.100004790640447.-2207520000.1461960534.&type=3&theater)でもご紹介しましたね。
 http://akasama.blog.so-net.ne.jp/2016-03-26-2
 岩本友規さん、4回の転職か・・。辛かったでしょうね。。。
 News ZEROの報道内容を観て私が感じたことは、自分自身の病気に「気づける人」・「気づけない人」の違いは何なのか?ということが1点。気づければ治っていく可能性があるからです。
 もう1点興味深いことは、発達障害と前頭側頭型認知症で同じ「常同行動」という行為が出現するという点です。

 前頭葉が何らかの関与をしているということなんだと思います。
 この、「病識」と「常同行動」に関して、アピタルの原稿から関連事項を拾い上げてみます。


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第31回『認知症の代表的疾患─レビー小体型認知症 もの忘れを自覚することの多いレビー小体型』(2013年1月14日公開)
 もの忘れに関しても、DLBにおいては内省できることが多いことが報告されています。
 アルツハイマー病では、初期ですらもの忘れを自覚していないケースが多いです。一方、DLBでは、初期においてはもの忘れを自覚しているケースが多いのです。
 東京医科大学病院老年病科の羽生春夫教授は、疾患別の病識の有無について検討しており、「有意な認知機能障害を認めない老年者コントロールの病識低下度の平均+2標準偏差を超えるものを病識低下ありと定義すると、AD(アルツハイマー病)群の65%、MCI(軽度認知障害)群の34%、DLB(レビー小体型認知症)群の6%、VaD(血管性認知症)群の36%が該当し、AD群が最も多く、DLB群は最も少なかった。」(羽生春夫:老年期認知症患者の病識―生活健忘チェックリストを用い、介護者を対照とした研究―. 日本老年医学会雑誌 Vol.44 No.4 463-469 2007)と報告しております。

メモ:内省
 「記憶、見当識、思考、言葉や数の抽象化機能などは、日常生活を送っていく上でそれぞれがとても大切な機能である。しかし、暮らしのなかでは、これらの機能一つひとつがバラバラに役立っているわけではない。複数の知的道具あるいは要素的知能を組み合わせて使いこなす『何か』がなけれはならないはずである。それを知的主体あるいは知的『私』とよぶことにすると、そこに障害が及ぶのである。だから、認知症を病む人は、いろいろなことができなくなるという以上に、『私が壊れる!』と正しく感じとるのである。
 知的主体などという硬い言葉ではなく、もう少しうまい言葉が見つかればよいのだが、学者も苦労してこの『何か』を『内省能力』(ツット)、『本来の知能』(ヤスパース)、『知的人格』『知的スーパーバイザー』(室伏)などと名づけている。どれもが、個別の、記憶、見当識、言葉、数といった道具的、要素的知能を統括する、より上位の知的機能を何とか言い表そうと苦労しているのである。」(小澤 勲:認知症とは何か 岩波新書出版, 東京, 2005, pp141-143)

 認知症の介護においては、しばしばアパシー(自発性の低下・無関心)の存在が問題となります。
 アパシー(apathy)とは、無気力・無関心・無感動のため、周りがやるようにと促しても、本人は面倒だから、全然動こうとしないし気にもしない状態です。そして、このアパシーの存在ゆえに、認知症がうつ病と誤診されているケースもあります。
 なお、DLBでは、うつ病を有する頻度が比較的高いことも知られております。
 「Ballardら(1999)は病理診断されたDLB、AD各40例を比較し、DLBでは、初診時に幻視、幻聴、妄想、誤認妄想、うつ病を有する頻度がADに比べて高い」と報告しています(長濱康弘:レビー小体型認知症の臨床症候学と病態生理. Dementia Japan Vol.25 145-155 2011)。
 なおこの点に関して筑波大学臨床医学系精神医学の朝田隆教授は、「伝統的な精神科のうつに対する見方では、悲哀感、悲しみをもって『うつ』の本質とし、それに不安ややる気のなさを加えます。DLBの場合、精神科の伝統的なうつというよりは基本的にはアパシーです。周りは困っているが本人は何もしなくて当然とケロッとしているような患者さんが比較的多いですね。」と指摘しています(朝田 隆 et al:座談会─認知症の早期発見・薬物治療・生活上の障害への対策. Geriatric Medicine Vol.50 977-985 2012)。

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 2014年7月30日にホテルグリーンパーク津において開催されました第16回中勢認知症集談会特別講演会には、群馬大学大学院保健学研究科リハビリテーション学講座の山口晴保教授らが講師として来て下さいました。

 山口晴保先生は、「MCIとADの境界は、『病識の有無』だと思っています」と講演で述べられました。そして、SED-11Q(Symptoms of Early Dementia-11 Questionnaire)を用いた病識の評価に関する検討結果についてご紹介して下さいました。
判断基準
 医療機関においてはSED-11Qが11項目中3項目以上で認知症を強く疑い、地域の認知症スクリーニングでは11項目中4項目以上で受診を勧めるというのが目安だそうです。

SED-11Q【認知症初期症状11項目質問票】
①同じことを何回も話したり、尋ねたりする
②出来事の前後関係がわからなくなった
③服装などの身の回りに無頓着になった
④水道栓やドアを閉め忘れたり、後かたづけがきちんとできなくなった
⑤同時に二つの作業を行うと、一つを忘れる
⑥薬を管理してきちんと内服することができなくなった
⑦以前はてきぱきできた家事や作業に手間取るようになった
⑧計画を立てられなくなった
⑨複雑な話を理解できない
⑩興味が薄れ、意欲がなくなり、趣味活動などを止めてしまった
⑪前よりも怒りっぽくなったり、疑い深くなった

※上記の11項目に関して、ご本人は病識が欠如しているため「該当しない」にチェックを入れるものの家族はそれを感じているため「該当する」にチェックを入れ、その差がMCIにおいては乖離しないものの、軽度AD&中等度ADにおいては有意に乖離(p<0.001)しているそうです。
 そして、「その結果を介護者に見せて、本人の自覚が乏しいことを理解してもらい、叱らないように指導することでBPSDを予防しましょう」と講演会で配布されました資料には記載されておりました。
 詳細は論文をご参照下さい。
 Maki Y, Yamaguchi T, Yamaguchi H:Symptoms of Early Dementia-11 Questionnaire(SED-11Q): A brief informant-based screening for dementia. Dement Geriatr Cogn Disord Extra Vol.3 131-142 2013
 Maki Y, Yamaguchi T, Yamaguchi H:Evaluation of Anosognosia in Alzheimer's Disease Using the Symptoms of Early Dementia-11 Questionnaire(SED-11Q). Dement Geriatr Cogn Disord Extra Vol.3 351-359 2013

P.S.
MCI段階で留まっているのかADに進展したのかを判断する基準は、「生活自立能力」の有無!
 「生活自立能力」については、シリーズ第73回『軽度認知障害─軽度認知障害から認知症への進展』をご参照下さい。

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 認知症初期症状11項目質問票(SED-11Q)の評価用紙は山口晴保研究室のホームページ(http://www.orahoo.com/yamaguchi-h/)からダウンロード可能(山口晴保:認知症の本質を知り、リハビリテーションに活かす. MEDICAL REHABILITATION No.164 1-7 2013)。

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 「ところで、認知症の人には『自分は病気である』という自覚はあるのでしょうか?
 この『自分は病気だ』と自覚することを『病識』といいます。医師の中には、認知症の人には『病識がある』という人もいれば、『ない』という人もいます。
 私は『病識は低下している(一部ある)』という考えです。自分はどんな病気でどのような問題が生じているのかといった自覚は乏しくなっていますが、『何だかいつもと違う』という感覚はあると思っています。これを『病感』といいます。」(山口晴保:認知症にならない、負けない生き方 サンマーク出版, 東京, 2014, p53)


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第461回『患者の声が聞こえていますか?─残っているものを大切に』(2014年4月11日公開)
 NHK・Eテレにおいては、2013年7月1日・2日・3日・15日・25日の5回にわたって、『シリーズ 認知症 “わたし”から始まる』が放送されました。7月15日の第4回放送は『自分らしく生きよう─アニメ映画「しわ」が描く当事者の世界―』(http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2013-07/15.html)がテーマであり、NPO町田つながりの開「DAYS BLG!」(デイサービス施設)にアニメーション映画『しわ』の監督であるイグナシオ・フェレーラスさんを招いて映画の上映会が開催されました。インパクトが強い放送内容でしたので、皆さん印象深く覚えておられるのではないでしょうか。
 池田英材さんをはじめとする認知症当事者の方たちも、自分自身の姿と重ね合わせながら、映画『しわ』を観た感想を述べておられました。
 フェレーラス監督は番組のなかで、「私は以前から、年をとっても、病気になっても、人は変わらないと思っていました。病気ばかりに気をとられると、どうしても失われるものにこだわってしまいます。私は、むしろ残っているものを大切にしょうと思いました。この映画で表現したかったことは、認知症になってもその人らしさが残り、変わらない部分が必ずあるということなのです。」とこの映画に込めた思いを語りました。
 エスポアール出雲クリニック(島根県)の高橋幸男院長は、「成書には、もの忘れを自覚しないのがアルツハイマー型認知症の特徴と記載されているが、これは誤りである。認知症を認めたくないという強い思いがあり『否認』機制が働いて、表面的にもの忘れを否定したりすることはよくあるが、アルツハイマー型認知症の初期はもちろん中期でも、もの忘れごときは十分自覚しわかっている」と述べています(高橋幸男:認知症をいかに本人と家族に伝えるか. 治療 Vol.89 2994-3000 2007)。
 そして、認知症の症候学に詳しい滋賀県立成人病センター老年内科の松田実部長は、論文(松田 実:認知症の症候論. 高次脳機能研究 Vol.29 312-320 2009)において、「アルツハイマー型認知症(AD)で『早期に病識が失われる』という記載は、『取り繕い』を『病識のなさ』と混同していることから起こる誤謬(ごびゅう)である。『ADで病識が失われるというのは誤りである。ADの初期はもちろん中期でも、もの忘れごときは十分自覚しわかっている』という高橋(2007)の意見に筆者は賛同する。もちろん、患者の病態はさまざまであり、病識のレベル、その深さや内容も問題となるであろうから、一概には結論ができる話ではない。」(http://www.jstage.jst.go.jp/article/hbfr/29/3/312/_pdf/-char/ja/=現在リンクは無効)と指摘しています。
 また松田実部長は、前述の論文において、「『病識のなさ』と『取り繕い』を同一視すべきではない。病識の有無と取り繕いとには、直接的関連はない。少なくとも、病識がないから取り繕うのではない。むしろ、自身の異常に気づいているからこそ取り繕っていると考えられる場合もある(ボーデン 2003)。」とも述べています。


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第73回『軽度認知障害 軽度認知障害から認知症への進展』(2013年3月7日公開)
 さて、軽度認知障害(MCI)と診断された患者さんを追跡しますと、4年間で48%(1年あたり平均12%)が認知症を発症します(Bowen J et al:Progression to dementia in patients with isolated memory loss. Lancet Vol.349 763-765 1997)。また、Petersenらは、MCIと診断された人はその後1年間に約12%が認知症となり、6年間で約80%が認知症になったと報告しています(Petersen RC et al:Current concepts in mild cognitive impairment. Arch Neurol Vol.58 1985-1992 2001)。
 コンバートとは、MCIからADなど認知症へと進展することであり、その率がコンバート率です。
 2012年2月18日名古屋で開催された「デメンシアコングレスJAPAN 2012」には、東京大学大学院神経病理学の岩坪威教授が来られ講演されました。J-ADNI主任研究者である岩坪威教授は、J-ADNIにおける最新のコンバート率についても言及し、1年間の経過観察期間中に29.6%がコンバートし、従来の報告よりも随分と高率であったと報告されました。

 因みに認知症をめぐる大規模疫学研究として有名な「ボルチモア老化縦断研究」によれば、「軽度認知機能障害(MCI)からアルツハイマー病にコンバートするまでに要する期間の中央値は4.4年であった」(飯島 節:ボルチモア老化縦断研究. 日本臨牀 Vol.69 Suppl8 587-593 2011)ことが報告されています。
 MCI段階で留まっているのかADに進展したのかを判断する基準は、「生活自立能力」の有無です。学術的にはコンバートの判定は、Mini-Mental State Examination(MMSE)、Clinical Dementia Rating(CDR;メモ1参照)、ウェクスラー記憶検査改訂版(Wechsler Memory Scale-Revised;WMS-R)の論理記憶(メモ2参照)という3つの認知機能検査を総合的に勘案して評価されます。
 しかし、MMSE、CDR、WMS-Rだけでは決め手に欠けるケースがあることも事実です。ですから、生活自立能力の有無を正確に判断するためにも、本人の家に行き、実際の生活の様子を確認するという視点が重要となってきます。
 
メモ1:Clinical Dementia Rating(CDR)
 CDRは臨床認知症尺度と呼ばれ、記憶、見当識、判断力と問題解決、地域社会活動、家庭生活および趣味・関心、介護状況の6項目から構成されます(http://www.inetmie.or.jp/~kasamie/CDR.jpg)。
 それぞれの項目について患者およびその家族などから聞き取り調査を行い、5段階で重症度を判定します。
 5段階とは、CDR0(正常)、CDR0.5(軽度認知障害Mild Cognitive Impairment;MCI)、CDR1(軽度認知症)、CDR2(中等度認知症)、CDR3(重度認知症)です。
 具体的なCDRの判定方法は、先ずは各6項目のそれぞれの項目ごとに5段階で重症度(CDR0~3)を評価します。各項目を評価した後に、最終的には1つの段階に当てはめます。
 記憶が1次項目であり、残りの項目は2次項目となります。1次項目の評点と2次項目のうち3つ以上が同じ評点であれば、CDRは1次項目の評点になります。ただし、1次項目の評点よりも、2次項目の評点が高いか低い場合、3つ以上同じ2次項目の評点がCDRの評点となります。

メモ2:ウェクスラー記憶検査改訂版の論理記憶
 MCIの診断には、WMS-Rの論理記憶が標準的に用いられます。これは、検者が話す短い物語を聞いて、直後にそのまま再生する即時再生と、30分経過してから再度再生してもらう遅延再生があります。「会社の食堂で/調理師として/働いている/北九州の/上田恵子さんは、/…」と25の部分に分かれている文章を聞きながら暗記してもらい、被検者が再生した文章を25点満点で採点します。二つの物語で合計50点になります(山口晴保:認知症の正しい理解と包括的医療・ケアのポイント第2版 協同医書出版社, 東京, 2010, p226)。
 Logical memoryⅡ(論理記憶Ⅱ;遅延再生)の最高得点は、50点です。J-ADNIにおけるMCIの診断基準の一つとして、教育年数16年以上の方の場合には、Logical memoryⅡが「8点あるいはそれ以下」という条件があります。


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第39回『認知症の代表的疾患─前頭側頭葉変性症 バナナとミルクばかり食べる女性』(2013年1月31日公開)
 群馬大学脳神経内科学の岡本幸市教授がバナナ・レディという著書の紹介を専門誌においてされました。
 「エピソード1では、本書のタイトルになっている女性の症状が詳細に述べられている。口数の減少、悲哀感のない抑うつで発症し、次第に脱抑制的な異常行動、特に過剰にミルクとバナナを摂取するようになったが、診察では知能や記銘力は驚くほど正確であった。9年の経過で死亡され、剖検所見も記載されている。FTDの典型的な症例の全経過を理解するのに有用な症例であり、なぜ患者がバナナを過剰に摂取するのかについても合理的に説明されている。」(岡本幸市:バナナ・レディ─前頭側頭型認知症をめぐる19のエピソード. Clinical Neuroscience Vol.29 352 2011)
 岡本幸市教授が書評で紹介したepisode1(バナナ・レディ、偏食)の冒頭は次のような記載で始まります。
 「牧師であるヘンリーの妻ドーンは、病気になる前は有能で社会的に洗練され、音楽の才能にも恵まれており、教会の受付として働いていた。彼女はヘンリーが受けもつ教区で重要な役割を演じており、イギリス女王がカナダを訪れた際にもてなしたこともある。ドーンが奇妙な行動をとり始めたのは50代後半のことであった。彼女は教会に集まった人々の隅で、誰とも話さず立っているようになり、行事の間中、2階に上がってピアノを弾いていることもあった。彼女は客のもてなしや教区の仕事をしなくなり、ある日は、何の説明もなく、1時間も早く仕事から家に帰ってしまった。…(中略)…症状が始まってから2年後に神経学的診察を受けることになった。…(中略)…真夜中に起きて、眠るための運動としてよく街へ出かけた。不眠対策の一つとして、主にスコッチで『寝酒』を始めたので、ヘンリーは彼女の見えないところにボトルを隠さなければならなかった。かかりつけ医が睡眠促進に、酒ではなくホットミルクとバナナをとることを勧めたのをきっかけに、ドーンは一度に5~6本のバナナを食べ始めた。その後、他の食物は胃を悪くすると言い張って、1日3~4リットルのミルクと数束のバナナによる食事療法を始めた。彼女は教区事務所にいるヘンリーに一日に何度も電話してきて、自分のための十分なミルクとバナナがあることを確認した。彼は、ドーンに新たな問題、すなわち夜尿症が生じたため、夜にミルクを飲むことを制限した。しかし、彼女は通りを歩きながら、ミルクをもらいトイレを使わせてもらうために、隣近所のドアを叩いてまわった。…(中略)…私が最初にドーンに会ったとき、彼女は快活で、話好きで、見当識も正常で、『認知症』的なところは全くなかった。しかし彼女の話は幾分まとまりに欠け、本題から離れやすく、的はずれな部分があった。やや躁的にもみえたが、無関心で洞察を欠いているところもあった。神経心理学者は常同性と集中力欠如に気づいたが、知能や記銘力は驚くほど正常であった。彼女はトレイルメイキング(数と文字とを交互に結んでいくテストで、注意と集中力を必要とする)を除けば、通常の前頭葉検査は良好な成績であった。…(中略)…ドーンの病気は悪化したが、徘徊や過度のミルクとバナナの摂取はトラゾドンの服用によってやや改善していた。しかしその後、頻繁で強迫的なトイレ使用といった新たな症状が加わった。」


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 FTDの症状を、1.前頭葉そのものの機能低下による症状、2.後方連合野への抑制障害による症状、3.辺縁系への抑制障害による症状、4.大脳基底核への抑制障害による症状に分けて述べる。

1. 前頭葉そのものの機能低下による症状
1)病識の欠如
 病識は病初期より欠如しており、病感すら全く失われていると感じられることが多い。さらに、自己を意識させるだけでなく、社会的環境のなかでの自己の位置を認知させる能力、すなわち“自己”を主観的意識を保持しながら比較的客観的な観点から認識する能力(self-awareness)が障害されている。このような障害を「心の理論」から説明しようという試みもある。心の理論は、自己および他者の動きを類推する、すなわち他者の心的状態、思考や感情を類推する機能と定義される。FTDの臨床診断基準(表)でも重視されている、社会的対人行動の障害、自己行動の統制障害、情意鈍麻、病識の欠如の背景にある共通の心的機構を心の理論の障害として捉える研究がある。
2)自発性の低下

2. 後方連合野への抑制障害による症状
1) 被影響性の亢進ないし環境依存症候群
 FTDでみられる被影響性の亢進ないし環境依存症侯群environmental dependency syndromeは、前方連合野が障害され後方連合野への抑制が外れ、後方連合野が本来有している状況依存性が解放された結果、すなわち外的刺激あるいは内的要求に対する被刺激閾値が低下し、その処理は短絡的で反射的、無反省になったものと理解できる。日常生活場面では、介護者が首をかしげるのをみて同じように首をかしげる反響ないし模倣行為、相手の言葉をそのままおうむ返しにこたえる(反響言語)、何かの文句につられて即座に歌を歌いだす、他患への質問に先んじて応じる、視覚に入った看板の文字をいちいち読み上げる(強迫的音読)、といった行為であらわれる。
2)転導性の亢進、維持困難
 ある行為を持続して続けることができないという症状である。これも、後方連合野が本来有している状況依存性が解放された結果、注意障害あるいは注意の維持困難が出現したものと考えられる。

3. 辺縁系への抑制障害による症状
1)脱抑制、「我が道を行く行動」
 反社会的あるいは脱抑制的といわれる本能のおもむくままの行動は、前方連合野から辺縁系への抑制がはずれた結果と理解できる。店頭に並んだ駄菓子を堂々と万引きする、あるいは検査の取り組みに真剣さがみられず(考え不精)自分の気持ちのままに答える、診察中に鼻歌を歌う、関心がなくなると診察室や検査室から勝手に出て行く(立ち去り行動)などの表現をとる。社会的な関係や周囲への配慮がまったくみられず、あやまちを指摘されても悪びれた様子がなく(患者本人に悪気はない)、あっけらかんとしている。

4. 大脳基底核への抑制障害による症状
1)常同行動
 自発性の低下や無関心が前景に立つ前にほぼ全例で認められる。ADとの鑑別にも重要な症状である。日常生活では、常同的周遊(roaming)や常同的食行動異常が目立つことが多い。
 絶えず膝を手でこすり続けたり、手をパチパチと叩いたりするような反復行動がみられることもある。
2)食行動異常
 FTDにおいては、食欲や食習慣、食の嗜好の変化が顕著である。特に初期のうちからみられるのは、食欲の亢進と嗜好の変化である。嗜好の変化としては、チョコレートやジュースなど甘いものを毎日大量に食べる行動がしばしばみられる。続いて、十分に咀嚼せずに嚥下するため食事速度が早くなるといった食習慣の変化や、決まった少品目の食品や料理に固執する常同的な食習慣が出現する。
【福原竜治、池田 学:前頭側頭型認知症の精神症状. 精神科治療学 Vol.28 1615-1619 2013】

「認知症になっても その人らしさが残り 変わらない部分が必ずある」 [認知症ケア]

「認知症になっても その人らしさが残り 変わらない部分が必ずある」

 これは、アニメーション映画『しわ』の監督であるイグナシオ・フェレーラスさんが、2013年7月15日に放送されましたNHK・Eテレ『シリーズ 認知症 “わたし”から始まる(第4回)』において述べた言葉です。
 そのNHK・Eテレ『シリーズ 認知症 “わたし”から始まる(第4回)』に関して、私がアピタル連載中に発信した文面を以下にご紹介しましょう。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第461回『患者の声が聞こえていますか?─残っているものを大切に』(2014年4月11日公開)
 NHK・Eテレにおいては、2013年7月1日・2日・3日・15日・25日の5回にわたって、『シリーズ 認知症 “わたし”から始まる』が放送されました。7月15日の第4回放送は『自分らしく生きよう─アニメ映画「しわ」が描く当事者の世界―』(http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2013-07/15.html)がテーマであり、NPO町田つながりの開「DAYS BLG!」(デイサービス施設)にアニメーション映画『しわ』の監督であるイグナシオ・フェレーラスさんを招いて映画の上映会が開催されました。インパクトが強い放送内容でしたので、皆さん印象深く覚えておられるのではないでしょうか。
 池田英材さんをはじめとする認知症当事者の方たちも、自分自身の姿と重ね合わせながら、映画『しわ』を観た感想を述べておられました。
 フェレーラス監督は番組のなかで、「私は以前から、年をとっても、病気になっても、人は変わらないと思っていました。病気ばかりに気をとられると、どうしても失われるものにこだわってしまいます。私は、むしろ残っているものを大切にしょうと思いました。この映画で表現したかったことは、認知症になってもその人らしさが残り、変わらない部分が必ずあるということなのです。」とこの映画に込めた思いを語りました。
 エスポアール出雲クリニック(島根県)の高橋幸男院長は、「成書には、もの忘れを自覚しないのがアルツハイマー型認知症の特徴と記載されているが、これは誤りである。認知症を認めたくないという強い思いがあり『否認』機制が働いて、表面的にもの忘れを否定したりすることはよくあるが、アルツハイマー型認知症の初期はもちろん中期でも、もの忘れごときは十分自覚しわかっている」と述べています(高橋幸男:認知症をいかに本人と家族に伝えるか. 治療 Vol.89 2994-3000 2007)。
 そして、認知症の症候学に詳しい滋賀県立成人病センター老年内科の松田実部長は、論文(松田 実:認知症の症候論. 高次脳機能研究 Vol.29 312-320 2009)において、「アルツハイマー型認知症(AD)で『早期に病識が失われる』という記載は、『取り繕い』を『病識のなさ』と混同していることから起こる誤謬(ごびゅう)である。『ADで病識が失われるというのは誤りである。ADの初期はもちろん中期でも、もの忘れごときは十分自覚しわかっている』という高橋(2007)の意見に筆者は賛同する。もちろん、患者の病態はさまざまであり、病識のレベル、その深さや内容も問題となるであろうから、一概には結論ができる話ではない。」(http://www.jstage.jst.go.jp/article/hbfr/29/3/312/_pdf/-char/ja/=現在リンクは無効)と指摘しています。
 また松田実部長は、前述の論文において、「『病識のなさ』と『取り繕い』を同一視すべきではない。病識の有無と取り繕いとには、直接的関連はない。少なくとも、病識がないから取り繕うのではない。むしろ、自身の異常に気づいているからこそ取り繕っていると考えられる場合もある(ボーデン 2003)。」とも述べています。
 ボーデンさんとは、『私は誰になっていくの?─アルツハイマー病者からみた世界』の著者であるクリスティーン・ボーデンさん(http://apital.asahi.com/article/kasama/2013050200008.html)のことですね。


P.S.
 「病前性格が穏やかであった方は、認知症を発症してからも比較的穏やかに過ごされることが多い」ということに関しては、朝日新聞・アピタル連載中にもご紹介したことがあります。
 以下にその部分を再掲しますね。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第213回『認知症と長寿社会(笑顔のままで)―入院時の点滴を抜いてしまう問題』(2013年7月31日公開)
 一般的な傾向として、病前性格が穏やかであった方は、認知症を発症してからも比較的穏やかに過ごされることが多いです。そのような方では、点滴実施に際しても、きちんと説明すれば、穏やかに受け入れてくれることが多いです。特に、医師から説明すると、おとなしく聞き入れてくれるケースが多いようです。
 一方、短期で怒りっぽいタイプの病前性格であった方は、採血・点滴1本するのにもひと苦労するといった場面によく遭遇します。
 認知症における症状と病前性格との関係について言及している本もありますので以下にご紹介します。
 「穏和でのんびりとした性格の高齢者は、認知症になっても穏やかな性格で、他の人々との争いも少なく平和的でしょう。」(三原博光、山岡喜美子、金子 努:認知症高齢者の理解と援助~豊かな介護社会を目指して~ 学苑社, 東京, 2008, pp40-41)
 私の父もとっても穏やかな性格でした。しかし、入院したその日のうちに点滴の自己抜去をやってしまいました。同様のケースは数多く経験しております。穏やかだった性格の方は、穏やかに点滴は受け入れてくれることが多いのですが、知らないうちに抜いてしまうのです。
 私たちも、夜中に耳元でブーンと蚊の鳴く声がしたら、意識が朦朧とした中でも耳の近くを払いのけますよね。同様にして、点滴を実施しなければならないような認知症の方は、軽い脱水なども関与しているため、本来の認知機能障害以外に軽いせん妄(メモ参照)状態も加わっており、無意識のうちに違和感のある点滴を抜いてしまうのではないかと思われます。
 穏やかな性格の方において点滴を自己抜去してしまうような状況が確認された時には、夜間は点滴をせずに職員が目の行き届く昼間だけの点滴実施にするとか、点滴ルートを袖から襟元のほうに出して点滴棒を後ろに設置して視界に入らないようにするといった工夫が必要となります。また場合によっては、拘束衣を着用するなどの対策も必要となります。そのような対応により、比較的穏やかに入院治療を継続できるケースが多いようです。

メモ:せん妄
 せん妄(delirium)とは、脳機能の一時的な低下による意識混濁(軽い意識障害)に加えて、幻覚や興奮状態といった精神症状を伴っており、発症は急激で可逆的な状態です。

よりよいケアを希求する「船」としてのビュートゾルフ [認知症ケア]

日本版ビュートゾルフ始動!─よりよいケアを希求する「船」としてのビュートゾルフ(構成/編集室 インタビュー/堀田聰子さん)

「日本版ビュートゾルフ」はゆるやかな理念共同体
 私は「日本版ビュートゾルフ」は、事業所の看板はどうあれ、ビュートゾルフのビジョンを共有する方々のたゆまぬ進化を指すものであってほしいと考えています。「玉ねぎモデル」に象徴される、利用者・患者の尊厳の保持、自立生活の支援を手がかりにした「すべての住民」が、「よりよい生活のなかでの経験」を「ともにつくり出して」いけるケアと地域づくりのムーブメント、ともいえるかもしれません。一人ひとり異なり、究極的には客観的にも主観的にもわからないQOL(Quality of life)を引き上げようとする実践者たちの、それぞれの地域におけるワクワクする営み全体、いわばゆるやかな理念共同体を、「日本版ビュートゾルフ」ととらえたいのです。

「暗黒の時代」を突き破った専門職の職業倫理
──そもそも、堀田さん自身はビュートゾルフのどの点に魅力を感じたのでしょうか。彼らとの出会いとともに教えてください。
 私がビュートゾルフの創業者・代表である地区看護師のJos de Blok(ヨス・デ・ブロック)さんとはじめて会ったのは、2010年初夏のオランダでした。中重度認知症で一人暮らしの方々の日常生活と、それを支えるしくみやネットワークの日蘭比較研究に協力してくださる在宅ケアの事業者を探していたのです。たくさんの在宅ケア組織を回るなか、「うちでは難しいけれど、ビュートゾルフなら一人暮らしの認知症の人でも最期まで支えているに違いない」と紹介されたのが彼らとの出会いでした。

よりよい実践の積み重ねは制度も動かす


看護師たちが学びあい、ケアに集中できる「枠組み」


わが町の玉ねぎを育むイノベーションを求めて
 先にお話ししたとおり、私は事業化には一貫して関心がなく、彼にもそのことを伝えていました。彼の言い分はよくわかったものの、2014年のビュートゾルフアジアの設立もあいまって複雑な心境になったことを覚えています。それまで重ねてきた対話が水泡に帰すのではないかという危惧もありました。
 とはいえ、ヨスさんやビュートゾルフのナースたちの日本への情熱的な貢献をもっともよく知る立場にもあったので、関心がありそうな方々にお声掛けして、ビュートゾルフとの協業に向けた個別の「お見合い」の場のセッティングも行っていました。


「本人にとっての最善」を問い続け、自由な発想を
──これから「日本版ビュートゾルフ」がどのような進展を見せるのか楽しみです。
 ビュートゾルフのチームでも、「なぜそれは患者にとっての支援になるの?」「何が本当に起きていることなの?」「私たちは正しいことをやってるの?」「なぜ私たちはいつもどおりにやっているの?」「もっと簡単なやり方はないの?」と、シンプルな問いが満ちています。「日本版ビュートゾルフ」が、患者・利用者・住民の一人ひとり異なり、また変化していく「本人にとっての最善」を自由な発想によって問い続け、そこで起きるイノベーションを持続可能なものにしていくことを期待しています。
 (2016年3月29日収録)
 【訪問看護と介護 vol.21 no.5 346-351 2016】

私の感想
 ビュートゾルフについては、NHK・Eテレ『シリーズ 認知症 “わたし”から始まる』の第2回放送(2013年7月2日)でも報道されており、その放送内容をアピタルにおいてご紹介しております。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第343回『介護と高齢者虐待─デイサービスを使い始めるのに抵抗感』(2013年12月14日公開)
 さて、これまでにもオランダにおいて実践されている種々の取り組みについてはご紹介してきましたね。
 シリーズ第174回『刻化する認知症患者の長期入院 在宅政策にシフトしたオランダ』においては、オランダの「ヘリアント(Geriant)」「アルツハイマーカフェ」などの試みをご紹介しました。2013年7月号のメディカル朝日(通巻第500号)においても、ヘリアント(Geriant)の話題が取り上がられておりますのでご紹介しましょう。
 「Geriantは、北オランダの人口60万人のエリアでサービスを提供しており、利用者3700人をスタッフ190人(うちケースマネジャー70人)で支える。認知症診断・ケースマネジメントチームは、在宅で老年精神看護を提供する看護師、老年医、精神科医、心理士、認知症コンサルタントなど各1~2人で構成される。」(遠矢純一郎:認知症ケアの先進地をゆく/前編─オランダの現状. Medical ASAHI Vol.42第7号・通巻500号 72-74 2013)
 さて、NHK・Eテレ『シリーズ 認知症 “わたし”から始まる』の第2回放送(2013年7月2日)は、『“在宅”を支えるケア~オランダからの報告~』(http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2013-07/02.html)でした。番組においては、地域看護師が2006年に起業した在宅ケア組織「ビュートゾルフ(Buurtzorg)」が実践する家族支援の様子、2009年にアムステルダム郊外にオープン(改築)した認知症村(通称)と呼ばれるホーゲヴェイ(Hogewey)の様子が報道されました。
 ビュートゾルフでは、「認知症の人は、介護する家族が適切に対応すれば徘徊や暴力などの行動も現れず自宅で穏やかに過ごすことができる。そのため、家族ごと支援することに力を入れており、何かあれば24時間いつでも駆けつけますよ」という考え方で臨んでいるようです。
 そして一人の事例が紹介されました。リー・メイウィッセさん(91歳女性)は2年前にアルツハイマー病と診断されました。介護するのは近くに住む一人娘のアニタさんです。アニタさんは当初は、「母を厄介払いしているような感じがしてしまって…」とデイサービスを利用することに対して抵抗を感じていたようです。しかし、認知症ケースマネジャーのリース・ルッテル看護師から、「一歩下がっても良いんじゃないかしら」とアドバイスを受けます。その後、デイサービスを利用するようになり少し親子の距離を置いたこと、そしてアニタさんも認知症について詳しく教えてもらい余裕を持って対応できるようになったことで、リー・メイウィッセさんは穏やかに過ごす時間が増えて以前の明るさを取り戻していきました。
 「時には本人と家族の間で距離をとってもらう。それも本人が穏やかに過ごすための秘訣だ」とナレーションが流れました。
 ホーゲヴェイ(Hogewey)は介護保険で運用される入所型施設です。認知症村(通称)と呼ばれるホーゲヴェイもかつては収容型の施設でした。2009年に「普通の暮らし」をコンセプトとして生まれ変わった経緯であり、ユニークな試みとして世界中から注目されているようです。その特徴は、限られた空間のなかでもできる限り普通の暮らしを続けることであり、ここの住居は、田園型、都会型、旧植民地型、労働者型、アーティスト型、上位中産階級型、宗教型というオランダ人の典型的なライフスタイルに合わせてデザインされており、入所者は自分にあった暮らしを選ぶことができるそうです。150人あまりの認知症の人がこれまでの暮らしに近い環境で思い思いの時間を過ごしている様子が報道されました。

納得できる「逝き方」とは [終末期医療]

医療介護(記者メモ)─現場から
 納得できる「逝き方」とは

 超高齢社会を迎え、関心が高まっている「死」について考える連載を担当している。その中で、90歳の母親を自宅で看取った女性を半年間、取材した。印象深かったのは、母親の容体急変時に、女性が救急車を呼ばない決断をしたこと だ。母親が自宅で自然な死を迎えられたのは、この時の決断がポイントだったと、後で知った。
 私も昨秋、同居する祖母を亡くした。87歳と高齢で心臓が弱っていた。夜、突然自宅で倒れ、家族はあわてて救急車を呼んだ。
 「救命措置をしますね」と確認され、よく分からないまま「はい」とうなずいた。注射を何本も打ち、気管挿管もしたが、運ばれた病院で亡くなった。「かえって苦しい思いをさせたのでは」「助からないなら自宅で静かに見送った方がよかったのでは」。家族には今も悔いが残る。
 取材では、同様の状況で命を取りとめたものの、何本もの管につながれ、自宅に戻れず、病院や施設を転々とする人もいた。
 何が違ったのだろう。
 女性は「母の希望を聞いて、日頃から話し合っていたから」とほほ笑んだ。なじみの訪問看護師が駆けつけ、病院へ行っても回復の見込みがない状態と説明したことも決断の助けになったという。
 一方、我が家では祖母の思いを聞いたことがなかった。かかりつけの医師に、万一の時の対応を尋ねたこともなく、夜間の連絡先も知らなかった。
 厚生労働省が2013年に行った調査でも、死が近い場合に受けたい医療などについて、6割近くの人が「家族と全く話し合ったことがない」と答えている
 望んだ場所で、苦痛が少なく、家族との時間があることなどが「質の高い死」だという。本人や残される人に悔いのない「逝き方」とは、そのために何をしたらよいのか。取材を通し考えていきたい。(大広悠子)
 【2016年4月24日付讀賣新聞・くらし】

私の感想
> 注射を何本も打ち、気管挿管もしたが、運ばれた病院で亡くなった。「かえって苦しい思いをさせたのでは」「助からないなら自宅で静かに見送った方がよかったのでは」。家族には今も悔いが残る。

 もし救命措置を行わなかったら、後日、「あの時、救命措置をやっていたら助かったかも知れない」と考えてしまい、もっともっと後悔の念は強くなるものです。本人意向が不明瞭であった以上、救命措置を試みたのは正しい選択だと私は思います。
 ただその結果、寝たきりで何年も・・ということはしばしばあります。でもそれは結果論なんです。
 家族が、救命措置をしなくとも後悔しないためには、本人の事前の意向を知ることが大切になります。

> 我が家では祖母の思いを聞いたことがなかった。かかりつけの医師に、万一の時の対応を尋ねたこともなく、夜間の連絡先も知らなかった。

 在宅医療で本人の調子が悪いのに、主治医の連絡先を知らないなんて考えられないです。

> 厚生労働省が2013年に行った調査でも、死が近い場合に受けたい医療などについて、6割近くの人が「家族と全く話し合ったことがない」と答えている。

 4割も少しでも話し合ったことがあるという数字の方が意外です。

視空間機能障害、地誌的見当識障害 → 徘徊 [徘徊]

視空間機能障害、地誌的見当識障害 → 徘徊
 昨日、「想いを汲むことから聴くことへ」(http://akasama.blog.so-net.ne.jp/2016-04-27-1)におきまして、「駅のホームで階段が歪んで見えるとき、昇りか降りかも分からなくなると知った。混雑するホームでどちらに行ったらよいか分からなくなるのは恐ろしい事態だ」(レビー小体型認知症. CLINICIAN Vol.63 no.648 2016年4月号 pp0-2)という記述をご紹介しましたね。
 そこで、「視空間機能障害」&「徘徊」について、アピタルの原稿から関連部分を拾い上げてご紹介しますね。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第9回『認知症の中核症状に関する理解を深めましょう─視空間機能障害』(2012年12月20日公開)
 3番目は視空間機能障害です。従来の基準で、「失認」・「失行」とされた所見が視空間機能障害としてまとめられました。
 地理的障害(地誌的見当識障害)には街並失認(視覚性失認の一型)と道順障害(視空間失認の一型)があります。街並失認とは、街並(建物・風景)の同定障害であり、周囲の風景が道をたどるうえでの目印にならないために道に迷ってしまいます。
 自宅付近で道に迷うアルツハイマー病患者の病態としては、少なくとも初期には「道順障害」的な要素が大きいようです(高橋伸佳:街を歩く神経心理学 医学書院, 東京, 2009, pp152-153)。
 失認のある患者さんにおいては、お風呂の入り口に床の色と違うバスマットが敷いてあると、バスマットの部分が谷底のように見えてしまい、患者さんは「落ちてしまう」と感じ、渡れない(足が踏み出せない)と訴える現象が出現することもあります。このような症状を呈した場合には、バスマットをどける(谷底をなくす)か、床の色と同じ色のバスマットにするなどの対応が効果的です。
 また、視空間機能障害が出現してくると、車庫入れで車を擦ってしまうなどの影響も出てきます。
 失行とは、運動障害はなく、手や足が動くのに、まとまった動作や行為ができないことです。挨拶ができないとか、箸などの道具が使えない(箸を渡しても食事を摂取する動作ができない)、使い慣れた電化製品の使用がわからない、図形がうまく書けないなどの不都合が生じます。そのため、日常生活にも差し障りが出てきます。
 1995年に46歳で若年性認知症と診断されたクリスティーンさんは、視空間機能障害に絡んで以下のように語っています(一部改変)。
 「世界はグラグラした場所に感じられ、その空間の中で自分の体の各部分がどこにあるのかがわかりづらくなる
 液体の入ったコップをこぼさずに持つには大変な努力がいる。コップを見て、自分の体を見て、体がどうなっているか注意しなければならない…。こんな一見単純な作業にも、無数の動作と反応がある。私にとって、飲み物を運ぶのは相当難しい仕事になってしまった。私の体の各部分はどこにあるのか? コップはどこか? どうして注意して見ていないと中の液体がピチャピチャ跳ねるのか? どうしてテーブルの向こうへ運ぶ途中で突然物にぶつかってしまうのか? どうして手を伸ばすと物をひっくり返してシミをつくってしまうのか?
 それはちょうど競馬馬の目隠しをつけてトンネルをのぞいているような感じだ。周辺視野は狭くなり、まわりではっきりとした動きがあると、私はすぐにビクッと驚いてしまい、それまでの行動をじゃまされてしまう。まるでウインカーが点滅し続けているみたいだ。鏡の前を通ると、部屋の中に自分と一緒に知らない人がいると思って、跳び上がってしまうこともあるほどだ!
 台所や浴室では、よく物をひっくり返す。距離の判断を間違えて、物にぶつかってしまうのだ。模様に惑わされることもある。表面が滑らかでも模様のある床を歩くと、つまづいてしまうことがある。」(クリスティーン・ブライデン:私は私になっていく─痴呆とダンスを 馬籠久美子・桧垣陽子訳, クリエイツかもがわ, 2004, pp132-133)
 「私たちの不安が増大するひとつの理由は、道がわからない、自分が今いるところがわからないということだ。頭の中の地図をなくしたか、そうでなくとも、地図と自分の周囲の現実とが結びつかなくなってしまったようになる。だから自分の家のまわりの見慣れたところでない限り、誰かに道を案内してもらわなければならない。
 2000年5月、私はカウンセリング学位コースの一環として、バサーストの大学の寮にひとりで行った。それはまさに悪夢だった。寮からわずか50メートルほどしか離れていない学生食堂や講義室へ行く道がわからないのだ。とにかく見覚えのある顔(もちろん「名前」ではない─名前なんてまったくわからなかったのだから)の人のあとについて行くしかなかった。ケアパートナーの案内なしに、ひとりで知らないところへ行こうとしたのは、あの時が最後になった。」(クリスティーン・ブライデン:私は私になっていく─痴呆とダンスを 馬籠久美子・桧垣陽子訳, クリエイツかもがわ, 2004, p152)


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第248回『みまもりキーホルダー─徘徊のタイプ』(2013年9月5日公開)
 さて、徘徊の元々の意味は、「あてもなく、うろうろと歩きまわること」です。精神科医の小澤勲さん(故人)が書かれた著書『痴呆を生きるということ』(岩波新書出版, 東京, 2003, pp126-142)においては、徘徊は五つのタイプに分類され紹介されています。その五つのタイプの徘徊について以下にご紹介しましょう。なお、2004年12月24日、「痴呆」から「認知症」へと呼称は変更されておりますが、2003年当時は「痴呆」が正式名でしたので、原著に従い当時の呼称を用います。
(1)徘徊ではない徘徊(迷子)
 外出すると迷子になったりするため、外に出るだけで徘徊と言われたり、入院中にベッドから離れるだけで徘徊と言われてしまうような場合です。
(2)反応性の徘徊
 入院・施設入所時などに起こります。馴染みのない場所に置かれることによって生じる不安と見当識障害から、不安げな表情で足早に歩き回る徘徊です。新しい環境に慣れて「頭のなかの地図」が出来上がれば消失します。トイレには「便所」と大きく書いて掲示するなどの工夫が有効です。
(3)せん妄による徘徊
 レビー小体型認知症などで出現しやすい徘徊です。夜間の場合は、部屋や廊下など本人が居る場所を明るくすることで解消することがあります。
(4)脳因性の徘徊
 山口晴保教授はこのタイプの徘徊を「周徊」と位置づけています。前頭側頭型認知症で認められるものが代表であり、行動を共にして、安心できるようにする対応が求められます。
(5)「帰る」「行く」に基づく徘徊
 女性の「家に帰ってご飯の用意をしなければ」とか、男性の「(かつての)職場へ行く」といった理由で起きる徘徊です。夕暮れ時に起こりやすい傾向があります。このような行動が入院・入所している方に認められると「帰宅願望」と呼ばれたりします。

 (1)の「徘徊ではない徘徊(迷子)」の病態は、「道順障害」ですね。
 千葉県立保健医療大学健康科学部リハビリテーション学科の高橋伸佳教授は、アルツハイマー病患者が道に迷う病態として、「少なくとも初期には『道順障害』的な要素が大きいようだ」(高橋伸佳:街を歩く神経心理学 医学書院, 東京, 2009, pp152-153)と述べております。道順障害は、シリーズ第9回『認知症の中核症状に関する理解を深めましょう─視空間機能障害』においてご紹介しましたように、視空間失認の一型です。
 以上ご紹介しました(1)~(5)の他には、(2)の「反応性の徘徊」と共通した作用機序を持っておりますが、家族あるいはよく知っている人の顔が見えなくなると不安になって徘徊に至るという病態もあります。「つきまとい」が認められる方においてよく観察されるタイプの徘徊ですね。
 2013年8月8日に放送されましたNHK・きょうの健康『介護の負担を減らすために』(http://www.nhk.or.jp/kenko/kenkotoday/archives/2013/08/0808.html)の番組コメンテーターとして出演されました東京都立松沢病院の齋藤正彦院長(精神科)は、デイサービス・ショートステイなどを活用して少し患者さんとの距離を置くことにより、「つきまとい」に起因する徘徊に対応できる場合もあると番組において解説されました。
 「つきまとい」に関してはいずれまた詳しくお話しますが、その背景には、「見捨てられる」という妄想があり、1人になることに対して強い不安を感じており、介護者や家族の後をつきまとう場合も多いのです。ですから「つきまとい」を解消するには、本人が感じている不安の原因を分析し対策を立てる必要があります。

雇用、735万人減少(経産省試算)  [人工知能]

AIやロボ、対応できないと・・・
 雇用、735万人減少(経産省試算)

 経済産業省は27日、人工知能(AI)やロボットなどの技術革新によって、何も対応しなければ2030年度には国内雇用が735万人減るとの試算を発表した。労働力人口(15年平均)の1割強にあたる。海外企業にAIなどでビジネスの根幹を握られれば、日本企業の下請け化が進み賃金の高い仕事が国内から流出すると警鐘を鳴らした。
 モノ作りでのAIやロボットの活用は欧米で「第4次産業革命」と呼ばれている。経産省は日本が第4次産業革命を主導するために、規制や教育の改革や業界の枠を越えた企業連携などを進められれば、雇用の減少は161万人に抑えられるとした。
 政府がAIやロボットの就業構造への詳細な影響試算を公表したのは初めて。経産省は職業を9つに分け、15年後の従業者数の変化について「現状放置」と「変革」の2つシナリオを示した。
 例えば高度なコンサルティングを伴う営業・販売職は、変革シナリオでは30年度までに114万人増加。より深い顧客需要の把握や新しいサービスを創出するため、データ分析などの技術を持った人材がますます必要になるとみている。反対に現状放置シナリオでは、新たな顧客サービスの創出が進まず従業者数も62万人減る。
 営業・販売職については、レジ係などロボットに取って代わられる可能性が高い仕事も分析している。こちらは変革シナリオでも、現状放置シナリオでも60万人以上の減少が避けられない
 【2016年4月28日付日本経済新聞・経済】

私の感想
 もうロボット待ったなしの状態ですよね。技術大国日本にとっては少子高齢化も進みますし、朗報だと思います。
 医療未来予想図Ⅱ(http://akasama.blog.so-net.ne.jp/2016-03-29)でも述べましたように、内科医の仕事はかなりの部分をロボットが担う時代が近未来にやってくると思います。
 現実に、ハウステンボスのロボット王国(7月グランドオープン)では、お好み焼きロボット、アイスクリーム作成ロボやすかわくん(https://www.youtube.com/watch?v=jRAhctyfXYs)たちが活躍する予定だそうです(https://iotnews.jp/archives/18356)。
 やすかわくんは、今年もGWにはハウステンボスでお仕事されるようです。
P.S.
 そのうち私は、テニスロボ・KoriNishi君に負ける時代が来るかも知れませんね。

認知症と自動車運転 [認知症と自動車運転]

認知症と自動車運転

 「認知症高齢者の自動車運転を考える家族介護者のための支援マニュアル[コピーライト]」(国立長寿医療研究センター・長寿政策科学研究部)の第二版が2016年4月1日に公開されました。
 http://www.ncgg.go.jp/department/dgp/index-dgp-j.htm

 ここに記載されております事例8(「血管性認知症のKさん」)が「運転をやめないケースにおける解決に向けての具体的な道筋」を示してくれているかな・・と思いますので以下にご紹介しましょう。
 なお前置きとして、「以下の事例は、法律の上では望ましくありませんが、認知症とわかってもすぐに運転を中止出来なかった、実際の例として示しました。」と注意書きされておりますので、それを念頭に置いてお読みくださいね。
運転.JPG
 

P.S.
75歳以上の高齢運転者への臨時認知機能検査などの実施─平成29年(2017年)6月16日までに施行
 http://www.think-sp.com/2015/06/17/dokoho-kaisei-kohu-2015-6-17/
キャプチャ.JPG

 75歳以上の高齢運転者が認知機能が低下したときに起こしやすい違反行為をした場合は、「臨時認知機能検査」を行うことになります。対象となる違反行為については別途政令で定められます。
 そして臨時検査の結果、認知機能が低下している恐れがあると判断された高齢者に対しては、「臨時高齢者講習」が実施されます。
 講習は個別指導等により、認知機能の低下を自覚させ本人の状況に応じた安全な運転行動を指導するものです。
 また、認知症の恐れがあると判断された運転者に対して公安委員会は臨時適性検査(専門医による診断)を行うか、医師の診断書の提出を命じることができるようになります。専門医による診断等で認知症が認められた場合は、免許の取消しか停止が行われます。
 なお、高齢運転者が上記の臨時機能検査や臨時高齢者講習を受けなかった場合も、免許の取消し又は免許の効力停止処分が実施されます。


※私が危惧していること=認知症の専門外来がパンクする!
 以下は私の予想する「認知症外来─未来予想図Ⅱ」です。

 2015年6月に改正道路交通法が成立しており、75歳以上の人が3年に一度の免許更新時に受ける認知機能検査において、記憶力・判断力が低い(1分類:3.7%)と判定されたすべての人に医師の診断が義務づけられ、認知症と分かれば、免許は停止か取り消しになります(=改正法成立から2年以内にスタートする!)。
 現行法では、1分類で特定の違反(道路の逆走信号無視)をした人に診断の義務づけが限定されておりました。

75歳以上の運転免許保有者数(平成25年末)
 https://www.npa.go.jp/toukei/menkyo/pdf/h25_main.pdf
 2,562,486+1,256,003+429,345=4,247,834
 4,247,834÷81,860,012=5.19%
 
 4,247,834×0.037÷3=52,389
 1年間に、約5万人の方が認知症の診断のために受診することになりますね。
 52,389÷1,500(専門医数)=34,9人

『かかりつけ医のための認知症診療テキスト─実践と基礎』・まえがき
 わが国の認知症患者数は、1970年代終わりから1980年代初めにかけての調査に基づき、65歳以上の高齢者の6.7%と推計されてきた。そして、それをもとに推計された2013年時点の認知症患者数は約185万人であった。しかし、2013年6月に厚生労働省から発表された「認知症有病率等調査」の結果は「高齢者の約15%, 推計462万人」というものであり、驚かれた方も多いと思われる。 それに比して、2013年12月時点の日本認知症学会の認知症認定専門医は840名、日本老年精神医学会の高齢者のこころの病と認知症に関する認定専門医は880名であり、合計l,720名に過ぎない。そして、この一部は重複するため、実際には1,500名程度であろう。これは、専門医1人につき3,000人あまりの認知症患者を担当する計算になる。また、これとは別に軽度認知障害(MCI)の人が約400万人いると推計されている。これを含めると、専門医1人につき5,700人あまりを担当しなくてはならない。仮に1人の専門医が月曜日から金曜日まで毎日10人の新患を診たとしても、全員を診るのに2年以上かかる計算になり、現実には不可能な数字である。したがって、今後は「かかりつけ医」、「認知症サポート医」が果たす役割が極めて重要になる。
【田平 武:かかりつけ医のための認知症診療テキスト─実践と基礎 診断と治療社, 東京, 2014】

 75歳以上の記憶力・判断力が低い(1分類:3.7%)方が全員、運転免許更新のために医療機関を受診するとなると、専門医一人あたり、1年間で約34,9人の鑑別診断が必要という計算になります。